photo by Eri Kurobe

USオープンで、かのセリーナ・ウィリアムズを下した大坂なおみ選手。 日本人選手がグランドスラムで優勝するという、とてつもない快挙を、たった20歳で果たしてみせた。

そして決勝戦が世紀のドラマになったのも、アメリカではこぞってニュースやモーニングショーが取りあげた。セリーナが審判に文句をいい、スタジアムの観客たちがセリーナを支持して大ブーイングが起きたからだ。

実際に試合に行った友人(元慶應大テニス部)によると、 「スタジアムの98%がセリーナを応援しているような感じ。その観客がいっせいに審判にブーイングしているから、すごい騒ぎだった。特にドームを閉めていたから、音が反響してわんわんしていたくらい。 あのくらいブーイングの嵐が鳴るなかで、自分を応援する人がほとんどいないアウェーの状態で、なおかつ自分のペースを崩さなかった大坂なおみはすごい。 あの精神力が勝利に導いたと思う。勝つのも納得できる試合展開だった」

photo by Eri Kurobe

ということで、まさに四面楚歌のなかで、自分がやるべきことをやって勝った大坂選手の集中力はすごいものだ。 じつはUSオープンに先だって8月25日に、大坂なおみ選手の記者会見に参加したので、その時のことをレポートしたい。

会見では、大坂選手に対して日本語で質問がされて、それに対して大坂選手は英語で答えていた。 これは米国で育った子どもにはよくあることで、親が日本人同士の家庭であっても、子どもはやはり学校で話す英語が第一言語になっていく。

印象的だったのは、どんな質問でも淡々と答えていたことだ。アメリカの選手だと表情も豊かで、ジェスチャーも大きかったりするものだが、大坂選手は表情もあまり変わらない。20歳にしては非常に落ちついているように見えた。

 

大坂選手は注目のプレイヤーとして、8月23日付けでNYタイムズでも大きく取りあげられた。 『Naomi Osaka’s Breakthrough Game』という記事だ。

 

このなかで、記者は日本の『hafu』(ハーフ)問題を取りあげ、2015年に宮本エリアナがミスジャパンの称号を得た時に、「日本人に見えない」という否定的な意見があったことが例に出していた。

それに比べると、アスリートの大坂なおみは、スポンサーにも恵まれているし、ファンにも受けいれられているとしつつも、ある日本人のテニスファンの言葉として、

「なおみ選手のことはみんな応援していますよ。でも錦織圭とは違う。日本のファンたちは純粋に日本人パワーできた選手を好きな傾向があるんです」

と言うコメントを掲載し、日本社会が日本人であることのピュアさを求める傾向を指摘した。

これはなにも日本だけの話ではなく、いまや多くの国で二重国籍や移民のアスリートがいるが、勝てば自国の選手として褒めたたえられるが、いったん負ければガイジン扱いされやすい傾向がある。

記者会見では「NYタイムズの記事を読みましたか」という記者の質問に対して、「もちろんです」と答えた大坂選手。 「どう思われましたか」という質問に、彼女はこう答えていた。

「あの記事が出た翌日に、私と同じようなハーフの子たち(ユースのプレイヤーたちのことだと思われる)がたくさんやってきて、自分たちも同じだ、といってくれたのです。 その時、私は子どもたちにとって、尊敬される存在でいたいと思いました。同じような子どもたちにとって見あげる存在になれたら、と思います」

英語ではふつうバイレイシャル、あるいはミックスドレイスという単語を使うが、あえて大坂選手は日本語である「ハーフ」という単語を使っていた。 自分が同じ境遇のハーフの子どもたちのロールモデルになれたら、という彼女の言葉には胸を打たれた。

彼女は国籍の話をしたのではなく、ふたつの異なる文化背景(あるいはそれ以上もあり得える)人たちのことを考えて答えたのだ。 ハーフという言葉には言外に「半分だけ」日本人という意味が含まれている。長い間、日本人というのは全部日本人の単一民族という考えがあり、そのなかで「ハーフ」は「半分だけ」の日本人という区別をしてきたのだ。 バイレイシャルの子どもたちは社会のなかで、自分の軸足をどこにおくか、自分は何者であるのかというアイデンティティを迷走しがちなことがある。

そうした子どもたちにとって、大坂選手はあらたなロールモデルになるはずだ。 セリーナ・ウィリアムズが出た時も、多くのブラックの子どもたちにとってスーパーヒロインとなった。白人の牙城であったテニス界に風穴をあけて、有色人種でも勝てるのだ、と思わせてくれたからだ。

実際にウィリアムズ姉妹やタイガー・ウッズが果たした役割は非常に大きい。 大坂選手の強さもまた、さまざまなバイレイシャル、マルチレイシャルの子たちにとって「アジア系でも勝てるのだ」「自分は自分でいいのだ」というメッセージを送ったはずだ。

大阪で生まれ、日本の国籍を持ち、ハイチに父方のルーツを持ち、北海道に母方のルーツを持ち、子どもの時からアメリカで育ってテニスの腕を磨く。そのどれが欠けても、大坂なおみではない。全部があって彼女なのだから。

子どもの頃からの夢であった「セリーナと決勝戦で戦う」夢を果たしたのに、会場からのブーイングは、彼女にとってもつらいものがあったろう。 泣き顔を隠そうとサインバイザーを深くかぶり、勝者であるのに、「こんな試合結果になって、申しわけないです」といって、ぺこりと頭をさげた大坂選手。 そしてセリーナに対戦できたお礼まで述べた謙虚さ。その様子には日本の仕草を感じる。

アグレッシブな国際選手が多いなかで、 「自己主張をしなくても、チャンピオンになれるのだ」 「冷静に自分をやるべきことをやることで、勝利に導くことができるのだ」 「謙虚なままでもいいのだ」 というポジティブなメッセージを感じさせてくれた。

セリーナにしても、今でこそアメリカが愛する大スターだが、出たての頃は「ブラックのオンナがテニスで勝ちやがって」という逆風も強かったのだ。男みたいなパワーテニスで、アンチも多かった。 セリーナも20年のキャリアで積み重ねてきたことが、今の地位を築いている。

そして同時に、その裏には女性であること、またブラックであることで、さんざん逆風も受けてきたのだろうし、溜まってきたものがあるから今回あんなに審判にブチ切れたともいえる。

ちなみにこの記者会見では、まったくの別件で驚いたことがある。 某メディアの日本人男性記者から、「今日はきれいにメイクアップされていて美しいですが、そんなご自分を見てどう思われますか」 という質問が出たのだ。

大坂選手はとまどい、「なんといっていいかわからない」と苦笑して流していたが、この質問が出ることじたいがおかしい。

たとえば錦織選手に、「今日は記者会見用にヘアスタイルが決まっていますが、そんな自分を見てどう思いますか」と尋ねるとしたら、あきらかにおかしいとわかるはずだ。 それがおかしな質問だと気付かない時点で、すでにジェンダー意識がずれている。 このような自覚のない女性差別の発言や質問に、しょっちゅう女性アスリートたちは曝されてきたわけだ。

肌の色や国籍で差別を受けることもあれば、前述のように勝てば自国、負ければガイジン扱いされる怖さもよく知っているだろう。 勝ったとたんに、大坂なおみ選手を急に「日本の誇りだ」といいだすのも、また違和感を覚える。

勝っても負けても彼女は彼女であって、バイレイシャルであり、ミックスドカルチャーの選手だ。 ぜひすばらしい日本人選手として日本国内にいるマルチカルチャーな子どもたちにパワーを与えて欲しいし、日本のアスリートたちの励みになって欲しいとは思うが、もし彼女が将来アメリカ国籍を選ぶことになってもそれは個人の選択であって、大坂選手そのものは変わらない。

時代のトップに踊り出た、大坂なおみ選手。きっとこれからも勝ち続けるし、トップアスリートとして時代を築くだろう。 つぎは彼女がぜひ笑顔になれる優勝を見たいものだ。