ヴィダル・サスーン
なんて輝かしい華麗な名前だろう。
彼の名前がつくだけでシャンプーであろうと何だろうと、カッコイイと感じてしまう。

ハサミで世界を変えた一人の男、ヴィダル・サスーン。
カット&ブローの革新的なスタイルを彼がクリエートするまでは、多くの女性が美容の奴隷だったのだ。

セットに週2~3日サロンに通いローラーを髪に巻いて寝るという生活から女性を解放したサスーン。洗ってすぐに外出できるカッコイイ、デザイン。

美容界はもちろん、女性のライフスタイルにも斬新な影響を与えたアーチスト、ビジネスマン、ヘアスタイリスト。

ヴィダル・サスーン Copyright: Vidal Sassoon the Movie

そんな彼はいま82歳。
年を重ねれば重ねるほど、さらにカッコよくなる男性のお手本だ。
ブラピ、ジョージ・クルーニー、いろいろ素敵な人たちに会ってきたが、サスーンほどオーラのあるカッコイイ紳士に私は会ったことがない。

サスーンに初めて会ったのは、ビバリーヒルズのホテル。彼が77才の時だった。
上品なスーツを着こなして姿勢良く立つ紳士が目の前に現れたときには、 目がくらんだ。
背筋をしっかり伸ばし、身のこなしもスマートで、甘く清潔な笑顔があまりにチャーミング。
彼はいまが最高のルックスだ。この人は若い頃よりも、いまがうんと魅力的な人なのだと感じた。

そのときのインタビューで、彼が語ったことも印象的だった。

「夢をもちなさい。夢を持ち続けることが大切だ。
夢を持てば、それで失敗することは決してない」

そのあと、ニューヨークのパーティで再会したサスーンは相変わらず素敵だった。
オーラに包まれた彼の回りにはどうしても人が群がる。彼はやはり背筋をしっかりと伸ばして起立したまま談話を続けた。
80歳になっても、まだ週4日、1マイル(1600 M)泳ぐのだと教えてくれた。

彼の容姿と身のこなしと喋り方は、まったく老人のイメージが合わない。
老人になっても魅惑的でいられるのは、姿勢が関係あるのかもしれないと気がついた。
過去ばかり見て溜め息をついていたら、どうしても下ばかり見て足踏みしてしまう。そして背中も曲がっていく。

でも、“いま”というときをエンジョイして夢を持って前進していく人はしっかり顔を上げて歩いていくから、姿勢も良くなるのかもしれない。

サスーンは前を向いて歩んできた。
ロンドンの孤児院で育ち、大恐慌を生き抜き、ユダヤ人としてイスラエルで軍人となり、14歳で学校をやめ、ロンドンでシャンプーボーイとして美容界に入り込んだ。
美容界を10年のうちに変革できなかったら、やめて建築家になろうと思っていた。そして彼はやり遂げたのだ。

熟年のとき、サスーンは「自分の人生は他人の言葉ではなく、自分で語りたい」と言って自伝本を書き始め、その執筆を終えたところだ。

そして、ヴィダル・サスーンのドキュメンタリー映画『ヴィダル・サスーン・ザ・ムービー』の完成。

『ヴィダル・サスーン・ザ・ムービー』 Copyright: Vidal Sassoon the Movie

今年4月23日、トライベッカ映画祭でワールドプレミアが開催された。

「人生はおとぎ話のようにハッピーエンドが続くわけじゃない。
ときにはガックリ落胆もある」と、サスーンは映画でも語っている。
彼の人生は山あり、谷あり。トップへと駆け登ったし、悲しい出来事も起きた。

「プレミア参加予定でしたが、ヴィダルは肺炎のため、ロスアンジェルスからニューヨークに来ることができませんでした」と、プレミア会場でアナウンスがあった。
美容界のアイドルを一目見たいと心を躍らせていたファンたちはガッカリしたが、サスーンの息子と娘が来場した。

じつは、サスーンの息子イランの奥さんのアドリアナは、私の長年の親友だ。
プレミア試写の後、私はイラン・サスーン夫妻と一緒にタクシーに乗り込んで、プレミア・パーティ会場へと向かった。

イランがタクシーに乗り込むなり携帯をとりだして「映画は素晴らしかったよ」と、父親ヴィダルにテキスト・メッセージを送っていたのが微笑ましかった。

パーティが開催された「スタンダード・ホテル」のロビーのインテリアが、このサスーン映画で描写されていた構築的なデザインと通じるものがあったので、アドリアナは大喜びで写真を撮りまくり。もうこのときから私たちはパーティ気分。

トライベッカ映画祭のプレミアに参加した ヴィダルの息子イラン・サスーンと妻アドリアナ

そのあとホテル3階のパーティ会場へと入るときのセキュリティ・チェックで、名前を聞かれた彼女は一言。

「サスーン」

な、なんて、カッコいいんだー! その一言で、パス。
結婚したがために、なんて華麗な名前になってしまったのか。
私は親友のラストネームの響きに改めて感動しながらパーティ会場へと入り、飲み放題のワインにハメをはずし、大爆笑の晩となった。

そして、そのあと。
アドリアナをホテルにおろした後、帰りのタクシーの中で一人、私は観たばかりのドキュメンタリー映画とヴィダル・サスーンの人生を思い出して、しんみり。
得体の知れない感動と同情が心を揺さぶっていた。

ヴィダル・サスーン。
そのカッコイイ名前。でも、その自分の名前の権利さえ、いま彼は持っていない。
離婚で財産を分ける必要があったのだろう。80年代、彼はあまりに有名な自分の名前と、その名のついたヘアプロダクト権利を他の会社に売ってしまったのだ。

最近、息子イランが彼の名前の権利を買い戻そうと試みた。でも、それは実現しなかった。
だけど彼の名前が永遠に華麗なイメージを持つものであることに変わりはない。彼の哲学と技術も後世に引き継がれている。

「僕は家を失った者の痛みをよく分かっているから」
ヴィダル・サスーンは現在、ニューオリンズのハリケーン・カトリナ被災者のために家を建築して住処を提供している。
そしてニューオリンズ復興へのヘルプを美容界に呼びかけている。

いまでも、前を向いて歩んでいる。
ヴィダル・サスーン、最高にカッコイイ。

2008年、ヴィダル・サスーンと息子イランと著者

Copyright: 2010 Yuka Azuma / あずまゆか

サスーン映画プレミア・レポートは、髪書房『BOB』誌面でもお届けします。詳細はこちらまで。