私が最初にデンゼル・ワシントンにインタビューしたのは、もう22年以上も前のこと。
ジョギングスーツ姿で現れた彼が、あまりにリラックスした雰囲気で、まったく気取りのないイイ人だったことに驚いた。
デンゼルはいまも、そのときとあまり変らない。
大スターになっても、人あたりの良いナイスな雰囲気や、ゆったりした自然体はそのまま。
まるで友達と話すように接してくれるから、一緒にいるだけで幸せな気分になってしまう。
「息子はフットボールをやっているんだよ」と、財布から家族の写真をとりだして嬉しそうに見せてくれたこともある。
彼の財布は皮のふちが剥げるまで、かなり使いこなされていた。
そんなところにも庶民を感じて微笑ましかった。
それに、この人は年をとらない!
デンゼルは現在、57才。
お肌もツルツルだし、どうして、いつまでもそんなに若々しくいられるの、あなたの美容の秘訣は?
そんなことを、アカデミー賞ノミネーション5回、オスカー授与2回の実力派の大俳優デンゼル・ワシントンに思わず聞いてしまった私。

© Academy of Motion Picture Arts and Sciences
「あまり、やりすぎないこと」と、彼は即答した。
「女性諸君! 君たちはいろいろ顔につけすぎる。
ただ洗顔して、ちょっとばかりローションをつけて、おしまい。それで良いんだよ。
こすり落としたり、いろんなものをぬったりつけたり‥‥そんなやっかいなこと、ぼくは何もしないよ。
アイボリー・ソープで洗顔して少しだけローション、それで充分なんだ!」
アイボリー・ソープは、日本の牛乳石鹸みたいなもので、あまりに一般的で庶民的。
「シンプルがいちばん」という彼を目の前に、きっとこういう人は人生もシンプルに生きていけて幸せなのだろうなあと、しみじみ屈託のない笑顔を見つめてしまう。

© 2012 UNIVERSAL STUDIOS 『デンジャラス・ラン』日本公開9月7日
それに、彼は正直だ。
ハリウッド・スタジオ重役らが未映画化の脚本の中から優秀作品を人気投票する「ブラックリスト」。
デンゼル・ワシントンの久々の新作『デンジャラス・ラン』の脚本は、2010年の「ブラックリスト」のトップ5にランキングされた話題の脚本だ。
それについて質問すると、デンゼルは「それは知らなかった」と驚いた。
「ぼくは、書き直しが必要な脚本だと思ったけれどね。ぼくのブラックリストには入らなかったかも」と、あまりにも率直。
それで彼は『デンジャラス・ラン(Safe House)』の監督ダニエル・エスピノーザと5ヶ月の間、毎日8時間、ミーティングを重ねて脚本を書き直したのだ。
「デンゼルほどハードに働く人は、他にはいない」と、エスピノーザ監督は語っていた。
デンゼルと共演した役者もみんな口を揃えて、いかにデンゼルが下調べをして準備万端の状態で撮影現場に現れるプロであるかと絶賛している。
そんな勤勉に時間をかけなくても仕事をこなせる身分なのに、なぜ大スターとなったいまもそんなにハードに働くのですか、と私は彼に問いかけた。
「適当に仕事をこなしていたときもあったよ。
だけど、2005年に『ジュリアス・シーザー』で舞台に立ち、2010年に『フェンシズ』の舞台をやった。その演劇の経験が自分の仕事について、改めてぼくに考えさせる体験となったんだ。
どんなに仕事が大切で、どうやって自分の仕事をやるべきか、ってことをね」
そして彼は、私のような職に就く人たちのことも思いをめぐらす。
「ぼくの仕事に限らず、どんな仕事でも、慣れれば適当にその場をうまく切り抜けることが簡単になる。経験を積むと近道ができるようになる。その場でなんとかなるさ、と思ってしまう。
”映画はどうでしたか””キャラクターについて語ってください”と、この2つの質問を書くだけで準備はオーケー、となる。
あとはデンゼルに適当に喋らせれば良い。彼はなにか気の利いたことを話すだろうから、っていう風に、容易になるんだ(笑)」
えっ! それって、私のこと!?
じつに、私の仕事ぶりみたいなんですけど。
彼のコメントに回りの人たちは大笑いで、和やかな雰囲気。
でも、私は苦笑しながら、”デンゼルが私のことを喋ってるぅ”と、反省!
「だけど、ぼくは自分がどれだけプロセスを楽しんでいるか、ってことを思い知らされたんだよ。そして監督したことも、それを思い起こす体験となった。
だから、この4~5年、ぼくは改めてハードに働くようになったんだ。
舞台で共演したベテラン役者が、自分のキャラクターについて膨大なメモを用意していた。そこには彼女がなにを食べ、なにを好み、なにが好きでない人なのか、いろんな詳細がいっぱい書き綴られていた。
ああ、そういえば昔は、ぼくもそんな風に準備していたものだと、思いだした。だから映画『デンジャラス・ラン』でも、次回作の『フライト』でも、ぼくはそれをやった。
基本に戻らなきゃならない、って思い起こしたんだよ」
いくら気さくでも、いくら冗談をとばしても、彼は真面目な人だ。
私の1つの質問に、ゆっくり真剣に答え続けてくれる彼。
「ミュージシャンでも同じさ。偉大なジャズのサックス奏者ソニー・ロリンズも、キャリアのトップにいるとき、なにかを失ったように感じた。
それで彼は毎晩、ここNYのブルックリンの橋に行って練習した。
お金儲けのためじゃない。カーネギーホールで演奏するためじゃない。
ただ、ベターになるために練習し続けたんだ。
ときには、ぼくたちは自分たちに問いかけなくてはならない。
自分は持って生まれたすべての才能を使っているか。
いままでより、ベターになっているか。
ぼくはただ、ベターになろうとしているだけなんだよ」
© Yuka Azuma 2012