ニコール・キッドマンに、あの「鼻」のことを聞いてはならぬ。
彼女はもう、その話題、遠の昔からうんざりしているのだ。
だいたい何故みんな、そんなに鼻のことなぞ気になるのか。
マイケル・ジャクソンの鼻ならば、つい話したくなる気持ち、わかるけど。
まあ、確かに映画『めぐりあう時間たち(THE HOURS)』で、実在の女流作家ヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンの容姿は、まったく彼女に見えなくて驚いた。
でも擬鼻をつけての演技だったことが、あまりにも話題になりすぎている。
大きい鼻を気にするユダヤ系の人々が主流を占めるハリウッド業界だからか。
鼻だけじゃなくて、目も口も顔つきも、全部違って見えたけどなあ。
その役柄で、ゴールデン・グローブ主演女優賞を獲得したときにも、授賞式ステージでジャック・ニコルソンから「擬製の鼻をつけてないニコールは、なんて奇麗なんだ」とコメントされて、少し怒ったような苦笑を浮かべていたニコール。
そして、今年3月23日に開催されたアカデミー・オスカー授賞式では、司会者のスティーブ・マーチンから「ニコールは『めぐりあう時間たち』以外の全作品で、擬鼻をつけてたらしいぞ」と、ジョークを飛ばされた。
この日、ニコールは主演女優としてアカデミー・オスカー賞に輝いた。でも感動の受賞発表のときでさえ、デンゼル・ワシントンから「鼻の差で、ニコール・キッドマン!」と、報告されたのだった。

第75回アカデミー・オスカー授賞式で母と一緒のニコール・キッドマン
みんな、しつこいよぉ。
その祝賀の晩、舞台裏でも報道員から「鼻はどこに置いてきたの?」と質問されていた彼女。
が、かくいう私も、じつは彼女に直接その鼻について質問を投げかけた報道員ではあった。アリャ、リャー。
ニコールは「顔について話題を集中させたくないのだけど」と言いながら、答えてくれた。でもそのあと、何度も何度も話題が鼻に寄っていくのを目撃していくうちに「あ、それ聞くの、もうやめなー」という側に、私は回ったのだ。
ニコールは、それよりもウルフの内面的なエッセンスをつかんで演技したのだと言いたがっているのだから。
優れたアーチスト、そして複雑な生い立ちを持ち、最後には自殺で人生を閉じた実在の人物に触れたように感じている彼女なのだから。
じつをいうと彼女に会うまで、それほど彼女のことを気にいっているわけじゃなかった。
名声ある男にひっつくことで有名になり、キャリアを築いた娘だと、思い込んでいたのだ。
いつもトム・クルーズの横で、きれいな服を着込んで、キツい瞳の輝きを奥に秘めながらスラリとそびえ立っていたニコール・キッドマン。
でも知らなかった。
彼女はトムと出会う前から地元オーストラリアでは定評ある女優さんだったということを。そして、じつは彼女が素敵な人だったということも。
私が抱いていた「キツい、したたか娘」のイメージは、「一生懸命頑張って生きる繊細な女」へと変わっていったのだ。
「いままでは結婚生活というものが、私にとって一番優先することだった。でも、いまの私には、仕事と子供たちしか残されていない。独身になったから、女優として成長できる時期だ、というふうには思わないけれど、確かに、演じたいという情熱は結婚していたときよりも強くなった」
と、彼女は私に話してくれた。
22歳で結婚して、ずっと結婚生活が続いていくものだと何の疑いもなく確信していたというニコール。それが、いきなり結婚10年後に、そうならなかったとき、大きな戸惑いを感じたという。
その語り方には心がこもっていたし、まだ傷が治っていなくて、その痛みを忘れるために、いまの自分が共感できるダークなキャラクターを選んで、役に自分を封じ込んでいる。そんな感じを受けた。
同じ女性として同情を寄せてしまいたくなるような、恋に破れた女のもろさ。
ところが、やはり女は強い。
男を切った途端、彼女のキャリアはグーンとのびて、別れた男のほうはその後、なんだか滞っているぞ。
ニコールは去年『ムーラン・ルージュ』で、主演女優部門のゴールデン・グローブ賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた。
そしてついに今年、“鼻やかに”アカデミー・オスカー受賞に輝いたのだ。
受賞スピーチでは、9月11日のテロ事件、そして今回のイラク戦争で家族を亡くした人々への想いを語り、だからこそ自分の家族の大切さを噛みしめていると涙ながらに訴えた。授賞式に同行した母親と娘に、自分のことを誇りに思ってもらいたいと願い続けてきたことを告げる彼女。
なんか、やっぱり男を失った女性ならではの女っぽさが漂っていたな。
男なき人生、帰るところは女友達、そして女家族。
「トム・クルーズの妻」として知られていた彼女。
いつかトム・クルーズを「ニコール・キッドマンの前の夫」と、大衆に呼ばせる日がくるのだろうか。
©2003 Yuka Azuma