アメリカニュース スポーツ

たかがテニス、されどテニス

マルチナ・ナブラチロワが「オピニオン」として書いていた記事を読み終えて、私の中にあったもやもやがやや晴れた。

View this post on Instagram

👋🇯🇵

A post shared by Naomi Osaka 大坂なおみ (@naomiosakatennis) on

 
大坂なおみが日本に帰国したようだ。

彼女のインスタを見る限りは、手を振る絵文字を載せている雰囲気からして、彼女の中では

「ただいま!」

ではなくて、

「こんにちは!」

かな?

つまり、彼女は「東レパンパシフィックオープンテニストーナメント」で戦うために日本に到着した。

日本との関係もいろいろあるだろうし、ここに出ているコメントでもいろいろな意見があるけれど

「テニスをしに日本に戻って来た」

それで、いいんだよね?

でも、日本人としてはやっぱり言いたいな。

「なおみちゃん、お帰りなさい💛」w
 

テニスファンとして

一昨日のニューヨークタイムズでマルチナ・ナブラチロワが「オピニオン」として書いていた記事を読み終えて、私の中にあったもやもやがやや晴れた。

マルチナが私の気持ちを代弁してくれた部分もあるけれど、何と言っても、私はテニスが大好きだったんだ、と言うことをテニスのマイブームが全盛だった頃に現役選手として活躍していた彼女の文章にそのことを思い出させてもらったのだ。

2018年のUSオープンテニスの女子決勝戦、セリーナ・ウィリアムズと大坂なおみの対戦で、何が起こったかを説明するのは、とても難しい(大坂なおみの複雑な涙:USオープンテニス2018年女子決勝戦で起こったこと)。

みんながいろいろなことを言っている。
それを読んでいたら、なんだか余計混乱し、気が滅入る。

アマチュア選手だけでなくプロ選手も参加できるようになったオープン化以降、50周年を迎えるUSオープンの歴史があり、テニスは民主主義なスポーツだと言うマルチナの言葉通りに、その間、ルール改定があり償金額も「なるべく」男女平等になるように努力が行われている。

その背景にいろいろなことがあるのだ。

私だってフェミニストのはしくれだし、勿論、マイノリティーとしてアメリカで生きているわけで、白人男性に牛耳られているアメリカ社会には嫌悪感を感じる時もある。

アメリカ在住25年以上になるが、白人男性と離婚したことによりはじめて、マイノリティーへの圧力も男女差別も一挙に感じるようになったのだから、腹立たしい。

今迄は「白人男性」に守られていたんだ。

アメリカ社会は奥が深い。

しかし、だ。

みんな複雑に考えすぎてないか、と言う結論に達した。

マルチナの記事を読んで気が付いたことは、これは単なるテニスの試合であった、と言うこと。

そして、そのテニスの試合中に起こった出来事により傷ついたのは、一人20歳の純真な若い女性の心だった、と言うことが悲しいのだ。

大坂なおみが日本人っぽいとか、謙虚だとか、耐えているとか、謝ったとか謝ってないとか。

そんなことはこの際どうでもいいことで、彼女の気持ちがどうだったのか?と言うことが大切だと思う。

アメリカで報道されていることと、日本で伝えられていることは温度差があるのはしょうがないと思うが、日本のメディアにももっとその部分について深く正しく伝えてほしい、と思った次第だ。

実際に彼女は試合後に、嬉しいはずなのに悲しい涙を流し

「こんな風に終わってごめんなさい」

と言ったのだから。

そして、セリーナに

「戦ってくれてありがとう」

と頭を下げた。

これを「ごめんなさい」と訳すか「残念だ」と訳すかなどとも論議されているようだが、まるで戦争責任を謝罪したしないの論議などとも比べられて、そうなってくるとその部分が一人歩きしているようで、あまりにも次元が違いすぎるとさえ思う。

私たちはテニスの試合を見ていたわけで、その試合をしていた選手には16歳ほどの年齢差があり、一人はもう一方の選手に小さい頃から憧れていて、自分のゴールとして目標にしていた相手だ。

USオープンテニスではファイナルで戦いたい、とずっと夢に見ていたわけだ。

そしてもう一方の選手はテニス界ではアリシア・ギブソンやジーナ・ガリソンに継ぐ数少ない女性黒人選手としてテニス界に旋風を巻き起こした元女王(姉のヴイーナスが気持ち早くに登場した)。

病気や出産、そして産後の鬱などを公表しており、最近は社会活動家としても力を入れている女性だ。

今年のフレンチオープンではテニスウェアのことが話題となり、医学的な理由であったのにも関わらず彼女のカリスマ性から次回は何を着るのかなどとファッション業界でも注目されていた。

母親になって初めてのグランドスラム優勝と24度目の優勝をかけてのファイナル戦だったし、完全復帰を確認したいセリーナファンとしてもとても楽しみだった。

大坂なおみに対する日本人選手としての思い入れは言うまでもない。

だからこそ、テニスファンとしては、真っ当に素晴らしい二人の世代交代を争うとも言える試合が見たかったし新星大坂なおみの「人生でたった一度しか経験できないグランドスラム初優勝」の場を喜びたかった。

しかし、セリーナ・ウィリアムズの乱暴な行為と言葉がそれを台無しにしたわけで…
 

テニスは美しいスポーツだ、と言うこと

私は80年代に活躍したフランス人のヤニック・ノアが大好きだった。

何故ならば、サーブ・アンド・ボレーがとっても美しく、テニスらしいテニスをしたからだ。

大柄な選手だったので、彼がボールを追って動く度に、本当に空を舞っているように見えた。

彼もフランスへの移民であったし、賛否両論あったはずだ。

しかしまだ幼かった私にとって、ノアの試合はいつ見てもとても美しく子ども心に憧れたのだ。
 

Embed from Getty Images

 
フランス人の友人は

「彼は負けたらただの黒人だよ。でも勝ったらフランスの英雄なんだ」

と、冗談を飛ばしていたし、彼に対してもいろいろな意見があると思う。

でも、少なくとも私の場合、テニスが華麗なスポーツであると教えてくれたのはヤニック・ノアであり、ステファン・エドバーグではない、という事実がある。

セリーナ・ウィリアムズは美しい。

でも、その姿はやはり当時はテニス界では衝撃的だった。
 

 
今迄には珍しい「女子でも」力強いテニスをするセリーナ・ウィリアムズを受け入れるのが、従来のテニスファンには難しかったのだ。

そして、混乱する人を助長するかのように彼女の性格も激しかったのだ。
 

セリーナ・ウィリアムズの過去のペナルティーについて

今回のペナルティーについても人種問題や男女差別で女子選手としての積もり積もった 我慢が爆発した、との報道もあるが、それはインフルエンサーとしてのセリーナの巧みな逃げの言葉であるようにも思える。

勿論、ダブルスタンダードは変わる必要はある。

しかし、彼女は性格的にも癇癪持ちであり、過去にも似たようなペナルティー処分が起きている(2004年準々決勝のジェニファー・カプリアティ戦、2009年準決勝のキム・クライシュテルス戦、そして2011年決勝のサマンサ・ストーサー戦)。

そのような自分の歴史があるからこそ、今回の試合中にセリーナは

「ここでプレイをするといつも問題が起こる」

と言ったのだ。

今回のペナルティーに対する罰金は1万7千ドルとはるかに低いが(3度の違反行為: 主審への暴言で1万ドル、コーチからの助言で4千ドル、ラケットの破壊で3千ドル。罰金は準優勝の賞金185万ドル(約2億535万円)から引かれたらしい)、2009年のペナルティはテニス界史上最高額の罰金8万2500ドルの処分となり、今後反省し態度を変えることを約束しないと「出場停止」にするとまで言われていた経歴もある。

娘が生まれて以来、子どものロールモデルとなれるように頑張りたい、と言う彼女だが、今回の決勝戦の中でも最初の警告を受けてまず最初に口にしたことは、

「今は娘がいるんだから、母親として何が正しいかと言うところで生きているのよ」

と言うことだった。

違法とされているコーチングに対して、それを「見ていない」という抗議である。

コーチングについてはよくあることのようなので違法とされていること自体がおかしいわけで、これは変わらないといけない、と言うのがテニスのオーソリティーたちの意見だ。

が、それについてどうしてあそこまで感情的になってしまったのかが、私には理解できない。

しかも彼女は試合後の記者会見で、娘(オリンピア)に関する質問となった時に

「正直言って、オリンピアが今日起こったことを彼女が大きくなった時に聞いてくるとは思わない。マミー、2018年のUSオープンで何が起こったの?なんてね。だから説明することだってないと思うわ。私だってその頃はもう2018年?それっていつのこと?ってなると思うし」

とあっさりと笑いながら言っている。

癇癪持ちだけれども反省して気持ちを取り直すことも早いのか?

マルチナだって、ニューヨークタイムズの記事の中で

「私のテニス人生の中でラケットをたたき割りたい瞬間なんて100回以上あったわよ。でもしなかった。だって子どもたちも見ているしファンだって見てるわけだし」

テニスは礼儀を重んじ優雅で美しいスポーツなのだ。
 

人種差別か男女差別か?

 
さて、現在この時点で世間で炎上しているのは、10日付けのオーストラリアのヘラルドサンでマーク・ナイトという漫画家のイラストが掲載されたことについて。

彼は人種差別的な作品で曰く付きの漫画家らしいが、英語圏の著名人たちの間では、これはひどい「人種差別」であり、しかも初優勝を成し遂げた大坂を「顔なし」のバックグラウンドとして描いていると非難する声が多く聞かれる。

友人Aは、大坂なおみが「まるで白人」のように描かれているところも、試合中、常に一人だけ冷静沈着を貫いたのが大坂だったわけで「ホワイトウォッシュ(善人はみんな白人というような意識)」されている、とも言っており、そして、両親共に黒人であるセリーナはしっかりと黒人に描かれているが、お父さんだけが黒人の大坂は白人として描かれている部分も「白人扱いされて優遇された、だから勝った」と言う意味を含んでいると言うことだ。

セリーナの横に落ちているパシファイア(おしゃぶり)は、セリーナが子どものようだった、と言う意味もあるが、もう一つ「ワーキングママ」を批判している意味もあるのではないか、と言う声もある。

これら一連の批判を受けてイラストを描いたマーク・ナイトは

「人種差別だとか男女差別だとか、そんなことじゃない。これは、お粗末な行動を風刺した漫画なんだよ。セリーナの姿をそのまま描いただけだ。セリーナは黒人だよね?だから黒人として描いた。それで人種差別かい?みんな漫画のナオミの髪が金髪だって批判してるけど、僕の目には彼女の髪の毛は金髪っぽく見える。染めてるんだと思うけど。見たものをそのまま描いたら、それが人種差別になるっておかしくない?」

とコメントしている。

受け取り方は様々だが、かなりレーシストとしての前科もありこれまでも賛否両論なイラストを描いているだけに、世の中の炎上度は高い。

しかし、このイラストレーターが言っていることにも一理ある。

と言うのも最近のアメリカ社会ではマイノリティーを批判することは、それがどういう理由であれとても難しい状態になっているのも事実だ。

人種問題ではないのに、人種問題にされてしまう。

今回のセリーナの抗議にしても、彼女の性格を指摘する人たちも多い中、そこで「女性だから?」と持っていくのは、攻撃的になる理由を正当化するための彼女の言い訳にも感じらる。

ポリティカリーコレクトが行き渡っているアメリカ社会では、そのように主張するマイノリティーがいると暴動が起こるから非常に難しいのだ。

巷のアメリカ人レベルでは、セリーナを「disgraceful」だと非難する人もそれはそれは多いが、大体はパーソナルレベルのやりとりであり家族や親しい友人たちとの間の「ここだけの話」である。

方や、日本人の代表としてトーナメントに出場している大坂を「禅」に見る人間のあり方だ、とのように彼女の人間性に感動して「日本人の心」だと褒め称えているアメリカ人もいるわけだ。

大坂にしてみたら「禅」なんて知らないと、あっさり笑ってスルーすると思うが、新コーチとして就任したサーシャ・ベイジンと共に今まで弱かったメンタルの部分を強化したからこそ、今回の優勝があったわけで、確かに大坂の静かに耐えるテニスは、セリーナが言ってるように「彼女から学ぶ」部分であるのかもしれない。

日本人の友人は

「セリーナ怖かったね!謝れとかってすっごい勢いで言ってて、映画でしか見たことなかったけど、アメリカ人って本当にあんな風に言うんだー。日本ではゴジラ対大坂って言われてるよ」

とのことだ。

そのような話になるとアメリカにいる私は、苦笑するしかないわけだ。
 

テニスにおける男女の違い(ダブルスタンダード)

セリーナのコーチはコーチングをしていた、ともあっさりと認めているし、これは明らかにコーチングは違反ではない、とルールが変わらなければいけない。

テニスには明らかに男女の違いがある。これも事実だ。

例えば賞金。

グランドスラムでは男女の償金額は同じになっているが、23回もグランドスラムで優勝しているセリーナの生涯償金額よりも12回しかタイトルを得ていないジャコビッツの方が断然高い賞金を得ている。

男子はセット数を多く戦わなければいけない時が多いので(グランドスラムは5セットマッチで女子は3セットマッチ)、錦織圭などの男子選手は4時間以上の試合を連日続けなければいけない時がある。

男子の賞金が高いのはそのようなこともあるわけだが。

そして「女子のうなり声」についても賛否両論だ。

最近ではマリア・シャラポワはじめ多くの女子選手がうなっているが、モニカ・セレシュが登場した時にショットを打つたびに叫ぶ彼女の声に「女子選手なのに」と戸惑った人も多かったはずだ。

私は、いくら男女平等を信じると言っても、自分の毎日の生活においては明らかに女性として振舞っている。

つまり、いくらフェミニストであったとしても、今まで通り女性らしく腋毛は剃るし立ちションもしない。w

勿論、男性のように決して上半身裸では歩かない。

今回もフランス人女子選手がコートの隅の方でTシャツを着替えたことで警告されていたが、それについても、男子は上半身丸裸になれるのに、なぜ女子はいけないのか?と物言いを言う人たちがいた。

全米テニス協会は、すぐさま反応し、ルールが次の日には改定されて「男女共にコートの脇のベンチでは、シャツの着替えが許される」ことになった。

スポーツブラをつけているので、確かに脱ぐことぐらいはどうってことはないかもしれないが、多分、私はそれでも抵抗があるかもしれない。

全世界中が見ている中で、シャツを着替えることは私が育ってきたルールと違うからだ。

逆に女性らしさは男性には当然かなわない部分であり女性としての特権はむしろ楽しみたいとも思う(勿論その逆があることも理解しているし、それゆえ私は自分には手に入れられない男性らしさにも憧れる)。

しかし、それが男女差別であるかと言われたらそれは違うとはっきりと言える。

テニスにおけるダブルスタンダードの廃止にしても、個人的には「らしさ」を残した部分での改善ができればいいと思うのだが、どうだろうか?
 

たかがテニスなのだけど

今回のUSオープンはテニスファンにとって夢のようなイベントになることが予想され、私も、テニスのトーナメントが始まるとその前後からいつもラインでライブチャットする日本のテニス仲間の友人たちと盛り上がり、錦織復帰の嬉しいニュースとも重なって、それはそれは楽しみにしていた。

日本人テニス選手がグランドスラムで初優勝するかもしれない!?

きゃー、マジで?
とうとうその待ちに待ったその日が来るかもしれないんだね!!

が、現実では大坂が優勝したのにも関わらず、その夢にまで見た歓喜で高まる瞬間が消えてなくなったのだ。

しかも、大阪は悲しくて泣いているように見えた。

トロフィーセレモニーでは確かにセリーナの大坂を気遣う前向きな一声で、会場のブーイングは消え、雰囲気は一転したのかもしれないが、大坂なおみの心は晴れていなかったと思う。

そして、ブーイングの責任を自分が取るように観客とセリーナに

「I’m sorry it had to end like this. I’m really grateful I was able to play with you」

と言ったのだから、それを日本語にどう訳されようが、心が傷むに決まっている。

大坂は前日にセリーナに対して「I love you!」とラブコールを送っているのだから、トロフィーセレモニーでは、彼女が「I am sorry…」と言った時にもセリーナには

「Love means never having to say you are sorry.」

と映画のセリフを引用するぐらいして、傷ついた少女へ大きい愛を返してあげてほしかった。

現実としては、セリーナこそが「ごめんね」と、リトルナオミに謝ってギューっとハグするべきだった、と私は思うが、リトルナオミは、大好きなセリーナに謝って欲しいなんて、これっぽっちも思っていないと思う。

これはテニスを超えたところの話であり、大坂の「Love Story」だったのだから(もっともこの映画は70年代のものであり大坂はもちろんのこと、セリーナでさえ、「そんな映画知らない」と言われるかもしれないが)。
 

セリーナファンとして彼女へ言いたいことがあるとしたら

結局、スポーツは見ていて気持ちいいかそうでないかの一言に尽きる。

つまり、あの試合のセリーナは、イケテない。

これから成長する自分の娘のロールモデルとなりたいのであれば、複雑な事情がわからない小さい子どもの目から見ても、一目で「カッコイイ」と彼らに映る女性でありママであってほしいと思う。

そして、コートはテニスの試合をする場所であり、社会活動をする場所ではない、ということ。

その部分は、頼もしい先輩のビリー・ジーン・キングなどが、コートの外で絶対に一緒に活動して助けてくれるんだから、時間はもう少しかかるかもしれないけれど、きっとオリンピアがテニスをする時が来るとしたら、それまでにはかなり改善されているはず(と信じたい)。

夢は並大抵の努力ではかなわないことは、私だって知っている。

セリーナは大坂以上に自分の復帰にかけて戦っていたわけだし、24回目のグランドスラムのタイトルだってほしかっただろう。

ママとしても優勝して、オリンピアにトロフィーを持ち帰りたかったのだと思う。

でも、自分の夢を追求するために人を傷つけたり関わる人の夢をぶち壊すことはフェアじゃない。

キャットスーツを着たセリーナのナイキのコマーシャルはとってもかっこよかったし、USオープンテニスのためのチェイス銀行のコマーシャルには、子育てにおいては同じように「ストラグル」する母親として強いメッセージを感じ、感動した。

が、最近ローンチされセリーナも出ているナイキの「Dream Crazy」というコマーシャルは、今回の一件で、私にとっては、なんだか全然説得力のない身勝手なメッセージとなってしまった。

私的には、それがとても残念だ。
 

最後に本当に言いたいことは

大坂なおみ選手、USオープンテニスの初優勝おめでとう!

私が言いたいのはその一言だ。

試合後、ここ数日でテレビのトークショーなどを見たが、大坂なおみはもうとっくにこの件についても前に進んでいるんだなと思った。

よかった。

グランドスラムで優勝するような人は、被害者意識も引きずらないんだ。

本当に素晴らしい。

私も前に進もうと思った。w

日本では、なかなか大坂なおみの気持ちが報道されてないように感じると友人が言っていたが、アメリカで彼女が「初めて」だというトークショーでは、

「何が起こっているのかいまいちよくわからなかったけれど、トロフィーセレモニーではやっぱり自分にブーイングが向けられているようで、悲しくなったし、観客はやっぱりセリーナに勝って欲しいと思っていたわけだから、謝らなくちゃいけないと思った」

と言っていた。

しかし、彼女もそんな気持ちをテレビでも取材でも全て吐き出し、アメリカではしっかりと受け止めてもらっているので、きっと吹っ切ることができているのかもしれない。

トークは苦手と英語でもはっきりと言っているが、その割には、しっかりと自分の気持ちは毎回素直に真っ直ぐ伝えることができていると思う。

人生2回目のトークショーだった「エレン・デ・ジェネレス・ショー」では、エレンから両親へあげたいという65インチの大型テレビが、ドン!とプレゼントされていた。

好きな俳優は誰?と聞かれると

「えっと、名前は知らないんだけど」

と前置きして「ブラックパンサー」に出ている俳優をあげていた。

「マイケル B. ジョーダン?じゃあ、マイケルにテキストしてあげるから、どうなるかはお楽しみね!後のことは約束はできないけど」

と言うエレンに、

「絶対やめて!」

と、20歳の若者らしく、照れまくる大坂なおみ。

マイケルからはすぐナオミ直々メッセージの動画が届いたようで

「超恥ずかしい〜」

と自身のツイッターにツイートする姿もとても微笑ましい。
 

 

きゃー❤ セレブクラッシュのハリウッドスターからパーソナルなお祝いのメッセージだなんて、嬉しいね!

エレンって、優しいな。

どんどん笑顔を取り戻して欲しい。

そして、これからもどんどん勝ち進んで行って欲しい、と思う。

さて、次のトーナメントは、日本で17日から開催される「東レパンパシフィックオープンテニス」だ。

日本のファンとしては嬉しい限り。

これからも更にテニス界を盛り上げるであろう偉大な勝者が日本から誕生したわけで、2018年の全米オープンの初優勝のモヤモヤが綺麗さっぱり打ち消されるかのように、日本人テニスファンにもこれからもっと大きな喜びや感動を大坂なおみは与えてくれるに違いない。

上山仁子その他のサイトHP子育てブログノースカロライナ&その近郊情報集
Advertisements

0 comments on “たかがテニス、されどテニス

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

%d bloggers like this: