大手企業を脱サラして、ジャズミュージシャンとなった宮嶋みぎわさん。その生き方をたどるロングインタビューの前編はこちらで。
みぎわさんは2008年2月に初めて極寒のニューヨークを訪れた。そしてジャズクラブ『ヴィレッジ・ヴァンガード』で公演を鑑賞した時に、運命の出逢いが待っていた。
ヴァンガード・ジャズ・オーケストラとの出会い
ニューヨークを代表する老舗ジャズクラブ『ヴィレッジ・ヴァンガード』。ここを本拠地とするのが、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラ(略称VJO)であり、50年以上の歴史を持つバンドだ。
初めて生で見るヴァンガード・ジャズ・オーケストラのステージに、「ボロ泣きしてしまったんです」とみぎわさんはその日をふり返る。
「もう世界一のバンドで、感動して泣いたんです。ナマで聞けるだけで泣けるし、演奏も曲もすごくて、涙が止まらなかった。泣きながら、必死に五線譜にメモしていったんです」
感動のあまり連日公演に通った。アジア人の女の子が毎日いちばん前の席に座って、泣きながらメモを取っている。その姿はあきらかに異様だったらしい。
そして三晩目のライブのあとで「きみはミュージシャンだよね?」と声をかけられた。声をかけてきたのは、サックス奏者ゲイリー・スマリヤン氏だった。
「それで私はカタコトの英語で、日本でビッグバンドやっている、30曲作ったというのを伝えたんです。そしたらゲイリーさんが驚いて、おい、みんな、来てみろよ、この子はもうビッグバンドの曲を30曲も書いたんだってさ、と呼んでくれて、他のメンバーもわらわらと寄ってきたんです」
それがVJOとの最初の出会いだった。それからリーダーと話すチャンスがあり、自分たちは日本ツアーに行きたいのだが、日本につなげられないかと尋ねられた。

だ日本に住んでいた頃、VJOのツアーに同行して。I LOVE NYのキャップが初々しい。
当時のみぎわさんは日本在住。そこから英語を猛勉強した。
英語をインプットとアウトプットに分けて学習して、NHK番組で英語をインプットする勉強をし、オンライン英会話で話すことでアウトプットの練習を毎日続けたら、一年の間に話せるようになった。
ちなみに在米歴が長い私から見ても、これは稀なケースだ。日本の人はアメリカに住んで一年もすれば、英語がぺらぺらになると勝手に誤解しているのだが、実際には十代くらいの年齢でなければ、そんなことは起こらない。
それを一年で成し遂げたというのは、みぎわさんがよほど努力家ということだろう。
日本の若者たちにジャズ教育
そしてヴァンガード・ジャズ・オーケストラの代理人となって交渉をこなし、2009年12月に『ブルーノート東京』での公演が実現した。これはVJOにとっては35年間、訪れていなかったブランクを破っての日本公演だ。

ヴァンガード・ジャズ・オーケストラと青森で公演
VJOは伝統あるビッグバンドだが、同時にジャズ教育で世界を変えると考えているNPO法人でもあり、大学での教育プログラムに参画したり、海外でのジャズ・フェスティバルで演奏クリニックを行ったりしている。
「それが教育をしたいという私の思いとぴったりあって。自分がジャズを独学したときの苦労を知っているから、ぜひとも日本の若い子たちに機会を与えてあげたかった」
その尽力がかなって翌年2010年には『ビルボードライブ東京』で、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラによる念願のワークショップを行った、
「一流の演奏家がすぐ目の前で演奏してくれる、自分の演奏を聴いてアドバイスしてくれるというのは、大学生バンドにしたら夢のようなことなんです」
おかげで2016年まで、毎年VJOジャパンツアーを打つかたわら、ワークショップを打ち、のべ2000人以上が一緒に学ぶことができた。
グラミー賞ノミネートを2回経験
ヴァンガード・ジャズ・オーケストラとの係わりはそこに留まらない。アルバムにも副プロデューサーとして係わり、2011年の『Forever Lasting』と2014年の『Overtime』でグラミー賞のノミネートを受けた。
—日本人が副プロデューサーになるということが異例ですよね。なぜそんなことが起きたんですか。
「簡単にいえば、仕事が出来ると思われて(笑)チームに入れてもらったんです。たとえばどういう曲を入れて、どのエンジニアに頼んで何月何日にレコーディングの仕方をするか。そういう作業をプロデューサーの片腕となって働きました。
また私は耳がよくて何音も聞こえるという特技があるので、ミックス(整音)の時は、『Miss Ears』(耳子)と呼ばれて重宝されていましたね(笑)」

ヴァンガードジャズオーケストラの録音風景
それから2012年には文化庁の作曲家として奨学金をもらって、1年間NYに研修留学できるようになった。これは文化庁が出しているあらゆる芸術ジャンルの将来性ある人材を、100人ほど海外で研修させるシステムだ。
それまでに日本で2回の結婚と離婚を経験したみぎわさんだったが、ひとりでニューヨークに乗りこんだ。
ゼロからの出発でニューヨークに
留学して研修したのはビッグバンドジャズの作曲法で、世界的作曲家ジム・マクニーリー氏に師事すると共に、BMIジャズ・コンポーザーズ・ワークショップというクラスに参加した。
これはビッグバンドジャズの作曲家が集まるワークショップで、自作の曲を送って参加を申請して審査に受ければ、無料で授業が受けられる。
ビッグバンドのジャズ作曲家というジャンルでさえ、たくさんの作曲家がひしめいているところが、ニューヨークらしい。
40人ほどのワークショップで、参加者は20代から60代までと幅広い。
「毎回、新しく教えてもらったテクニックをいれて、次回の授業までに死んでもトライアルの作曲を作っていったんです。
たとえばカツラむきを教えてもらったら、その次の週にはカツラむきをいれたレシピを考案して持っていく、みたいな具合です。これを絶対に欠かさずクソ毎週やっていました(笑)
作曲家だったら、作曲を最高の優先準備にあげていくべきなんですよ。でもみんな生活があるから、ついつい途中からサボりがちになるんですよね」
口でいうのは易いが、毎回必ずワークショップの作曲を提出するのは、プロといえどもむずかしい。つい仕事や目の前の問題を優先してしまうからだ。
さすがにみぎわさんほど毎回曲を作って提出した人は他に誰もいなかった。指導したマイク・ホロバー先生が感動して、ミギーはよくやった、こんなに成長した人はいないと褒めてくれた。
おかげで「あの子ほどがんばりやで、勉強家はいない」とジャズ仲間たちの間で評判になったという。
自分のビッグバンドを立ちあげる
そして2014年に『ミギー・オーグメンテッド』をニューヨークで結成。
メンバーにはワークショップで知りあった友達もいれば、新しくスカウトしたミュージシャンもいる。
「いろんなライブを見に行って、いいミュージシャンがいないか探偵のように調べましたね。で、あの人は実際どうなの、という人となりも周辺の人にヒアリングしたりして、これぞと思う人に声をかけていきました」
選りすぐったメンバーで2017年7月、NYの老舗ジャズクラブ『バードランド』に、『ミギー・オーグメンテッド・オーケストラ』として初登場。オリジナル曲を披露した。

バードランドで、自分のビッグバンドを率いて公演
続いて8月には、そのオリジナル曲を集めたアルバム『Colorful』を録音。これはみぎわさんの自己プロデュースによるものだ。製作する過程では、リクルート時代の同僚にもアイデア出しを頼むなどして、「私一人の作品ではない気がするんです」とみぎわさんは語る。
今のジャズ音楽界では、レコーディングする段階では、レーベルが決まっていないことが多い。マスタリングまで終わったあとで、レコード会社に営業をかけて、いろんなレーベルに聴いてもらい、契約を取りつける。
ビッグバンドともなると、30 本のマイクで録音して、清音する作業があって、ミックスとマスタリングに膨大な作業時間がかかる。
「2017年の10月から、あるレーベルと契約がうまくいきそうだったんです。ところが契約直前になって、じつはその契約書がウソだらけだって発覚したんですよ。あわてて話を解消して。恐ろしい目に合いました」
さすがニューヨークの音楽業界、魑魅魍魎もたくさんいる。危うく騙されかけたみぎわさんだった。そこから思い切って連絡を取ったのが『Artist Share』(アーティストシェア)レーベルだった。
「このレーベルはナンバーワンで、とてもアプローチできないところ。もう破れかぶれになって、その勢いで連絡したら、なんと社長が聴いて気にいってくれたんです」
なにごとも起こることには意味があるものだ。騙されかけた体験が、幸運を引きよせて、2018年夏、同レーベルからの発売が決定した。

ルバムを録音中のみぎわさん。アーティストシェアから発売に。
『アーティストシェア』はクラウドファンディングの先駆者でもあり、みぎわさんの新譜、そしてジャズ教育を若者たちに与える機会を募るクラファンでは、1万ドルをポンと寄付してくれた支援者もいたという。
たしかに才能あるミュージシャンはニューヨークにいくらでもいる。だが、自分で資金を出して、団員にもギャラを支払い、録音をして、マスタリングした音源を、レーベルに売りこみ、実際にアルバムを出すところまでできる人は限られるだろう。自己プロデュース能力があるのは、ずばぬけた強みなのだ。
2018年春には、さらに新しいポジションも得た。
NEAジャズマスターでトロンボーン奏者であり、ジャズ界のレジェントである作編曲家スライド・ハンプトン氏のビッグバンド「スライド・ハンプトン・ビッグバンド」の指揮者兼副プロデューサーに選出されたのだ。

伝説のミュージシャン、スライド・ハンプトン氏と。
スライドさんから「ミギーはニューヨークの宝だ」とまで気にいられている。
できないというイメージを頭から排除する
ふつうではあり得ないことをつぎつぎと達成してきたみぎわさん。いったいどうやったら、そんなことができるのだろう。
「実現したいものがある時は、ダメになる可能性は一切考えていないことが多いです。できないというイメージを頭から一切排除しますね。
なにかをなしとげる時は、どうやってなしとげられるか考えて、そのステップをひとつずつ行動していくんですね。これをやったらうまくいかないんじゃないか、という発想を頭に浮かべない。
常にどうやったらできるかを考えることだけが重要。できないことに係わる発想をすべて抜いていって、やることをやります」
—ひたすらやれる、とポジティブに考えるのですか。
「というよりも、やれるためのプランを立て、それをひとつずつこなしていくんですね。
多くの人は、できなさそうだな、というところで止めてしまうんですよ。私が不可能なことを可能にしてきた理由は、やると決めればやれると思っていたから。
たしかに一年ではできないかもしれない、でも三年かければできるとしたら、三年かければいいと思っていた。みんなその前に止めてしまいがちなんですよね」
—プロの音楽家になるのに大切なのは、やはり才能?
「才能とあってもプロとして食っていけない人がいる。食って行っている人は、食っていける方法を考えたから、食って行けているんです」
ジャズというと、ついジョン・コルトレーンとかマイルス・デイビスといった、すさまじい才能がありながら、世間一般の常識からかけ離れたタイプを思い浮かべてしまうのだが、みぎわさんは「それはド天才だけ」と断言する。
「多くの人が、ド天才で何も考えずにミュージシャンやっている人だけ見て、自分にはあんな才能はないと考えてしまうんですよ。でも食っていける方法を考えつくなら、ちゃんとプロとしてやっていけるんです。
この業界には、たいした才能なくて成功している人もいますが、その人は成功するための方法を考えるのが抜群にうまいわけです。
私自身は音楽へのパッションはあるけれど、タガを外さないほうが心地いいし、自分のバランスで成功したいですね」

みぎわさんのお気に入りのカフェで
みぎわさんは一時期、教師陣やベテランの先輩たちに「サクセスする人としない人の違いは、始めからわかるものなのか?」という質問を聞きまくってまわったという。すると、共通した答えが戻ってきたそうだ。
「たしかに成功するためには、才能はいる。前提として才能は必要だが、それだけに依るものじゃない、と。人間として人格が優れている、頭がいいというのが大事だっていうんですよね。つまりどうやったら成功するかと考えられる能力があること。それが成功する人なんです」
−音楽界で、性格が良いことが成功につながりますか?
「はい、そうですね。同じような才能がごまんといるので、人格者でないと、仕事がまわってこないですから。
私は作曲の才能なら同じ程度の人がいっぱいいると思うんです。でもマジメでいいヤツだから、人に好かれる(笑)
曲を書くときも、ひとりずつのことをよく書いてあげようとして書く。だからミギーは一生懸命やってくれる、いいヤツだよね、と思われて、メンバーがついてくる」
実際に『バーランド』で演奏を聴いたときに印象的だったのが、楽団員全員にそれぞれ「見せ場」があったことだ。全員に花を持たせてあげるステージングで、メンバーたちもみぎわさんを支えているのがよく伝わってきた。
「もうひとつ私に特徴的なのは、何かやってみてダメだったら、うまく頭を切り換えて、違う方法を試せる能力ですね」
ビジネスでいうところのPDCA(Plan Do Check Action)、すなわち 計画をたてる、やってみる、うまくいっている確認する、機能していない点があれば計画をかけて行動するという一連の作業だ。
「よくありがちなのは、マジメな人ほど計画を変えないんですよ。なまじマジメすぎるから、変えられない。でも私は最初にたてた計画がうまくいかなかったら微調整して、ダメなものならすぐ変える。まったく新しいものをするし、変えなくてはならないことにためらいはないです。
うまいミュージシャンは全部これができるんですよ。練習している間に、どの指が動いていないのか頭が情報として受け取り、それを調整するのと同じだから。
これに慣れてしまっているから、計画通りにいかなかった時のほうが、むしろ安心するくらいです(笑)」

みぎわさんの作曲メモ。びっしりと書き込んである。
—プロとしてやっていくのに自信がない若い人に、アドバイスはありますか?
「才能がないと思ってあきらめてしまうのは、もったいない。反対にいえば、心が強くないと生き抜けない業界だから、そこであきらめてしまうのなら、この世界では生きていけないかもしれないですね」
−みぎわさんは会社勤めをして遠回りをしたわけですが、就職体験が、その後の音楽生活に役立ったことはありましたか。
「ありますね。ヴァンガード・ジャズ・オーケストラのジャパンツアーを実現したり、アーティストシェアでクラウドファンディングを募ったり、いろんなプロジェクトを同時進行できてきたのは、リクルートで鍛えられたから」
編集デスクをしていた時には、全国に飛んで取材する撮影クルーを何チームも同時にスケジュール把握して、企画をまわしていた。
「じゃらんでは、同時に13特集をまわしていたことがあって、それだけまわしていても、人格が崩壊しないようにコントロールしていました(笑)それが今、役にたっています」
私自身、みぎわさんとやりとりしていて驚くのは、仕事が早いことだ。できる人間はメールが速いというが、まさにみぎわさんは電光石火、必要な画像も資料もたちまち揃えてくれる。
この能力があるから、副プロデューサーも任されたのだろうし、17人のオーケストラもみぎわさんのリーダーシップで引っぱっていけるのだろう。
人生に回り道はあっても、むだな道のりはないものだ。

マンハッタンに住むみぎわさん
—夢をかなえたい人に、アドバイスを下さい。
「自分がどういうところに日々思考が行くのか。自分がどういう人間なのかわかれば、自分をどう使えばいいかわかる。自分を徹底的に素材として分析してみることです」
カラフルなニューヨークの音色
みぎわさんから伝わってくるのは、圧倒的にポジティブなオーラだ。話しているだけで、その明るいパワーが注がれてくる。
それは彼女の音楽からも伝わってくる。新譜『Colorful』は一曲ごとに色合いが違っていて、タイトルどおりカラフルだ。
—『Colorful』にこめた思いを語ってもらえますか。
「世界のすべての人が自分の素敵さを知っていて、その個性を楽しく幸せな気持ちで発揮していけるような世の中であってほしい。その思いを込めて作ったのが『Colorful』です」
このアルバムには、みぎわさんが体験したニューヨークの色が詰まっている。移り住んできて一年目のファンキーな暮らしを曲にした“Captain Miggy’s Age of Discovery”
病と闘う親友を思いながら、極寒のニューヨークを歩いてでいるうちに浮かんだ“Drops into the Sky”
最初に住んでいた街、クイーンズのウッドサイドに実際にある木とそこに集まる鳥たちの様子からインスピレーションを得て書いた曲、“Find the White Line”
ニューヨークらしい多彩な色彩と、音色が詰まったこのカラフルなアルバムをぜひ聴いてみて欲しい。きっとあなたの心にも色とりどりの色彩が広がるだろう。

みぎわさんのアルバム「Colorful」
アルバム『COLORFUL』(CDとダウンロード版が購入できます)
■プロフィール
宮嶋 みぎわ(みやじま みぎわ)
ピアニスト、コンポーザー、プロデューサー茨城県生まれ、上智大学を卒業後、(株)リクルートに就職。2004年30歳で音楽家に転身。NYで52年の歴史を持つThe Vanguard Jazz Orchestraと知り合い、同バンド日本ツアーを2009年より毎年プロデュース。2011年、2014年には副プロデューサーとしてグラミー賞ノミネートを経験。2012年9月、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として米国NYに移住。2017年7月、秋吉敏子さん以来初の日本人ビッグバンドリーダーとして『Miggy Augmented Orchestra』(ミギー・オーギュメンテッド・オーケストラ)を率いて、NYの老舗ジャズクラブBirdlandに初登場。2018年、NEAジャズマスターSlide Hampton氏のオ−ケストラに、指揮者として抜擢される。9月、米国デビューアルバム『Colorful』をArtistShareレーベルから発売。9月30日、アルバム記念発売公演を予定。