2年前の夏、ニューヨークに住む私の子供を東京の公立小学校に一時入学させた。
私は学校への提出書類の備考欄に、こう書いた。
「子供たちには給食でイルカを食べさせないでください」
東京でタクシーに乗りながらその話を日本人の親友に話したら
「エーッ。変ったファンキーなお母さんだと思われたでしょうねー」と、大笑い。
「グリーンピース」のウェブサイトで、水銀を多く含むイルカ肉を給食で子供に与えるのは危険だと日本への警報が出ていたと言っても、信じてもらえなかった。
タクシーの運転手まで笑って「イルカは食べませんよ」と、話に入ってきたのだ。
ところが、このアカデミー賞オスカー受賞に輝いた長編ドキュメンタリー『ザ・コーヴ』の封切りだ。他にもなんと46もの映画祭で受賞を総嘗めにした大絶賛作品だ。
私がこの映画を知ったのは、レオナルド・ディカプリオの環境保護サイトで紹介されていたからだ。
彼は「素晴らしいドキュメンタリーだ」と、私に薦めた。
世界の目が、イルカ漁を営む日本の小さな町に向けられた。
追い込みで“入り江” (映画タイトルである“コーヴ”)に閉じ込められるイルカ。
いくつかは高額で世界中の水族館などの施設へと売られ、残りのイルカは鉄の槍で突き刺され、美しい青い海が真っ赤に染まる様子が映し出されたのだ。
そして、そうやって捕殺されたイルカは食べるのが危険なほど水銀汚染されている、と映画は訴える。
事実は、ときに私たちを苦しめる。
ドキュメンタリーの映像はただそのままを映すから、うそがつけない。
イルカを愛する人は世界に多い。
食用されていることに驚き、「追い込み猟は非人道的だ」という非難へとつながった。
日本各地で年2万頭のイルカが捕獲される中、大地町がスポットライトを浴びたのは「追い込み猟」だからだ。
「いまはもっと苦しみが少ない改善された殺し方をしている」という主張を信じたいが、じつはそうでないことが露になった。
隠し撮りは、卑怯だという。
「この実態を伝えるためには他に方法がなかった」と、映画の監督ルイ・シホヨス監督はコメントする。
彼らは撮影させて欲しいと大地町に交渉したが、撮影許可はおりなかった。
入り江のある国立公園にはバリケードがめぐらされ、番犬がおかれ、町に住む人たちさえ入れない。津波の避難場所でもある入り江の上の津波公園も閉鎖され立ち入り禁止となる。トンネルを誰かが通る度にセンサーが鳴り、警官が来る仕組みになっている。
秘密をそのまま封じていて良いのかと、映画は問う。
隠された側面を暴露していかなければ状況は良くなっていかないと、フリーダイバー世界チャンピオンらが、この危険な隠し撮りに参加した。
多くの日本人さえ知らなかったイルカ漁の実態、そして健康への警鐘。
私たち日本人が知る権利のある情報が、この作品には織り込まれている。
学校給食でイルカ肉を食べさせたら大変なことになると水銀値調査結果を発表した町議会議員2名がヒーローとして映されている。彼らのお影で、大地町ではイルカ肉の給食配布が停止されたのだ。
その議員の子供への風当たりが強かったのは、あまりに気の毒な話だ。子供たちの健康を考えて真実を発表した議員は感謝されるべきなのに。
多くの日本人が耳をふさいで聞きたくない、観たくないと反発している。
姉妹都市であったオーストラリアのブルーム市が去年の夏、太地村との姉妹都市関係を解消した。
「問題は殺の方法であり、太地町が水銀汚染されていると知りながら、イルカ肉を市場に出し続けていることである」と、ブルーム市は発表している。
世界動物園水族館協会でさえ、イルカの「追い込み猟」の中止を正式に日本政府に要請した。そして各水族館に追い込み猟で生け捕りにされたイルカを購入しないようにという警告を出している。
イルカや鯨を食べてなにがわるい。
いや、わるくはない。それは個人の勝手だ。ただ、その鯨はどう捕獲されるのか。
鯨は19世紀にあまりに捕獲しすぎたため、回復には100年かかるとも言われ、海洋生態系はかなりのダメージを受けている。世界は自分たちの行動を見直し、国際捕鯨委員会は「商業捕鯨」を禁止した。
そして、1994年、南極海が国際的に「鯨の保護区」として指定された。
ところが、 日本は唯一、この南極海で絶滅危惧種を含む1000頭以上のクジラを毎年、捕殺している国なのだ 。
「商業捕鯨」が禁じられているので「科学調査」だと表向きの理由を掲げてだ。
そしてイルカ狩り同様に、鯨の殺し方が問題になっている。そこに世界は憤りを感じているのだ。
殺さず調査をするようにという要請をけり、国民の税金を使って、自分たちの食文化を遂行していく島国。
今年2月、オーストラリアのラッド首相やスミス外相は、日本が今年11月までに「調査捕鯨」をやめなければ国際法廷に提訴すると発表した。
それを受け、まず日本がしたことは「商業捕鯨」の解禁を国際捕鯨委員会に要請することだった。
クロマグロにしても、世界が禁輸措置をとって絶滅の恐れから守ろうとする中、日本が中心となって大反対した。
世界のクロマグロの消費量の8割を食べている日本人。
問題になっているのは「イルカや鯨を食べるのがいけない」という議論ではなく、「日本は野生動物の滅亡や虐待を無視した消費地である」という非難だ。
日本人は自然と共存する平和な国民であるはずなのに。
アメリカの人気アニメ・テレビ番組『サウスパーク』にさえ、槍を手にむやみにイルカや鯨を殺す日本人がメインテーマとなって登場する始末だ。これは、かなりまずい。
日本には捕鯨以上に豊かな文化があるのだから。
『ザ・コーヴ』への反応が「牛や鶏を殺しておきながらイルカや鯨を食うなと訴えるな」というのは、どうだろう。
イルカ猟反対の活動家の多くは『ザ・コーヴ』の監督のように、肉を食べない人たちだということを日本人は知らないのかもしれない。
「日本は対抗して家畜の屠殺の惨さを表す映画を作るべきでしょう」と、あるテレビ番組のアナウンサーがコメントしていたが、それは『ザ・コーヴ』のフィルムメーカーたちが望むところだ。
じつに監督は、人間が動物たちにもたらす苦難を描いたドキュメンタリー『アースリングズ』(菜食主義の俳優ホアキン・フェニックスがナレーション)に感化され、『ザ・コーヴ』のスタッフたちにもその作品を観るように薦めたのだ。
動物愛護の活動家たちは家畜の工場式生産法にも反対だし、絶滅危惧種の魚や乱獲されているフカヒレも食べないし、多くはベジタリアンだ。
でも、この映画『ザ・コーヴ』は生き物を食べる人たちへの非難を描くものではない。
家族愛があるため、1頭でも友や家族が捕まれば見捨てて逃げはしないイルカは簡単に群れで捕まってしまう。そんなイルカの苦悩は観るに辛い。
でもこの映画が人々の心を打つのは、ある 一人の男、イルカを愛する70歳のリック・オバリーのドラマである。
彼のイルカへの愛と情熱的な献身が、世界中の多くの人々を感動させているのだ。
リック・オバリーは罪の意識を背負っている。
彼は60年代の人気テレビ番組「わんぱくフリッパー」のイルカ調教師だった。彼自身が撮影用に5頭を捕獲して訓練したのだ。
この番組の人気がきっかけで、イルカのショーを催す水族館やイルカと一緒に泳げる施設など、イルカが巨大ビジネスになってしまったのではないかと悔やんでいる。
フリッパー役のイルカがストレスで死んでいくのを目撃したのを機会に、彼は変った。
イルカは自由に広い海を泳ぐべき生き物であり、人間のエンターテイメントのために捕われるべきではないと悟った彼は、それからの38年をイルカ解放の活動家として貫いてきたのだ。
そのまま変らず生活を続けていれば、裕福で楽な人生を送れたことだろう。
イルカを捕獲して訓練すれば一頭 14万ドル(約1千260万円)で売り飛ばせるのだ。
でもリックはお金よりイルカの幸せに貢献する人生を選んだ。
「こうして僕が日本から離れている間は、イルカが殺されていくのを阻止できない。そう思うと、いてもたってもいられない」と、溜め息をつく彼。
彼は純粋にイルカを愛しているのだ。
彼の目を見て欲しい。そこには、ただ、哀しいまでの愛しかない。
世界中のイルカが自由の身で広い海で生活することを望んでいるだけ、なのだ。
彼にとってはアカデミー・オスカー受賞式も、イルカ救助への世界的意識が広まる機会だった。
お祝い気分のこの日も、リックはイルカ狩りシーズンの開幕である9月1日に入り江に行ってイルカ解放を訴えようという話をしていたようだ。
アカデミー・オスカー授賞式の壇上で、リック・オバリーはイルカ救助への募金を訴えた
ダリル・ハンナやスティングやベン・スティラーが同行すると、彼に伝えた。
イルカを救いたい。ただ、それだけなのだ。
あなたはこれほどの情熱を持って、なにかを救いたいと思ったことがあるか。
Copyright: 2010 Yuka Azuma / あずまゆか
「あしたへの選択」スタッフによるルイ・シホヨス監督のインタビューはこちら
「イルカ猟反対の活動家の多くは『ザ・コーヴ』の監督のように、肉を食べない人たち」なのが、一番問題なのだと思いますよ。
このドキュメンタリーを撮ったのが、肉を普通に食べる人たちであれば、むしろまだ良かったと思います。
アレルギーや宗教でなく、自分の信条で肉を食べないのは個人の勝手。
動物を愛しすぎるあまりに、肉をたべないことも、個人の勝手。
ただ、そんな動物愛好ベジタリアン達が、他の肉を食べる人々に対して「そんな残酷なことを」「動物を大切にしろ」と自分たちの主張を押し付けた時、それは一方的で偏った暴力です。
肉を食べる人たちは、肉を食べない人たちに無理矢理「肉を食べろ」とは無理強いしないはず。
肉を食べない人たちも、肉を食べる人たちに「肉を食べるな」と非難する権利はありません。
私には、彼らのような極端な環境保護活動家や動物愛好家は、「自分たちは他の人よりも崇高で、正しい」という選民主義、ある種の優越感に陥ってるようにしかみえません。
「これほどの情熱をもって、なにかを救いたいと思ったことがあるか」
ありますよ。
選民主義の自己中心的な一部の西欧人たちが上から目線で一方的に非難する、日本文化と、イルカや鯨を食べる文化を、これほどの情熱をもって救いたいと思いますよ。
鯨とイルカを食べる文化を救いたい。ただ、それだけなのですよ。
この映画の製作者たちやベジタリアンたちは「肉は食べるな」と他人に非難する権利があるとは思っていませんよ。「動物の権利」を考えるような人たちですから、個人の権利のこともわきまえている人が多いのです。この映画も観ていただけたら分かりますが、それを伝えるものではありません。
「この映画を見て、あなた自身がどうするかを選択してください」と、伝えています。
ただ、この映画の製作者たちは「イルカ肉は有毒である」という警告をだしています。それでも構わないと大人が食べるのは自由です。どうぞ好きなだけ食べてください。水銀汚染にしても我々人間のせいです。ですから汚染されたものを食べることは自業自得であるし、殺したものはちゃんと食べてあげることが供養になるでしょう。
ただ、その汚染肉の危険さを知らずに食べてしまう人がいる状況は良くないことで、人々は知る権利があるということです。特に子供や妊婦は食べないように守ってあげなくてはなりません。
アメリカでは鯨は食べませんが、マグロでさえ週1回におさえようにアドバイスされています。医者は妊婦にはマグロを食べないように指示しています。それら健康に関する情報は隠すべきではないですよね?
また、環境保護家や動物愛好家たちは「自分たちは他の人より崇高だ」とは思っていません。そういう風に思う人は、弱いものを保護する側にはたてないものです。声をだして文句を言えない動物、ただ人間に破壊されていくしかない自然、そういう弱いものの味方になって、少しでも動物の苦しみを少なくしたいという思いやりを自然に持つ人たちです。
「自分たち人間は食べたいものを食べ、環境を好きなだけ破壊していける」という人(あなたはそんな人ではないと思いますが)の方が、人間こそが正しく崇高な存在であると思っている人のように私には思えます。
でも身近にエコロジストやベジタリアンたちがいなければ、そして日本に住んでいれば外国人の彼等から一方的に非難されているように感じてしまうのかもしれませんね。
私はNYに住んでいるからか多くのベジタリアンを知っています。娘のクラスメートのうち4人の子供がベジタリアンです。パーティなどの会食では普通に「あなたはベジタリアン?」という会話が交わされ、この料理はあなたは食べられる、こっちはダメなどと、ベジタリアンでない人が教えてあげるわけです。
中には肉が大好きな人もいるんですよ。でも自分の「食べたい」という欲よりも、動物に苦悩を与えたくないという気持ちが勝ってしまう。ただ、そういう人たちです。
だからといって、同じことを他人に求めはしないし、なんでも食べる人たちを軽蔑したりもしません。これは絶滅に瀕する種だとかという知識を広めることはあっても、だからといってそれを食べるか食べないかは「あなたの自由だ」という態度です。
ベジタリアンでも、そうでない夫のために肉を料理する主婦の友達が、私には二人います。
私はベジテリアンではありませんが、少なくとも私が接してきた環境保護家やベジテリアンの人たちは、そのことで優越感を持って違う食生活をしている人を非難するタイプの人間ではありません。それどころか、おいしいものも食べられず、自分のことではなく地球の裏側にいる動物のことで心を悩ませてしまう可哀想な人たちですよ。
ただ、地球規模の視野のある人が多いのは確かです。だからこそ、それぞれの権利についても深い考えを持つ人が多いようです。
あなたの文化を救いたいと思う気持ちは素晴らしいです。
中には例えば、アフリカで2000年前からいまも続けられている女性器切除の文化など、見直しが必要な文化もたくさん存在します。でも、これが続けていくに相応しい誇れる文化であると思われるのなら、その気持ちと情熱は大切だと思います。
丁寧なお返事ありがとうございます。
まず最初に、私はアメリカ在住です。今は別の都市に移りましたが、ずっとNYCに住んでいました。また、ヨガや学生時代の友達など、身近にエコロジストやベジタリアンをたくさん知っています。
だから、「日本に住んでいて、まわりにエコロジストやベジタリアンがいないから」、捕鯨反対活動やこのドキュメンタリーに反感を持つのでは?というのは該当しません。
お返事からは、「日本にいるから、多様な文化を知らないから、視野が狭いのよ」という響きを感じずにはいられないのですが。。。
また、「あなた自身がどうするか選択してください」というメッセージであれば、良い部分、悪い部分を両方示すべきだと思います。イルカ肉は有毒、イルカの捕獲方法は残酷、と悪い部分だけをセンセーショナルに示し、それを見て動物愛好家が「なんてこと!」と嘆く姿を示し、地元の漁師の人々をまるで悪人のように仕立て上げ、それをさんざん見せた後で、「さぁ、どうします?選んでください」というのは、選択を示しているのではなく、情報操作です。
日本を離れて長年たっているので現在の状況はわかりませんが、当時でも魚介類の水銀含有率や、妊婦ならばどのような魚をどの程度の量食べても大丈夫かといった情報は、普通に伝えられていたと思います。だから、健康に関する情報が隠されている(まだまだ不十分かもしれませんが)ことはないと思います。
彼らが他人の権利をわきまえていて、肉を食べるのを非難しないのなら、なぜわざわざ日本や南極海に出かけていって反対活動をするのですか?動物を気にかけるあまり肉を食べないなら、黙って食べないでいればいいと思います。実際、オバリー氏はまた日本に行って反対活動をしようと計画しているわけですよね?それが「同じことを他人に求めはしない」ことなのですか?また、オスカーの授賞式で募金を募る電話番号を書いた紙を広げたことも、非常に不適当な行為だったと思います。
世界には、イルカやクジラを食べる人もいれば、犬を食べる人も、猿を食べる人もいます。
西欧の動物愛好家や環境保護活動家もそのご先祖さんたちが、狩りをし肉を食べて必死で命をつないできたからこそ、彼らはここにいるのです。
多くのベジタリアンやエコロジストは、もちろん過激な反対活動はしないとわかっています。ただ静かに自分だけで自分の信条を実践しているのが普通です。私はそのような静かな人々を非難しようとか、おかしいと思う気持ちはありません。彼らは私の友達でもあります。
彼らは、人を含めてすべての動物は生きるために食べ、食べるために狩るという摂理をわかっています。だから、食べるために必要な狩り(動物殺し)に対して、他人にどうこうは言いません。
「イルカは自由に広い海を泳ぐべき生き物」、その通りです。でも、サケもサンマもタコも自由に広い海を泳ぐべき生き物です。牛や豚も、自由に広い大地を駆け回るべき生き物です。なぜ彼らはすべての動物に対して、イルカを守ろうとする同じ情熱をかけて反対活動、解放活動をしないのですか?なぜ、イルカやクジラだけなのですか?なぜ、純粋に楽しみのためだけにキツネ狩りや鹿狩りをする人々のところには反対活動をしに行かないのですか?
地球規模の視野があるなら、なぜ、世界には多様な食文化があり、その食文化はもともとはその地域で調達可能な食糧から生まれてきた必要性だったのだということを理解しているように見えないのでしょうか?
捕鯨も、イルカ漁も、食べるため及びその他の有効活用のためです。面白半分なハンティングでも、誤った考え方に基づくものでもありません。だから、私は続けていくにふさわしい誇れる文化だと、世界中の人に胸をはって言えます。(女性性器切除は、単に女性の自由を奪うためのものです)
私は、ただ『ザ・コーブ』の製作者たちがもう少し平等で公平な視点をもって、なぜ日本ではイルカを食べるのか、どのようにこの文化が生まれてきたのかなど良い点も示した平等で公平な内容のドキュメンタリーを作成してくれればよかったと思うのみです。
一言さん、ご丁寧なお返事をありがとうございます。
捕鯨反対の人も賛成の人も、どの人にもどの生き物にもどの植物にも、私たちが敬意をもって暮らしていける世の中になると良いですね。
まずは『ザ・コーヴ』を観ておられない方々は、観てください。かなりの議論を呼んでいるドキュメンタリーです。
アカデミー賞をはじめ、どの映画祭でも受賞してしまう訳はなんなのか、発見があるかもしれません。
私はまだこの映画を観ていません。観なきゃいけないと思っています。今ほかの事に非情に興味がありそのことで頭が一杯なのです。人はそれぞれに情熱を注ぐ的がありますね。
でもアウンサンスーチー女史のように、キング牧師のように、どんなことにも暴力を使うのは私は反対です。ガンジーもそうです。
情熱があって、それをどんな方法で表現するかはもちろん自由です。でも理想、そう理想をみなで語り合い、話し合い、そう、人の意見を聞く、そして相手も聞く態勢を見せる、のがこれまた理想ですね。
私は昔蜂蜜も、卵も食べない菜食主義者でした。日本でモデル、女優デビューする予定でしたが、あくまで化粧品は「動物実験をしていない(当時は)THE BODYSHOPのものだけを使う契約がどこのエージャンシーとも結べませんでした。「ぜひうちの事務所に!」といってくれてもいざそのことを口にすると「生意気な!」といわれ「世間知らず」とまで言われました。
やはり私はアメリカへ行こう、と高校時代をすごしたアメリカへ戻りました。。
当時1991年の日本は皮製でないお財布やかばんを探すのに苦労したものでした。
もちろん動物がかわいそうだ。と思ったのがきっかけです。あと祖父の影響でヨーガ、自給自足など彼を見ながら育った子供時代が影響したのでしょう。祖父は沖縄戦で戦い、マラにかかり3年後ようやく故郷へ戻りました。それから彼は哲学書を読み漁っていました。
私はアメリカへ渡ってそれから8年後、菜食主義ではなくなりました
ではなぜ再びお肉を食べるようになったのでしょうか?それは神経質な性格であまりに徹底したため体も精神もを壊してしまいました。当時は大学へ通いながら働いていていろいろと大変な思いをした時でした。
一度楽になりたかった、ためにありとあらゆる自分のモットーやらを捨てたかったのです。
聞こえがいいですかね?
捕鯨は殺し方、それと絶滅に瀕しているならば絶対に捕獲してはいけないと個人的な意見です。でもどうか暴力で解決することだけは皆さんやめませんか?
暴言を吐くのもやめましょうよ。あくまで私の個人の意見ですが。
理想主義の意見です。でも中学校時代に体育の教師に意味もなく殴られ続け今身体に障害を持つ兄をもつ私からは暴力は止めましょう。と保護団体の方に言います。
それは私は間違ったサイクルをつくるだけだと思うのです。
すべての人、動物、植物に対してです。
私は誰かに本のタイトルで一番好きなのは何?と聞かれて「長距離走者の孤独」と答えたことがあります。
「じゃあ映画のタイトル?」と聞かれ「同じく原作のものだけれども。。。「存在の耐えられない軽さ」と答えたのを覚えています。
長距離をしていた私ですからゴールにたどり着くまでの長さ、その間の感情を肉体的にも精神的にも覚えています。
「存在の耐えられない軽さ。」は殴られる兄を見て何もしてあげられなかった自分に対して、そして目の前で殴られるままになっている兄です。
捕鯨問題も環境問題も人事ではありません。そして長距離レースかもしれません。でも最良のゴールを夢見ます。
すべての生きとし生けるものたちの存在を軽く思うことは止めようと、強く思います。
この世の中には矛盾した事がたくさんあります。
私もたくさんの情報の中で知らないこともあり、むしろ知りたくもないこともあります。
でもそれが事実であるならば耳をふさぐのをやめ、目を閉じるのもやめます。
怖いです。弱い私ですから。。。。
でもがんばりますよ。
終
ベジタリアンが制作したからとか肉を食べる人達だったら?とか、日本人だからとか、イルカやクジラだからという様な”形”の問題ではないと思います。この世の人間の自分勝手な性が問題なのだと思います。ここでは人間の真の愛の形が問題になっているのです。真実に目をそむけ生きる事はできません。真実の中から本当の愛と幸せが手にいれられる様に、多くの人々がこの映画から慈愛を感じ、奥底の自分を見直し真実の愛に気随て欲しいと私は願っています。皮肉にもこの世で一番スピリチュアルな動物とも言われるイルカ達の猟殺ドキュメンタリーが語るとてもスピリチュアルな映画だと思います。世界中の多くの人達に形にとらわれず心の目で観てもらいたい映画です。
@LAさん
コメントありがとうございます。私も動物実験されていない商品を買うようにしていますが、裏にある動物の苦悩を知らない人たちは多いですね。まずは事実を知った上で、なにを買うか、なにを食べるか、それは人の自由で選択していきたいものです。
自分の生活の中で無理のない程度に自分の納得のいく生き方をしていきたいですね。
お兄様のことは私の想像を絶する苦悩であったろうと察します。暴力のない世界を願うばかりです。お兄様がそんな状況にあったことを誰かに知ってもらえていたら‥‥事実を知ること、知らせることは、解決に向かう一歩ではないかと考えさせられます。
政府や企業やマスコミが誤った情報を流している場合もあります。どれが正しい情報なのか、真実を多くの人々が知れる世の中でありたいものです。
例えば、環境保護団体「シーシェバード」は日本では暴力的なテロリストだと思われているようですが、長距離音響装置を何日も使用続け、金属球やゴルフボールを投げつけ、高圧放水銃を撃つ日本の捕鯨船団の行為は日本では報道されません。
この映画も私たちが知りたくない情報を含むものかもしれません。でも事実を知ることから、いろんなことが見えてくるような気がします。
@Loveologistさん
愛ですね!
私もみなさんには形にとらわれず心の目で観てもらいたいです。ドキュメンタリーを見て自分自身をも見つめたという人も多いですよね。
素敵なコメント、ありがとうございます。
私はThe Cove はドキュメンタリー映画とは言えないと思います。
敢えて申し上げれば、TV的なドキュメンタリー風エンターテインメント映画でしかありません。
極東の島国に秘境の入り江がある。
映画はそこに潜入することがどれほど大変なのかをこれでもかと説明します。
そこまでで約30分。
どうやって撮影を敢行するのか。
様々な隠しカメラの仕掛け作り、スタッフの招聘。
深夜行われる隠しカメラの設営。
これが次の30分のテーマです。
そうです。この映画は「潜入ルポ」的手法で撮られたドキュメンタリーでしかありません。
ドキュメンタリーの主役は太地の猟師ではなく、あくまで撮影スタッフの方なのです。
すべては最後の20分間をどう効果的に映し出すかの一点のための前ふりにしか過ぎません。
この後、一切の説明抜きで延々と流される映像は、入り江に閉じ込められたイルカが鉤で引き揚げられ殺されていくシーンです。
海中に仕掛けられたカメラの前が鮮血に染まる。
あっという間に入り江の中はイルカの血に染まります。
真っ赤な血に染まった海をバックに一仕事終えて談笑する猟師の笑い声がかぶります。
極悪非道さを強調する意図があったとしか思えません。
登場する日本人の扱い方も酷いものです。
地元の猟師さんたちは日本語で怒鳴るだけで、未開の野蛮人扱いです。
さらに、英語を話す日本人は必ず口ごもったり、おかしな英語表現を使います。
見た限り一人の例外もありません。
英語圏の人から見れば、学者ですら無教養な人しか見えないでしょう。
相手の意見を聞く場であれば、取り直しするのが普通でしょう。
日本語字幕版で見ると この辺の悪意ある編集はきっと伝わらないでしょうね。
正直、テレビのやらせルポルタージュ以下の最低の映画でした。
むしろ捕鯨の是非を巡る冷静な議論の妨げにしかならないとしか思えません。
わざわざ見る必要など毛ほども感じません。
私は少し前まで民報のテレビ番組制作会社で番組を作っていた者ですのでセンセーショナリズムで人気を得ようというTV業界の姿勢はよーく、よーくわかります。
なぜこんなにこの世の中は
「私が主役」にならなければいけないのでしょうね?ほんとうのヒーローは孤独です。
でももしヒーローと同じ意見を持つものが集まれば団結しもっと理想です。
でもこのヒーローに対する嫉妬も存在します。
誰かが良いことを言った、行った、ことで「ああ、よかった!やってくれて。」と思う人もいるのですが、怖いのは「私がヒーローになりたかったのに先にやられた!」や「私よりも彼、彼女はよくこのことに関しての知識を持っている、敵だ。」とまで同じ考えをもって世の中を良く変えていこうをおもう同士に出さえ敵対意識を持つのです。
たとえば私は数年前にベジタリアンであることをある人に言ったら
「え?何年前から?」と聞くので
「5年続けています・」と答えたら
「あ、そう、私8年。私の勝ち。」とその人は顔をしかめて言いました。
それからその方とNYCでベジタリアンレストランでどこに行くかの話をしたら
「あ、私そこもう開店当初から行ってる常連、お店の人も知り合い。」などなど
すべて彼女は「私のほうが良く知っている!」の姿勢で話をしていました。
正直言って3,4人のこういう人と出逢うといい事をしている気持ちをシェアできなくなる自分を発見します。
ベジタリアンで居るには知識が要ります。でもその知識は自己の興味から発生するピースフルな知識欲であります。でもベジタリアン同士が「私のほうが良く知っている」などと競争意識をもったりするのは悲しいことでした。
「The Cove」の賛成派も反対派もグループになり、グループの一人一人に対して
「この中で私が主役」と思っていないことを望みます。
この「The COVE」の製作者メンバーも自分が主役、とおもうのではなく、
アカデミー賞をとったすごい自分、というよりも、そしてこの映画を日本で配給するのに反対する人々もみな、「主役」を頭の中から抜いてみませんか?」
でも活動はそのまま続けてください。
本当にみんながみんなのことを考え「嫉妬」をなくすこの世の中になれば
「主役」の争奪戦がなくなり
「お互いの話を聞くことから始まる世の中」になると思います。
「あなたの苦労話のほうが私の苦労話よりも良い!」と妬んだりする人も居なくなるといいですね。
「表現の自由」ですので今映像は氾濫しています。
その中から真実をみなで探していきましょう!
それまで大変な過程をたどるでしょう。
メディアはアテンションが欲しくていつもウジウジしています。
名誉、成功、お金。
その中にも名誉も、お金も気にせず「成功」をてにする内容の真実のドキュメンタリーは必ずあります。
センセーショナリズムに踊らされずに知識を得るのが理想です。
まあ、でもイルカをあんな殺し方するのは見ていてだれも嬉しい気持ちはしないですね。
「正当防衛」といって銃ですぐに撃つアメリカ社会を考えると人間に危害を与えないイルカたちを殺す理由がないのですから。銃ですぐに撃つのも変だと思いませんか?
メディアがセンセーショナリズムを主張し視聴者を洗脳するのをやめ、もっとたくさんの意見を視聴者に「こんなオプションがある」と言い聞かせればバイオレンスはなくなるでしょう。「The Cove]のような映画が存在するのは映像でわかるようにあのようなことが行われている事実です。
ひどい世の中ですね。
戦争を「平和」を理由に行っている世の中ですもの。
「ものを売る」姿勢
「自分は売る側か買う側か」の選択しかないのであれば真ん中でゆれるしかないのですね。
「利益」「損得」を考えずまず、基本的な人間の道徳心を忘れずに生きて生きたいですね。
「主役願望」「嫉妬」「センセーショナリズム」に負けないでいきましょう。
>アメリカでは鯨は食べませんが、
アメリカは捕鯨国ですよ。
それと、ベジタリアンはどうやって動物性タンパクは摂取しているのでしょうか?
もちろん、このドキュメンタリーの主役は大地の漁師ではなく、イルカ猟の実態を映し出そうとするリックたちです。彼らのイルカへの愛と救いたいという気持ち。そしてそのための行動がフォーカスになっている映画です。
大地の漁師たちの側面をもっと知ってもらいたいと思う方たちには、是非とも彼らや日本人にフォーカスをあてたテレビ番組や映画を製作して世界にアピールしてもらいたいものです。
ただ、リックやスタッフたちは「この中で私が主役」という意識はありません。もっと純粋な「イルカを愛している、イルカを救いたい」という気持ちで行動を起こしている人たちがそのまま映し出されただけの作品です。
作品に対する感想や批判は人それぞれ違うものであるべきです。
私自身はイルカは人間の友達だということへの共感、そしてイルカを愛する一人の男の情熱に感動を受けました。
@ナイアガラさん
捕鯨国といってもアメリカが認めているのは先住民生存捕鯨のみで、何億円もの税金を使って大資本の商業主義的な捕鯨をしている捕鯨国とは異なります。つまりエスキモー民族は鯨を食べますが、一般のアメリカ人は鯨を入手できません。最近、内緒で鯨を出していたサンタモニカの日本食レストランのオーナーとシェフが逮捕され、店が閉店しましたね。アメリカには海洋哺乳類保護法があり、鯨やイルカの殺生や輸入や販売が禁止されているからです。
尚、ベジタリアンの方たちは豆類、特に豆腐類から植物性のタンパク質をとっています。玄米にもタンパク質が含まれているので、白米でなく玄米を食べる方も多いようです。ベーガンでなければ、卵もタンパク質源ですね。
ゆかさん
お返事有難うございます。
「主役」と私がもうしておりますのは、ディクテーター見たいな主役が居ないことを望と言う意味です。
あくまで私は反対するもの同士
賛成派と反対派が「主人公争い」になっていないことを望むと言う意味です。だからといって「主人公争いをしている映画」とは思いません。
良いことに対して反対する派が居ることが信じられないのですが、良いことをすることに対してもしかしてヒーローに対する嫉妬があるのでは?などとも思ったのでした。
「嫉妬」が一番怖い感情だと訴えました。
もっと他人動物、植物、すべてのものに対して彼らすべての良いことを喜ぶ人々がたくさん居ると嬉しいです。
「嫉妬」され叩き落とされた社会での経験もあり、この先この世界がメディアだけに情報をたよらない、まず横に居る人、その日言葉を交わした人と幸せ願うことがしたいです。
確かに賛成派、反対派もスポンサーがついていて過激に一方通行の報道しか流さないことも事実です。
でもやはり大切なのは平和を願いましょう。
自分のためだけでなく、お金のためでなく、名誉のためでなく、この先この世の中がより良いものとなるように。宗教などのバックグラウンドはありませんが、(あってもいいのですが)私は単純に本当の知性はお金名誉に関係ないと悟りました。(笑)
この映画存在してくれて良かったです。さっさとみんな存在を認めて、言い分を聞いたら
過激な攻撃をされずにも済むはずです。負けるが勝ち、と言う言葉があります。
変わるが勝ちという言い方もあります。
TOYOTAの社長が謝罪しましたね。素晴らしいと思います。
「叩かれてもがんばるぞ!」と思って前進した末には良い結果が待っているはずです。
太地町のかた、映画制作者、過激な反対派、過激な賛成派も謝罪はしないにしても、
ガンジー、アウンサン・スーチー、キング牧師を思い出してください。
けんか腰でなく、相手の悪い部分をフォーカスしてピンポイントするのではなく、
「話そうじゃないか」の姿勢で行きませんか?日常生活で人種差別する近所の人を隠しカメラで撮ろうか、とおもいました。でも「どんな気持ち?どう考えているのか聞かせて?」と私から聞く姿勢を示したらすごい君の悪いわけのわからないことを言う親父さんと最後握手までしましたよ。で、彼は「ごめん。」と誤りました。「話せてよかった。」と言ってくれました。私は日ごろ自信がなくウジウジ考える弱い性格ですが、この経験からものすごく世の中を明るく見れるようになりました。だって「このアメリカ人のおじさん!」とアメリカ人の部分をピンポイントするのは絶対に嫌だったから心の中でそうなりそうだった自分を違う方向へ向けたかったのです。「話したい。話を聞きたい。」と言ったら和解が成立しましたよ。
そうじゃないと次世代の子供に何も解決法が変わらないままパスオンしてしまいます。
自分以外の命を尊重せず、痛めつけてあざ笑う。
そんな彼らに対しての過激な反対姿勢。
どっちもどっち、と思う人も多いのも仕方がないのではないでしょうか?
私は出来ないお願いがかなうとすれば
キング牧師、スーチー女史、ガンジーに「これどうおもいます?」と聞きたいです。
ああ、無理ですね。。。。残念です。
終わり
>捕鯨国といってもアメリカが認めているのは先住民生存捕鯨のみで、何億円もの税金を使って大資本の商業主義的な捕鯨をしている捕鯨国とは異なります。
先住民もアメリカ人ですよ。
御託を並べて、自国(アメリカ)の捕鯨には熱心ですな。
アメリカ人が殺しても鯨は「キューキュー」鳴いてるのではないですかね?
海は血に染まっているんじゃないですかね?
>つまりエスキモー民族は鯨を食べますが、一般のアメリカ人は鯨を入手できません。
先住民もアメリカ国籍を持ったアメリカ人ですよ。
>さっさとみんな存在を認めて、言い分を聞いたら
>過激な攻撃をされずにも済むはずです。負けるが勝ち、と言う言葉があります。
>変わるが勝ちという言い方もあります
あなたの生き様が良く出ている部分だと思います。
これまでも、そしてこれからもこうやって生きて行くんでしょうね。
何も考えずに、あやまりながら生きて行って下さい。
この映画は卑怯で胡散臭いと思っています。
なぜなら自分が正義だと思っている人間が違法の元作成したものだからです。
違法でもかまわないと考えている人間が客観性を含んだ映像を作るとは思えません。
自分の「イルカ漁反対」の考えに賛同させやすい映像を作るとしか思えません。
なにせ自分は法律より正しいのだから誇張、誤解をまねく表現があろうと、自分は正しいことをしていると考えるでしょう。
映画反対の記事のタイトルを見たとき反対派を情けない、表現の自由はどうしたと正直思いました。
ですが、反対の理由を読み、この映画をネットで調べる限る映画の内容が胡散臭いとしか思えないのです。
「ドキュメンタリ」を語った価値観を押し付ける映像。
「イルカ漁の歴史や実態は知らないがイルカはかわいそうだからイルカ漁反対」と感情に訴える卑怯な映画。
それがこの映画の印象です。
私自身はイルカ漁に賛成でも反対でもありません。
イルカに思い入れはないし、イルカ漁の歴史も町のことも詳しくないからです。
反対の理由はイルカがかわいそうだからですか?
それともイルカがかわいそうだしイルカ漁は~なため必要ないといった理由も含んだものですか?
イルカ漁が禁漁になった場合の漁師の生活への影響について考えましたか?
上記にも書きましたが私はそこまで考えても調べてもいません。
イルカに同情することも、「かわいそうだ」という理由だけで行動できるのも私には無理で、すばらしいことだと思います。
ですが、法律を無視した、漁師の意見を聞かない一方的な映像である、といった時点でこの映画の内容が自己中の作った胡散臭い、同情を引くための卑怯な映画との印象がぬぐえません。
反対するならば、感情ではなく理性で行うべきだと思います。
そのために法があるのですから。
私は、このドキュメンタリーを見たことはありませんが(見る事自体がこのドキュメンタリー制作側の利益になりますし)、この捕鯨問題には利害関係がかなりからんでいると聞いたことがあります。そもそもこの捕鯨問題で日本がたたかれるようになったのは、80年代の日米貿易摩擦が大きくなっていた頃でアメリカが日本を国際的に攻撃するひとつの手段として使用されたと聞きました。マスコミによるイメージの植え付けが米国内でされたのではないでしょうか。それに踊らされた視聴者がシーシェパードなどの活動を始め広がっているのだと思います。アメリカでも先住民には許可されており一般人は口にしないとありましたが日本でもほとんど鯨肉を食べることはないと思います。私もアメリカに住んでいますがこちらのマスコミの報道ばかりをみているとまるで日本人が牛肉を食べるような頻度で鯨肉を食べているように見えてしまいます。ドキュメンタリーやニュースはついつい100%信用しがちです。誰がこのドキュメンタリーで最も利するのか、を調べてみると面白いと思います。これは特にこの問題に限ったとこではありませんが今の映像industryは様々な方法で民意をコントロールしています。このようなdiscussionを巻き起こす記事とても面白いと思いコメントさせて頂きました。どうぞご気分を悪くされないで下さいね。
はじめまして、こんにちは。
Facebookから辿ってきました。
リック・オバリー氏の「イルカは海で自由に泳ぐ」という考えに賛成です。
イルカの事は別にしまして、疑問なことがあります。
しばしば、この作品への批判として「公平さを欠く」と耳にします。
これには大変疑問です。
ドキュメンタリー映画を時々観ますが、
これまで観たドキュメンタリー映画は、演出も脚色も主張もある作品なのだと思っています。
”演技”こそありませんが、カメラワークや編集も含めて、制作者が表現したい事を表現するものだと理解しています。
中立的な立場が求められる「報道」とは違うものではないのでしょうか…
私も『一言申し上げたい』さんに賛同です。
あの団体がやっている事は、ただ注目を集めさせてスポンサーからお金をもらっている商売でしかないと思います。
あの設備といい、装備といいどんだけのお金を費やしてるの?と思います。
自国の油まみれの鳥をほっといて、他人の食文化に口出してる場合かと憤りを感じます。
そもそもあんな映像みて、可哀想と思わない人いないでしょう。
問題提起をするところまではいいけど、文化は長い間、理由があって続いてるもの。
現代に合わないものは自然と無くなるのだから、無理矢理の操作や演出で追い込むのは間違ってると思います。
しかも、男女差別とかではなく、食文化なのだから、介入はもっとデリケートにするべきだったと思います。
他国のこのような問題についてはアメリカは非常に熱心に執拗に非難しますが、自国の問題については表現の自由は一切ないようですね。ベジタリアンの方達には、自身のタンパク源である遺伝子組み換え大豆の安全性や、栽培にどのような除草剤が使われているか、FDAに正確な情報を開示するよう求めることをおすすめします。
引用から。
>184:名無しさん@十周年:2010/06 /18(金) 22:44:27 ID:vPkZKSJwP
昔、日本の壱岐で似たような事件があった。
漁村にイルカの群れがやってきて付近の魚を食べ尽くした。
漁船が出航するとそれに延々とまとわりついて魚を追い払った。
生活が立ちゆかなくなった漁民たちはイルカを湾に追い込んで殺処分するようになった。
ある夜、アメリカ人がこっそり侵入して
網を切ってイルカを逃がした。逮捕されて裁判になった。
イルカ裁判として語り継がれる事件。
ーー
リンクはここ。
http://www.ikishi.sakura.ne.jp/irukaziken.html
はじめまして。
関西在住で、太地町には友人も住んでいます。
動物愛護など色々な問題はあるかもしれませんが、今回の反イルカキャンペーンは、一種のリンチ(私刑)のようなものだと思っています。
日本は法治国家であり、太地町の人々は国によって認められている「順法行為」を行っているにすぎません。
それにもかかわらず、さも大悪人のように世界各国で顔がさらされ、場合によっては職を奪われて路頭に迷う人も出てくるかもしれません。
環境団体は太地町を責めるのではなく、イルカ漁を認めている日本国に対して活動を行うべきだと思います。
水銀、殺し方・・色々言われていますが、日本においてイルカ漁は合法の行為です。
合法の行為を行っている人に対して、その行為をやめろということは、リンチにすぎません。
初めまして。
正直ひどい映画だと思ったのですが、サイト主のように全面的に信じてしまう人もいるのか、とある意味感心しながら記事を読ませていただきました。
真実と向き合うのは大切という意見には大いに賛成です。
しかしこの映画には一方の言い分はあっても一方の言い分は意図的にかくされており、真実と言うより「半真実(ハーフトゥルース)」と言うべき悪質な手法がとられています。
「イルカは賢く人間の友達だから殺すべきではない」というのなら
「イルカは一回の食事で自分の体重の十分の一相当の魚を食べる大食漢である」ということも示しておかなければ不公平というものでしょう。オバリー氏はイルカの専門家でイルカの食事量も当然知っていたでしょうにそのことは一言も言いませんでしたね。
もしあなたが漁師だったら…と想像してみてもらえませんか。漁に出ようとしたら漁場には大量のイルカがやってきて魚をばくばく食べ出す。その時あなたはどんな気持ちになるか。少なくとも「イルカは人間の友達」ではないでしょう。
また、イルカ猟が誇れる文化ならオープンにするべき、というなら
以前はイルカ猟はオープンにされていたが、環境保護団体の妨害がひどいので入り江にかくれて捕殺するようになった。ということも示すべきでしょう。映画を見ていて不自然に思いませんでしたか?太地町なんていう田舎町で、どうしてあんなに英語の手書き看板が多くあるのか。2003年にオバリー氏は当時所属していたシーシェパードの活動の一環として200頭あまりのイルカを網から逃がしています。二億円以上の損害ですね。
以来、外国人の目の触れないところでイルカの捕殺を行うようになったのですが、今回こうして「真実」が盗撮によって明らかにされたのです。要するにマッチポンプですね。
真実を知るべきと言うなら、以前にそういう妨害行為で漁師の人たちを苦しめたことも、シーシェパードに属していたことも映画内で示すべきでしょう。
水銀についても一言。
おおむねバンドウイルカの赤身の水銀値は20ppmから30ppmです。低くはない。マグロが0.8ppmから1.0ppmであることを考えるとやっぱり20倍以上あり、妊婦や児童は食べるのを控えた方がよい、という考え方は一理あるでしょう。
しかし映画では「2200ppm」という相当ぶっとんだ数字を出しており、見ていて思わず吹いてしまいました。
それは計測方法か計測部位が間違ってるだろう、と。
しかし検証されることはなく、「ミナマタよりひどい水銀値だ」ということで映画は展開していきます。工業廃水を直接海に流していた水俣と、何もない太地とを同列にし、えんえんと水俣病の患者さんたちのフィルムを流す。その、どのへんが「真実」なのでしょうか。
また、映画内でクルーたちは日本人に対し木で鼻をくくったような態度をとり続け、好き勝手に嘘をついていました。検証されない水銀値など、むしろその「ウソ」の延長ではないでしょうか。少なくともあれだけ日本人に対してためらいなく嘘を言える人たちが水銀値についてだけは真実を言っているとはとうてい思えないのです。
上のコメントでどなたかが言ってたように、アメリカでも捕鯨は行われています。「コーヴ」のスタッフもわざわざ太地くんだりまで行かなくとも、アラスカでイヌイットの方々を盗撮してアメリカ国内で無許可上映でも何でもすればよいのです。日本の田舎町相手に何千万円も掛けて機材と人を用意してなぶりものにすることもない。どうにも私には「アメリカの捕鯨はよい捕鯨。日本の捕鯨は悪い捕鯨」で、「イルカを守るためなら、イエローモンキーの法律も地方文化も知ったことではない」と言いたがっているようにしか思えませんでした。
「この映画は日本へのラブレターだ」何だそりゃ?
サイト主もアメリカ様が授けてくださる「真実」以外の真実を調べてみることをおすすめします。多少は映画に対する感想も変わるのではないでしょうか。では。
ゆかさん
キチンと皆さんの質問に回答されているので、ライターとして素晴らしい方だなと感銘しました。知識も豊富。
ハリウッドの方々へインタビューを続け、彼らに近い存在である、ゆかさんが、
彼らの映画を「見て欲しい」と訴えるのは当然だと思います。
きっと彼らとつきあいのない私たちにはわからない奥深い訴えが
あるのでしょうから。
ここから先は、ゆかさんに対しての抗議ではなく、私の意見をのべさせてください。こうして議論が出されている掲示板への意見提示は意義があるので。
まだこの映画を観ていませんが、私がこの映画に感じたのは、アメリカ人に対する憤りです。「アジア人をどこまでコケにしたら気がすむんだ!」って思いました。もちろんこれは私個人の感情的なものです。
ここのところ、私はアメリカにいてアジア人に対する蔑視をヒシヒシと感じるようになりました。
たまにアメリカ人の子供たちから、家の子が
「あなたのマミーはチャイニーズ?」って言われるのも、そうなのかなーって。親がどこかで「チャイニーズ」ってバカにしているのを聞いて育つから、そういう言葉が出てくるのだと思います。
「あなたのマミーはフレンチ?アフリカン?」「あなたのマミーはブラジリアン?」なんて言いませんよね。
さて、
アメリカでも寿司が食べられるようになり、そのマグロ消費量はハンパじゃない。人口の多い中国もトロが大好きで、さらに寿司文化が進めば、マグロの市場価格上昇はもちろん、絶滅の可能性だってあります。
クロマグロ絶滅の危機
http://www.europeanvoice.com/article/imported/too-scared-of-fishermen-to-protect-tuna-/66857.aspx
ザ・コーヴは、私たちの予想を超える制作費をかけて映画を作れる方たちなのだから、マグロについて訴えるべきだったのかもしれません。しかしマグロのような魚類では、友達になり得ないし、可哀想って思えないから、映画になりません。
小さな日本の田舎街で消費されるイルカの量なんて、たかが知れてると思うのです。私は、以前、米フロリダにイルカ肉が売られてる話は聞いたことがありますが、日本でイルカ肉が売られていたことは知りませんでした。
実際、フロリダへ行ったときに、「イルカ売ってるよね?」と現地の人に聞いたら、「はい、スーパーで売ってます」と答えたので、それまでフロリダでイルカを売ってることを信じてなかった夫が目を丸くしてました。
まぁ~ともかく、
マグロが友達だった時代など、これまでにありませんでしたし、イルカが友達「フリッパー」の歴史もないので、誰も賛同しないでしょうから。
アジアの文化の一つとして、地域の食文化は守っていくべきだと思うのです。それが残忍であったとしてもなんとしても。フィリピンでも猫を食べる地域があったり、中国で犬を食べたりする地域ってありますが。それをアジア人同士で非難することはありません。
犬猫は、近すぎる人間の友達。。。
映画にするのには、これはあまりにも酷すぎるから、やらないのでしょうか。
まー妥当なところが、イルカだったのでしょうね。
話がまとまらず、とびまくってますが。。。
アメリカにいてアメリカ人側に染まってアジア人としての自分を失ってしまうのではなく、アジア人として主張できる存在でありたいと、いつも思っています。
☆☆☆
「食べ物が喉につまった時には、まず前傾姿勢にさせて背中を叩く」
今日は、食べ物が喉に詰まった子供をこの方法で助けた私。
アメリカ人の夫と、なぜか喧嘩になりました。
「どうして背中を叩くのだ?」と主人が怒りをぶつけてきました。
「正しくない!」と。
それはアジアだけのやり方なのでしょうか。サイトを検索すれば、日本語で図つきで、たくさん背中を叩くやり方が出てきます。
アメリカでは、どこのレストランに行っても、食べ物が詰まったら、胃の下の部分を持って抱えあげるようにと指示されています。それが正しいのだと信じて疑わない。つまり、自分たちのやり方を正しいと信じ、それ以外を認めず、押しつけるのがアメリカ人のやり方なのです。
アジア人は、アメリカ人を否定することはない。それはアジア人の奥ゆかしい人間性からでしょうか。朱に交われば赤くなる。
しかし、そろそろアジア人も、自分たちは正しいのだと主張を曲げないことも大切だと思います。
そのためには欧米にこびるばかりではなく、意見に巻き込まれるのではなく、もっとアジア圏内で力をあわせて、力をつけるべきです。
映画も見ないで映画に対してえらそうなことは言えないので、「ザ・コーヴ」を観てイルカのために涙します。
なら、こっちはどう思うかお聞かせ頂きたい。
(下にスクロールしていくと画像が見れます。)
http://blog.livedoor.jp/weekchange-beronupes/archives/50991399.html
なぜ日本だけが舞台になっているか、上の方がおっしゃっている
様にご自分で調べられる事をおすすめします。
投稿してくださった皆様
貴重な意見やコメント、ありがとうございました!
いろんな議論が飛び交うことは素晴らしいこと。この映画が、人々に考える機会を与えてくれたことを嬉しく思います。