「その本を、公共の場で読むのかい?」
ミシガン州の田舎町トラヴァース・シティに着陸寸前の飛行機の中で、私の斜め前の席に座っていた白人男性が話しかけてきた。
「エッ、公共で読むべきじゃない?」
と、ふいの質問に驚いて聞き返した私に、男は無言になった。
飛行機が到着すると、男は私のことをニューヨークの空港から見かけていたと言い、何の用事でミシガン州にやってきたかと聞いてきた。
「1泊の出張で」
とても「マイケル・ムーアに会うために」なんて、言う気になれなかった。
私が飛行機の中で読んでいたのはマイケル・ムーア著の『Stupid White Men(アホでマヌケなアメリカ白人)』だったのだ。
よく見てるものだなー。横の席に座ってたわけじゃないのに。
彼の本を読んでいるだけで、そんな質問されてしまうのだから、当のマイケル・ムーア本人なんて、どこに行っても非難ごうごうだろうなと思った。
そのすごいタイトルの本をロングランのベストセラーにしたあとも、著書『おい、ブッシュ、世界を返せ!』(2003)を発売6週間で全米1位の売り上げにしてしまったムーア。言いたいことは遠慮なく言い放つライター、そしてフィルムメーカーだ。
何と言っても、あの2003年のアカデミー授賞式での受賞スピーチが決め手だった。
彼の監督作『ボウリング・フォー・コロンバイン』が最優秀ドキュメンタリー映画部門のオスカー受賞に輝いたとき、彼は恒例の「サンキュー」を連発する代わりに「ブッシュよ、恥を知れ!」と、壇上で声を大にイラク戦争反対を訴え、即座に多くの敵を作ってしまったのだ。
そして彼の次回作となったドキュメンタリー映画『華氏911』で、そのスピーチを裏付ける事実としてブッシュ政権の疑惑を暴露し、イラク戦争反対を訴え貫いた彼。
世界を動かしている有権者たちと、そんな彼らを支持する国民を怒らせてしまったのだから、そりゃあ脅迫状も投げつけられていることだろう。 「アホでマヌケなアメリカ白人」に射撃される、なんて事故がおきませんようにと、私は彼に会いに行く途中、心から祈る思いを噛みしめた。
案の定、マイケル・ムーアの取材インタビューが行われたホテル会場では、朝から警備が凄かった。
いまやムーアには、おつきのボディガードがいる。
そのおつきの警備員2名と、ホテルのセキュリティが、彼をどこから入場させて、どこから退散させるかと、まるで暗殺通知を受けた大統領を迎えるような雰囲気でピリピリしながら計画を練っていたのだ。そこは静かな田舎町のリゾート・ホテルだったのに。
自分が信じることを訴えたばかりに、彼は安全という自由を取られてしまったのだ。それでも、彼は訴え続ける。
この『華氏911』の映画製作だって、敵があちこちにいて、そりゃあ大変だった。
映画製作費を全額出資するはずだったメル・ギブソンの会社アイコン・プロダクションは、ホワイトハウスからの弾圧で契約を破棄してしまった。
その後、ディズニー傘下のミラマックス社が出資と配給を受託して映画は完成したものの、いきなりディズニーが配給を中止するという事態にも陥った。
ブッシュ大統領の弟ジェブ・ブッシュが州知事をつとめるフロリダでテーマパークやホテル大事業を展開するディズニー社は、『華氏911』の配給で税優遇措置が危うくなってしまうと懸念したらしい。
ブッシュ政権では、アメリカの裕福層がさらに金持ちになる政策が打ち出されてきたと思う。環境保護なんてクソくらえ、って感じで。
だから一部の層の私的な利益のために、貧しい人たちの命が奪われているのではないかと問いかける映画が誕生したことに、私は感謝の念を抱いていた。
だからこそ今回、子供から離れたことのなかった私が、母親になって初めて一泊旅行という出張に踏み切ったのだ。
いままで自分のことよりも子育てに夢中で、いつしか子供たちの付属人のようになっていた私。この小旅行は、私が自分という人間を見つめる機会になった。飛行機の窓から下界を見下ろして一人で物思いにふけったり、家族から離れて一人でホテル部屋で過ごしたひとときは、私にとってはまさに充電のときだった。
そして会えたのが、自分の持つ信念を押し通しているマイケル・ムーアだったのだ。この世をベターな方向へ変えたいという情熱は、私が一人の人間として何をしたいかと考えたとき、まさにインスピレーションになった。
そして私の目の前に現れたムーア氏は、太っていた。なんだか普通のアメリカ人のおじさんって感じだった。いつものベースボール帽姿で、いまや億万長者になった人だとは感じさせない庶民の匂い。
「僕はあまり物欲のない男だから、そんな男が金持ちになると危険だぞ」
と、彼は新聞のコラムで言っている。
確かに、お金や権力を欲する政治家たちとは違って、彼には正義というものを彼なりに追求している人だと安心させる何かがある。正しいと信じることに自分の財産を注ぎ込むことも惜しいと思わない人かもしれない。
そして彼が日本向けのテレビ取材で、日本の小泉首相に対してユーモアを交えながらも熱いメッセージを放ったとき、私は感動のあまり涙が出そうになった。
「アメリカの副大統領になるな。日本こそ平和を誘導する灯台になるべきだ」
日本人は平和を愛する国民なんだ、ってアメリカ人の彼に言われて、
そうなんだ、そうでありたいって、心から感じるものがあった。
取材後、私はカバンから使い捨てカメラを取り出すと、彼と一緒に写真を撮った。
回りからどんな弾圧を受けても自分の信念を貫いて、生きる証を歴史に刻んでいる男と、ほんの一瞬でも時を共に過ごしたことを、私のアルバムのなかにも残しておきたかった。
©2004 Yuka Azuma
Photo: Matt Petit / ©A.M.P.A.S.