2年前の夏、ニューヨークに住む私の子供を東京の公立小学校に一時入学させた。
私は学校への提出書類の備考欄に、こう書いた。

「子供たちには給食でイルカを食べさせないでください」

東京でタクシーに乗りながらその話を日本人の親友に話したら
「エーッ。変ったファンキーなお母さんだと思われたでしょうねー」と、大笑い。

「グリーンピース」のウェブサイトで、水銀を多く含むイルカ肉を給食で子供に与えるのは危険だと日本への警報が出ていたと言っても、信じてもらえなかった。
タクシーの運転手まで笑って「イルカは食べませんよ」と、話に入ってきたのだ。

ところが、このアカデミー賞オスカー受賞に輝いた長編ドキュメンタリー『ザ・コーヴ』の封切りだ。他にもなんと46もの映画祭で受賞を総嘗めにした大絶賛作品だ。

私がこの映画を知ったのは、レオナルド・ディカプリオの環境保護サイトで紹介されていたからだ。
彼は「素晴らしいドキュメンタリーだ」と、私に薦めた。

世界の目が、イルカ漁を営む日本の小さな町に向けられた。

追い込みで“入り江” (映画タイトルである“コーヴ”)に閉じ込められるイルカ。
いくつかは高額で世界中の水族館などの施設へと売られ、残りのイルカは鉄の槍で突き刺され、美しい青い海が真っ赤に染まる様子が映し出されたのだ。

そして、そうやって捕殺されたイルカは食べるのが危険なほど水銀汚染されている、と映画は訴える。

事実は、ときに私たちを苦しめる。
ドキュメンタリーの映像はただそのままを映すから、うそがつけない。

イルカを愛する人は世界に多い。
食用されていることに驚き、「追い込み猟は非人道的だ」という非難へとつながった。

日本各地で年2万頭のイルカが捕獲される中、大地町がスポットライトを浴びたのは「追い込み猟」だからだ。
「いまはもっと苦しみが少ない改善された殺し方をしている」という主張を信じたいが、じつはそうでないことが露になった。

隠し撮りは、卑怯だという。
「この実態を伝えるためには他に方法がなかった」と、映画の監督ルイ・シホヨス監督はコメントする。
彼らは撮影させて欲しいと大地町に交渉したが、撮影許可はおりなかった。

入り江のある国立公園にはバリケードがめぐらされ、番犬がおかれ、町に住む人たちさえ入れない。津波の避難場所でもある入り江の上の津波公園も閉鎖され立ち入り禁止となる。トンネルを誰かが通る度にセンサーが鳴り、警官が来る仕組みになっている。

秘密をそのまま封じていて良いのかと、映画は問う。
隠された側面を暴露していかなければ状況は良くなっていかないと、フリーダイバー世界チャンピオンらが、この危険な隠し撮りに参加した。

多くの日本人さえ知らなかったイルカ漁の実態、そして健康への警鐘。
私たち日本人が知る権利のある情報が、この作品には織り込まれている。

学校給食でイルカ肉を食べさせたら大変なことになると水銀値調査結果を発表した町議会議員2名がヒーローとして映されている。彼らのお影で、大地町ではイルカ肉の給食配布が停止されたのだ。

その議員の子供への風当たりが強かったのは、あまりに気の毒な話だ。子供たちの健康を考えて真実を発表した議員は感謝されるべきなのに。

多くの日本人が耳をふさいで聞きたくない、観たくないと反発している。

姉妹都市であったオーストラリアのブルーム市が去年の夏、太地村との姉妹都市関係を解消した。

「問題は殺の方法であり、太地町が水銀汚染されていると知りながら、イルカ肉を市場に出し続けていることである」と、ブルーム市は発表している。

世界動物園水族館協会でさえ、イルカの「追い込み猟」の中止を正式に日本政府に要請した。そして各水族館に追い込み猟で生け捕りにされたイルカを購入しないようにという警告を出している。

イルカや鯨を食べてなにがわるい。
いや、わるくはない。それは個人の勝手だ。ただ、その鯨はどう捕獲されるのか。

鯨は19世紀にあまりに捕獲しすぎたため、回復には100年かかるとも言われ、海洋生態系はかなりのダメージを受けている。世界は自分たちの行動を見直し、国際捕鯨委員会は「商業捕鯨」を禁止した。

そして、1994年、南極海が国際的に「鯨の保護区」として指定された。

ところが、 日本は唯一、この南極海で絶滅危惧種を含む1000頭以上のクジラを毎年、捕殺している国なのだ 。
「商業捕鯨」が禁じられているので「科学調査」だと表向きの理由を掲げてだ。

そしてイルカ狩り同様に、鯨の殺し方が問題になっている。そこに世界は憤りを感じているのだ。
殺さず調査をするようにという要請をけり、国民の税金を使って、自分たちの食文化を遂行していく島国。

今年2月、オーストラリアのラッド首相やスミス外相は、日本が今年11月までに「調査捕鯨」をやめなければ国際法廷に提訴すると発表した。

それを受け、まず日本がしたことは「商業捕鯨」の解禁を国際捕鯨委員会に要請することだった。

クロマグロにしても、世界が禁輸措置をとって絶滅の恐れから守ろうとする中、日本が中心となって大反対した。
世界のクロマグロの消費量の8割を食べている日本人。

問題になっているのは「イルカや鯨を食べるのがいけない」という議論ではなく、「日本は野生動物の滅亡や虐待を無視した消費地である」という非難だ。
日本人は自然と共存する平和な国民であるはずなのに。

アメリカの人気アニメ・テレビ番組『サウスパーク』にさえ、槍を手にむやみにイルカや鯨を殺す日本人がメインテーマとなって登場する始末だ。これは、かなりまずい。
日本には捕鯨以上に豊かな文化があるのだから。

『ザ・コーヴ』への反応が「牛や鶏を殺しておきながらイルカや鯨を食うなと訴えるな」というのは、どうだろう。
イルカ猟反対の活動家の多くは『ザ・コーヴ』の監督のように、肉を食べない人たちだということを日本人は知らないのかもしれない。

「日本は対抗して家畜の屠殺の惨さを表す映画を作るべきでしょう」と、あるテレビ番組のアナウンサーがコメントしていたが、それは『ザ・コーヴ』のフィルムメーカーたちが望むところだ。

じつに監督は、人間が動物たちにもたらす苦難を描いたドキュメンタリー『アースリングズ』(菜食主義の俳優ホアキン・フェニックスがナレーション)に感化され、『ザ・コーヴ』のスタッフたちにもその作品を観るように薦めたのだ。

動物愛護の活動家たちは家畜の工場式生産法にも反対だし、絶滅危惧種の魚や乱獲されているフカヒレも食べないし、多くはベジタリアンだ。

でも、この映画『ザ・コーヴ』は生き物を食べる人たちへの非難を描くものではない。

家族愛があるため、1頭でも友や家族が捕まれば見捨てて逃げはしないイルカは簡単に群れで捕まってしまう。そんなイルカの苦悩は観るに辛い。

でもこの映画が人々の心を打つのは、ある 一人の男、イルカを愛する70歳のリック・オバリーのドラマである。
彼のイルカへの愛と情熱的な献身が、世界中の多くの人々を感動させているのだ。

リック・オバリーは罪の意識を背負っている。
彼は60年代の人気テレビ番組「わんぱくフリッパー」のイルカ調教師だった。彼自身が撮影用に5頭を捕獲して訓練したのだ。

この番組の人気がきっかけで、イルカのショーを催す水族館やイルカと一緒に泳げる施設など、イルカが巨大ビジネスになってしまったのではないかと悔やんでいる。

フリッパー役のイルカがストレスで死んでいくのを目撃したのを機会に、彼は変った。
イルカは自由に広い海を泳ぐべき生き物であり、人間のエンターテイメントのために捕われるべきではないと悟った彼は、それからの38年をイルカ解放の活動家として貫いてきたのだ。

そのまま変らず生活を続けていれば、裕福で楽な人生を送れたことだろう。
イルカを捕獲して訓練すれば一頭 14万ドル(約1千260万円)で売り飛ばせるのだ。

でもリックはお金よりイルカの幸せに貢献する人生を選んだ。

「こうして僕が日本から離れている間は、イルカが殺されていくのを阻止できない。そう思うと、いてもたってもいられない」と、溜め息をつく彼。

彼は純粋にイルカを愛しているのだ。
彼の目を見て欲しい。そこには、ただ、哀しいまでの愛しかない。
世界中のイルカが自由の身で広い海で生活することを望んでいるだけ、なのだ。

彼にとってはアカデミー・オスカー受賞式も、イルカ救助への世界的意識が広まる機会だった。
お祝い気分のこの日も、リックはイルカ狩りシーズンの開幕である9月1日に入り江に行ってイルカ解放を訴えようという話をしていたようだ。

アカデミー・オスカー授賞式の壇上で、リック・オバリーはイルカ救助への募金を訴えた

ダリル・ハンナやスティングやベン・スティラーが同行すると、彼に伝えた。

イルカを救いたい。ただ、それだけなのだ。
あなたはこれほどの情熱を持って、なにかを救いたいと思ったことがあるか。

Copyright: 2010 Yuka Azuma / あずまゆか

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