ヴィダル・サスーン。
それがシャンプーの名前だと思っている10代、20代の若者がいるという。

ヴィダル・サスーン氏、自宅にて/April 2011 PHOTO : © Michael Gutstadt
美容師でなければ仕方ないが、サスーンが誰なのか知らない、というスタイリストに東京のサロンで会ったときには、さすがに驚いた。
そんな美容師さんには、「キミたち!! これを読まなきゃ!」と、この本を投げ出したくなる。
ジャジャーン!
ヴィダル・サスーン自伝本がついに日本発売!
訳者はワタクシ。
なんともラッキーなことに。
ヴィダル・サスーンーー。
彼がいなければ、いまのヘアスタイルは違うものになっていただろう。
セットヘアからスウイング・ヘアへ。
揺れ動くヘアはいまではあたり前だが、それはサスーンがヘア革命を起こしたゆえの結果なのだ。
夜ローラーを巻いて寝たり、毎週美容院で洗髪するしかなかった女性たちを解放し、60年代、70年代、ファッションだけでなく人々のライフスタイルにも最大な影響を与えた彼。

ヴィダル・サスーンの1965年のヘア作品
PHOTO : Barry Lategan
戦時中、孤児院で育った青年だ。
イスラエル建国のために戦いを志願した兵士でもあった。
14歳のときに無理矢理、母親にサロンに連れていかれて見習いとなる。
そのロンドン育ちのシャンプーボーイが最も有名なヘアドレッサーとなり、美容界を変え、社会を変えていく。
そして彼は人を助けていく。多くの人々をーー。
彼の自伝には感動させられた。
そしてその翻訳作業は長い道のりだった。
結果は、この本、分厚く506ぺージ。
ヴィダル・サスーンの82年の長い人生が圧縮されているのだ。
アート、ファッション、映画・舞台、音楽、スポーツ、政治界の著名人らと交流する華麗な人生。美容師という職が世間から高く評価される職業でなかった時代に、一人のヘアドレッサーがその社会の見解を変えていったのだ。
革命の男は名声を思うままにし、テレビにレギュラー出演し、世界を旅し、国際的な活躍を遂げる。
でも、裏では悲しいことも起きた。
私は自伝を訳しながらホロリと泣いた。彼の綴る母親の描写には心を打たれた。
幼い貧しい少年が抱く母親への健気な愛、弟への愛情、それは心に染む。

自宅でインタビューに応じるヴィダル・サスーンと筆者。 PHOTO : © Michael Gutstadt
日本での「ヴィダル・サスーン自伝」発売を記念して、2011年春、私はサスーンの自宅を訪問してインタビューをした。
ロサンゼルスのベルエアの丘の上に建つ建築家リチャード・ノイトラが手がけた平屋で、中に入った途端、大きなガラスの壁越しに、緑の美しい庭や丘の下に広がる素晴らしい景観に包まれる。
芝生に囲まれたプールや人工池のある庭には、イサム・ノグチが自ら設置したという石も設置されている。
ミニマリズムを思わせるクリーンなインテリアで、モダンアートの逸品がさりげなく飾られる空間。
そのお洒落で清閑なスペースにぴったりの雰囲気でスラリと背筋を延ばして佇むヴィダル・サスーンは、とても83歳とは思えない。
素敵な奥様のロニーは、私とカメラマンのためにランチまで用意して迎えてくれた。
夫婦のツーショットを撮影したいと頼むと「もう若くてきれいじゃないから」と嫌がる彼女に「大丈夫だよ、いいじゃないか」とサスーンが声をかけ、ふたりの撮影も実現。
そして、立ち去る奥様に優しく微笑むサスーン。
「もう彼女と連れ合って、22年になります。ぼくは62歳で、彼女は30代でした」と嬉しそうに語る彼。
サスーンはずいぶん、奥様に惚れ込んでいる。それは彼の彼女への眼差しを見るだけでもわかる。
「妻を必要とする男」の側面は自伝にもしっかり描かれている。
美女に囲まれる仕事をしながら、案外、女性に対して弱いところがあり、私はなぜかそこに寂しさを感じる。
母親を慕った小さな男の子が、同じような気持ちで女性を慕うのだなあ‥‥。

サスーンと筆者 PHOTO : © Michael Gutstadt
「あなたは、それは多くの友達に恵まれていますね」と、華やかな社交生活をうらやましく思いながら彼に伝えると「そうかな?」と返ってきた。
「みんな死んでしまったけれど」
ああ、確かに。彼の人生を彩った個性的な友人たち。
そしていま、彼自身も白血病と戦っているのだ。
あなたは死に対して、平和な気持ちを抱いていますか?
「ええ。ぼくは最近、3週間半、入院しました。いつ逝ってもおかしくない状態でした。それはなんとも奇妙なフィーリングでした」と、彼は答える。
「そして、突如、ぼくは微笑み始めたのです」
と言うと、彼はそれは美しい、天使のような微笑みを浮かべた。
「ぼくはワンダフルな人生を歩みました。そして、ほかの人たちに何かを与えた! それがとても重要なことなのです。
悪かったと心残りになることなど、何ひとつ、ありません。
ただそこにあるのは、これから起きることだけ。
じつに、素晴らしい人生だった。
そういう境地に至ったのです。
ところが、その2日後、ぼくはベッドから追い出されました(笑)。そして、歩きなさい、と言われたのです」
Copyright: 2011 Yuka Azuma
・サスーンの自伝 記念インタビュー記事は髪書房の「BOB」「Ocappa」「NEXT LEADER」3誌の2011年7月号に掲載。
ヴィダル・サスーン自伝本はこちらで購入できます!
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