ハリウッド・セレブのインタビューこぼれ話リーク「セレブの小部屋」シリーズも、なんと100話目を迎える。これが私の100回記念号です!

第100話を飾るセレブには、原点に戻り、私が生まれて初めて仕事でインタビューした役者にフォーカス。

私の初めての取材相手は、14歳の少年だった。
名作『ネバーエンディング・ストーリー』のヒーロー、草原の勇者アトレイユを演じた俳優ノア・ハザウェイとの単独インタビュー。

Noah Hathaway in THE NEVER ENDING STORY

『ネバーエンディング・ストーリー』は、1984年に西ドイツ・アメリカで制作・公開された映画。
日本では1985年3月16日に公開された。

この夏、写真家の詩乃(Shino Yanagawa)さんに誘ってもらったおかげで、『ネバーエンディング・ストーリー』を鑑賞する機会に恵まれた。
NYブルックリンのプロスペクト・パーク建設150周年記念行事として無料の映画上映イベント「A Summer Movie Under the Stars」が開催されて、この懐かしいウォルフガング・ペーターゼン監督作が上映作品に選ばれたのだ。

THE NEVER ENDING STORY

木々に囲まれた広々したプロスペクト・パークの芝生の上に寝転びながら、33年ぶりに観る名作。

この喜びを夏の夜空の下、みんなと分かち合えたのは最高だった。
そこにいたみんなが感動しているのが、彼らの歓声や雰囲気からわかった。
私たちは新しい感動を与えられ、キャラクターたちの愛らしさに改めて胸を熱くした。

映画は永遠に生きているのだ。

この夏、NYブルックリンのプロスペクト・パークで『ネバーエンディング・ストーリー』が上映された。

私のセレブ・インタビュー歴は32年。まだ若いのに(笑)!
これだけ長いと、ジョニー・ディップ以外のほとんどのハリウッド役者へはすでに1つや2つ質問を投げかけたことがある。でも記憶力の悪い私はほとんど、誰を取材したかさえ忘れている。

でも、ノア・ハザウェイの取材だけは、いまも鮮明に思い出す。
私の脳裏には、あの可愛らしい素直な14歳の少年が焼き付いている。

学研「パノラマシティ」誌に2回に分けて掲載されたノア・ハザウェイのインタビュー記事 by Yuka Azuma

大きなカセットテープレコーダーを持参して、ロサンゼルスの彼の自宅を訪れた。
裏の小さなお庭のベンチに座って、1時間かけて質問をした。

そしてそれをコンピューターのない時代、鉛筆で原稿用紙に記事を綴った。

チャラチャラした若僧の私から、下手くそな英語で聞かれるどの質問にも、誠意を込めて、ゼスチャーをいっぱい入れて、全力で返してくれた優しい少年。

自分の部屋にはブルース・リーのポスターを貼り、お寿司が大好きで、日本に行ってみたいと仕切りに言っていた、空手も黒帯だった男の子。

『ネバーエンディング・ストーリー』
の撮影当時は13歳。
14歳になったばかりのノア

「まだデートは許されていないんだよ!」

と、言っていた。

取材の間中ずっとノアの横に座って、ヘルプをしてくれていたお父様が、コメントした。

「ノアは世界中を旅していて国際的な出会いの中で、美しい女性と接する機会も多いんです。
だから外面に気をとられているうちに、何が一番、美しいのかってことを、見逃して欲しくないんですよ」

すると、ノアも頷いた。

「そう、ちょっと前までは美女を見ると”パパ、見て!あの素敵な女性!”って、騒いじゃってたよね。ところがドキドキしながら、”ハーイ!”って声をかけたら中身が空っぽの女の子だったりしてね。
だからいまは、外面だけじゃなくて内面が大切だって思うようになったよ。
例えば、見かけは平凡だったとしても、内面にある魅力が表に出ていると、もっともっと綺麗になってしまうじゃない」

と、ノア

信頼し合っている仲の良い親子だった。

お父様は元俳優で『ネバーエンディング・ストーリー』では音楽も担当したロバート・ハザウェイ。とてもハンサムで親切で、初めての取材に緊張している私を優しくエスコートしてくれた。

そして、家族写真を撮影したいと言うと「私はノアの横に座る!」と、ノアが大好きでたまらない当時9歳だった妹と、コーヒーやお菓子でもてなしてくれた優しいお母様。
アメリカの幸せな家庭生活を目撃して、私の心は優しさに包まれた。

映画ジャーナリストのフリをして、というか初仕事だったのでフリしなくてはならない気持ちで、大人ぶって、緊張しながらノアの自宅を訪れた私だったが、この素敵な体験のおかげで、これは楽しい仕事なのだと実感できた。

今日、私がどんなハリウッド・スターを目の前にしても緊張しないのは、最初の出だしで暖かく包みこまれたから、すべての緊張がそこで解きほぐれてしまったからなのかもしれない。

そんな思い出の中に生きている14歳の少年も、なんと、いまや45歳!

なんと、今はこんな風!息子とのツーショット

あの後、彼はどうしたのだろう。

役者業も続けたが、タトゥーのアーチストになってタトゥー・ショップを経営したり、オートバイ・レースに出場したり”チョッパー”オートバイのデザイン/カスタムメイドも手がけたり。マーシャルアートにも打ちこみ続けたが、タイボクシングも。

当時13歳だった『ネバーエンディング・ストーリー』の撮影時にも、多くのスタントに臨み、乗馬で落ちたりして大変な思いをした。体を駆使することもあってか背中の痛みには悩んだようで、近年、脊椎固定手術を受けた。
その医療費が18万ドル(1941万円)以上、未払いになっていて大変だという記事も目にした。

私は、まるで幼かった自分の息子が大人になって変貌していくのを目にするような気持ちになる。

またもや、彼にインタビューをすることができたら、どんなに素敵だろう。

copyright: Yuka Azuma 2017