インタビュー前編は、こちらから。
天草で育ち、ドラムに夢中になった子ども時代からマリンバに目覚めて、ついにカナダ留学まで果たしたミカさん。
当時は農家の嫁であり、ひとり娘を育てていた彼女が、44歳でひとりニューヨークに渡って、アメリカの音楽ビジネスに飛びこんでいく。
40歳過ぎていたミカさんを駆りたてたものはなんだったのか。
どうやってスティーヴ・ガッドやチック・コリア、リチャード・ストルツマンといった一流ミュージシャンと舞台に立つようになったのか。
その行動力ある人生の在り方を、ロングインタビューで語ってもらった。

Mika Stoltzman and Richard Stoltzman performing at Weill Recital Hall on Thursday night, November 5, 2015 Credit: Hiroyuki Ito
天草に世界のジャズメンを招待
海外の一流のミュージシャンたちともつながりができたミカさんは、2005年、天草国際音楽祭「アイランド・マジック」を企画運営した。
「天草では、なかなか国際的なミュージシャンが演奏に来てくれないんですね。
だから子どもたちにも、ぜひ一流のミュージシャンに触れる機会を与えてあげたいと思ったんです」
大ファンでアルバムを揃えていた、グラミー賞受賞のクラリネット奏者である、リチャード・ストルツマン氏にも「ぜひ天草に来て欲しい」とラブコールを送った。
その当時、面識はなかったが、恩師である「ネクサス」のメンバーらを通じ、リチャードを紹介してもらったという。
「アイランド・マジックの経費は2000万円くらいに膨れあがって、スポンサー集めから必死で駈け回ってやりとげました。
おかげで裏方の苦労や資金繰りのたいへんさもよくわかるようになりましたね」
この天草国際音楽祭は4日間の開催で、3000人の動員を生み、大成功となる。
そしてさらに2007年、2008年とスティーヴ・ガッドやリチャード・ストルツマン、エディ・ゴメスらを招いた「アイランド・マジック」を開催。

天草で開催されたアイランド・マジックのステージより。右からスティーヴ・ガッド、ミカ、エディ・ゴメス、リチャード・ストルツマンら
憧れだったスティーヴ・ガッドと舞台で共演できたことは大きな成果だったが、せっかくのステージのために万全の練習ができなかったのは、心残りだったという。
「オーガナイズの仕事をしていると、練習する時間が思うように取れないんですね。
スティーヴさんのような一流の人と演奏をしたいから、国際音楽祭を始めたのに、肝心の練習ができないまま、納得のいける演奏ではなくて,モヤモヤした気分が残ってしまう」
ミカさんのなかでは、マリンバ奏者としての道を突き進みたいという願望が、すでに抑えられなくなっていた。
そしてこの「アイランド・マジック」の開催後1ヶ月後に、ついにミカさんは大きな決断をする。

スティーヴ・ガッドと共演するミカさん
44歳でニューヨークに単身上陸!
娘が熊本市内の高校に通うために家を出た時に、
「ああ、これで私は天草に帰る必然性がなくなったんだ、と思えたんです」
とミカさんはいう。
これからは世界に飛びだし、音楽家として生きていきたい。音楽を究めたい。そう決心した。
「夫にはなにもいらないから、と離婚を申し出たんです。夫の立場もあるから、離婚届けを渡して、いつでもいいから出してくれ、と。なにもなくてアメリカに渡って、今思うと、よく出てきたと思いますね。
夫にしてみれば、いつかこういう日が来るかと思っていたところもあったようです。支えてくれた家族には申し訳ないことになったけれども、感謝しかありません」
そして2008年、44歳のときにニューヨークに移住。スーツケース2つだけでマンハッタンに上陸した。
NYでは、フュージョンジャズで名高いヴィヴラフォン奏者、マイク・マイ二エリに師事。
たったひとりでNYに渡った美香さんは、まずシェアで部屋を探すが、物価の高いNYでは、なかなか思ったような物件はなく、1年間で8回も引っ越しした。
「天草ではお米も買ったことがなかった。野菜も畑で作っていましたから、買うものだという考えもなかった。
これがいきなりニューヨークで自活したら、生活の苦労をいやというほど味わいましたね」
ごはんにフリカケだけという節約生活を続けながら練習をし、その合間にはジャズクラブの演奏を見て歩いた。
「食に関しては、残念ながら東京でもニューヨークでも、どんなに良いレストランに出かけたとしても、天草ほどおいしい魚や新鮮な野菜には出会ったことがないですねえ。天草にかなうところはありません」
とミカさんは笑う。
部屋探しをしていて、とんでもない目にあったこともある。
知り合いの日本人女性から良い物件を紹介され、保証金と前家賃3000ドルを渡したあと、とんずらされて、お金を騙し取られてしまったのだ。
「スティーヴ・ガッドさんから、トラスト(信頼)というものが、いかに重要か学びました」
スティーヴさんとは時に一緒にジョギングをする仲だが、その時に、
「人間関係で一番大切なのは、信頼だ」
と話されたことがあるという。

スティーヴ・ガッドとジョギングに行く仲でもある
「天草では、信頼というのはふつうにあるものだったんです。誰も家にカギを締めないし、車にカギもかけない。
そうやって誰も疑わないで生きて来られたんですね。
でもNYでのサバイバルでは違う。
私がうっかりと『同じ日本人だから』と信じてしまった人に騙されてしまった。
同時に、この街ではいかに信頼を獲得するのが大事かわかりました」
キャリアのほうは着々と進み、2009年春スティーヴ・ガッド、エディ・ゴメス、ピーター・ジョン・ストルツマンとともに日本で5公演し、この公演の録音が「ミカリンバ・マッドネス」としてライブDVDリリース。
ロサンゼルスタイムズ紙からも高評価を得た。
そして2010年スティーヴ・ガッドのプロデュースによるアルバム「ミカリンバ!」を、さらに13年に「イフユービリーブ」を発表する。
リチャード・ストルツマンと結婚
「私がニューヨークに拠点を移した頃、ちょうどリチャードは離婚したあとで、ものすごく落ち込んでいたんですね。それで慰めてあげていて。
恋が芽生えるようになったのは、2年後くらいでしたね」
そして恋人としてつきあいだしたが、「当時、再婚は考えていなかった」と美香さんはいう。
それが2012年のこと、父親が危篤になってリチャードさんをともなって熊本の病院に駆けつけた。
リチャードさんは病室で「アメージング・グレース」を演奏した。
その場にいたナースも医師も感動し、父親も涙ぐむ音色だった。
そして病床の父親に、リチャードさんが、
「ミカさんと結婚させて欲しい」
と娘に通訳してもらって告げたところ、父親が喜んで笑顔になったことが忘れられないという。
「その翌日から父の容体がよくなって、なんと一年半も長生きできたんです」
美香さんは50歳で再婚して、その一年後にはリチャードさんが住むボストンを拠点にするようになった。

ミカさんと、夫のリチャード・ストルツマンさん
リチャードさんのことを、「音楽家として尊敬しているし、自己管理がすごいと思います」という。
リチャードさんは今年77歳だが、毎朝起きると、体操をして体を整え、毎日6〜7時間の練習を欠かさないという。
「演奏家は体が資本ですから、見習うところがたくさんありますね。私もアメリカに来てからジョギングを始めるようになりました」
ボストンに移ってからの美香さんは音楽三昧の生活を送っている。
「毎日、音楽以外のことをしないで、マリンバの練習に打ちこんでいい。
今はいちばん幸せです。
最初は食べさせてもらうのに罪悪感があったのですが、彼は『ミカがすばらしいマリンバ奏者になってくれたら、それが嬉しい』といってくれて」
夫のリチャードさんとは、デュオアルバムCD「デュオカンタンド」を発表。クラウドファンディングで実現し、日本コロムビアとサヴォイレコードから初メジャーレーベルデビューを遂げた。
一流のミュージシャンとつきあえるNY
いまではリチャード・ストルツマン夫人として、アメリカの音楽界にも多くの知己を得ている美香さんだが、
「アメリカの一流ミュージシャンはいばっている人がいないですね」
という。
「ニューヨークでは、世界的に有名なミュージシャンでもいばったり、お高く止まったりしている人がまずいないですね。
こんな有名な人が、というような演奏家でも気さくに接してくれる。
一流の人たちがいばっていないのがすごいし、この街のいいところですね」

チック・コリアからマリンバ用の曲も作ってもらった
実際に美香さんのステージを見ると、彼女がドラム出身でパーカッションに情熱を傾けているのがよくわかる。
リズムがまるでパーカッションのようで、正確でありながら、いきいきとしたグルーヴがあるのだ。
美香さんの場合は、地方から東京に出て、それから海外に進出という段取りを経ずに、天草からいきなりニューヨークに飛びだした稀有なケースだろう。
まったくコネのないところから手紙を書いて直談判し、教えを乞い、多くのミュージシャンとつながり、道を切りひらいてきたのに驚かされる。
—すごい行動力ですが、美香さんのように運を切り拓いていくために必要なものってなんでしょう?
「勇気ですね。とにかく勇気をもって行動する、これにつきると思います」
ミカさんと接していて感じるのは、まっすぐなひたむきさと行動力だ。もし裏があったら、相手はそれを感じとるはずだが、美香さんはあくまでまっすぐで計算がない。
そうでなければ、世界トップのミュージシャンたちが心を許して、教えたり、親しくつきあったりするはずがないだろう。
そしてまた同時にミカさんに接して感じるのは「ああ、九州の人だなあ」という情の濃さだ。
ミカさんのアルバム製作クラウドファンディングに、恥ずかしいばかりの些少なファンドしたところ、ミカさんから熱烈な感謝の連絡があり、「この人はこんなに全員に御礼をしているのか」と驚いたことがある。
きっと天草という土壌が生んだ、素朴さと情の濃さなのだろう。アメリカにいても、彼女はその細やかな情を持ち続けている。

カーネギーホールの舞台で。リチャード・ストルツマン、チック・コリアらと
—ニューヨークの音楽界は激しく競争社会だと思うんですが、成功するために、なにが大事だと思いますか?
「まず謙虚でいたほうがいいですね。立派な音楽大学を出ていたり、コンクールの賞を取ってきたりして、自信まんまんの若者も多くて、どうしても自分を大きく見せたがる。でもそれでは上の人たちにかわいがられないですよね。
演奏がうまいだけではだめ。当たり前のことなんですが、ひたむきに練習して、そして技術を学ぼうとする姿勢。ひたむきさと、周りに対する感謝があって、引き立てられることもあると思います。
アメリカの音楽家を見ていると、本当に層が厚いので、ポッと出て成功するということはありません。才能がある上に、毎日並外れた努力で練習を続けた人だけが一流になれる。
私も一流の人たちに認められたいし、いつかその一流をなれるよう目指していきたいと思います」
—これからの夢はありますか?
「いつかマリンバ奏者としてグラミー賞を獲ってみたいです」
美香さんの挑戦はまだまだ続く。
6月12日には、カーネギーホールで10回目のリサイタルの予定だ。
これは6月7日にロンドンの老舗レーベルAVIEから発売される新CDアルバム「PALINMSEST」の発売記念コンサートとなる。
これまでの集大成ともいえるコンサートであり、前半はクラシックを演奏。バッハの名バイオリン曲「シャコンヌ」をマリンバでソロ演奏する。またリチャード・ストルツマンとのデュオで、ジョン・ゾーンの書き下ろし作品も披露。
後半はジャズを奏で、チック・コリア作のマリンバのソロ曲を世界初演。リチャード・ストルツマン、スティーヴ・ガッド、エディ・ゴメスと長らく一緒に組んできた大御所ミュージシャンが脇をかためる。
グルーヴ感あるリズムと、美しい音色がからまりあい、クラシックからジャズまで幅広い世界を奏でてみせる美香さんのステージを、ぜひ一度体験して欲しい。
Mika Stoltzman Marimba!
場所:カーネギーホール ワイル・リサイタル・ホール
Carnegie Weil Recital Hall
日時:6月12日 8:00pm開演
入場料:$40
Mika Stoltzman Official Web.
*ミカ・ストルツマンBIO
熊本・天草出身。
2008年からNY拠点に演奏活動を展開し、9回に渡るNYカーネギーWeill&Zankelホールでのリサイタル成功を始め世界各地での音楽祭への招聘演奏など、これまで世界19カ国60都市以上で公演している。近年においてはS.ライヒ、チック・コリア、ジョン・ゾーン、大島ミチル等作曲家が曲を捧げ世界初演する他、スティーヴ・ガッドとのプロジェクト”ミカリンバ”で2枚のジャズCDとDVDをリリースしてブルーノート東京などの主要ジャズクラブやジャスフェスティバルにも出演。近年ソリストとしてはメキシコ・ハラパ交響楽団やイタリア・マッキャベリ管弦楽団に招聘されてチック・コリア作曲”協奏曲第1番パ-ト3”を初演。2014年からは夫リチャード・ストルツマンとのDUOを本格的に開始して2枚のクラシカルCDアルバムをリリース。又関西フィルとダブルコンチェルト協演。メキシコ・サンミゲル、オースチン室内楽音楽祭、ロックポート室内楽音楽祭、香港現代音楽祭、アラスカ・ジュノ-音楽祭など世界各地に招聘されている。
クラシックとJAZZを縦横無尽にクロスオーバーするニュー・ジャンルのマリンバ奏者として幅広い演奏活動を展開している。