ヒトコの小径

デイヴィッド・ボウイ追悼:青春の思い出がどーっと溢れ出て泣ける時

今週は、なんというキツイ週だったんだろう、と思う。 先週末から仕事でやや立て込んでいて、しかも家庭内ではちょっとしたごたごたが重なり、かなり疲れていた。

今週は、なんというキツイ週だったんだろう、と思う。

先週末から仕事でやや立て込んでいて、しかも家庭内ではちょっとしたごたごたが重なり、かなり疲れていた。

月曜日の朝。
そうは言っても仕事には出かけなくてはならず、オフィスに出向いた。

なんとなく頭がフラフラしているところで、インターネットを立ち上げた途端に出てきたコンピューターホーム画面の『NYタイムズ』には、全盛期の頃と思われる「デイヴィッド・ボウイ」のモノクロの顔写真が大きく載っていた。

え?

エイミー・ワインハウスのモノクロ写真を同誌の表紙で見た時と同じ戸惑いを感じた。

なぜ?
まさか!

鼓動を感じながら記事を素早く追っていくと、やはりそうだった。

「デイヴィッド・ボウイ、18ヶ月の闘病の後、死亡。死因は癌。69歳だった。」

あぁ。
なんていうこと…

しばらく忘れていた彼の懐かしい音楽が私の中で再び流れ始める。

いろいろな人たちのトリビュート記事に載っていた懐かしいミュージックヴィデオの中には、青春のほの苦い思い出の中で、無防備ながらも恐れを知らない若かりし頃の自分と重なり、なんとも繊細なボウイの姿を確認した。

デイヴィッド・ボウイ追悼:「ボウイと私」の思い出の曲大集合(順不同)

(曲の解説は、決してオフィシャルなものではなく、超個人的な思い入れで書いていること、ご了承ください)

多分これか次の「Changes」がボウイの曲の中で一番最初に聴いた曲だと思う。勿論当時は、ラジオが情報元だった。このヴィデオを見たのは、この原稿を書いている今が実は初めて(w)。

この頃の曲は、勿論最初にリリースされただいぶ後になってから、個人的に聴き始めたわけですが。

周りがベイシティーローラーズなどの健全で明るいアイドルで盛り上がっていた頃でも、兄の影響で、どちらかというとレッドツェペリンやフーなどのブリティッシュロックを、かなり幼い頃から聞いていた。

デイヴィッド・ボウイについては、正直言って彼のその際立ったカリスマ的ビジュアル系容姿と、彼が作り出す世界が気に入っていた。

トランスジェンダーの走りとも言われるような派手な衣装、そして、結婚しているのにバイセクシュアルだとカミングアウトしたり、ドラッグ中毒であったり、などなど。危険な香りが漂い私には触れることさえないであろう彼の世界に私も例外なく虜になったのだ。

カラオケで歌える私の数少ないレパートリーの一つ。
ビジュアル的にはこの頃の中性的で不思議な魅力のあるボウイが最高に好きだった。

最初に結婚した時に生まれた長男誕生の喜びを歌った曲らしい。
こんな曲を書いたのだから、きっといいお父さんだったんだろうなと子どもながらにもなんとなく思った。

いろいろな法的な問題からフランク・シナトラに取られてしまった曲「マイウェイ」のパロディー。そう言われるとちょっと(というかかなり)似ているような気がする。ボウイ自身は、ガラス細工のように壊れやすいように感じられる。そこがまた彼の魅力。

ドラッグ中毒に陥り最悪な生活の中で製作されたという「Station to Staion」はとてつもなく暗く、これでサントラを担当した「クリスチーネ・F」という映画はあまりにも衝撃的だった。

ドラッグ中毒から抜け出すためにベルリンに生活の場を移したこともあるというボウイは、ドイツに対する思いも深く、この辺りでは、ライブでは「ヒットラー」を擁護する発言をしたり、薬漬けだった生活以外の部分での批判やバッシングも増えていった。

私の中では、彼に対する興味は、ある意味怖いもの見たさ的なものへと変わっていったような気がする。
私自身は、 ドラッグなどに侵された世界は、非現実的のようで実際はかなり身近に存在する世界だと知りながらも絶対に近づかなかったのは、この映画の影響だと思っている。

グラムロックへの終わりを宣告した曲。
新しいイメージを作ろうと今までの自分のスタイルに別れを告げるための曲だったと言われている。

ボウイの追悼として、彼の訃報直後、マドンナは先日この曲をツアー中のテキサスで歌ったとか。彼女の現在のツアー名である「Rebel Heart」にもじってか?

イメチェン後の曲がこれ。
バックコーラスからもわかるように、アメリカのゴスペルミュージック(ソウルミュージック)を取り入れた、ということで、話題になった。

この辺からアンダーグラウンド的ブリティッシュロックからアメリカっぽいポップスになっていったようにも感じた(初期の作品が好きだった私的にはやや残念に思ったのだけれど)。

「Serious Moonlight Tour」で見たボウイは、本当にかっこよかった。
商業的にも名声的にも一番成功したのが、このツアーで、多分、この頃が彼のピークだったのではないかと思う。

武道館で「I love you!」と叫んだ私のその声は、絶対に彼の耳に入ったと信じた(w)。

そんなセリフを誰かに言ったことなんてまだまだなかった10代の私は、やはりどこか神秘的なボウイに、嫌悪感と憧れを同時に抱いていたのだと思う。

多分ボウイの後期の曲の中で私が最もたくさん聴いた曲だと思う。
当時付き合っていた人からプレゼントされたオリジナル編集カセットテープは今でもどこかに残っているはず。

このヴィデオに出てくる女性が実際に彼の当時のガールフレンドでツアーも一緒に回っていたという噂もあって、全然好きじゃなかった曲。

ティーンネイジャー(当時の私)にはまだまだわからない男と女の物語。
今、再び動画を見ると、なかなかよくできているなと思う。

「かっこいい」と言う憧れはあっても、決して自分の恋愛対象としての魅力は感じたことはなかったが、今思うと、一人の男性としてもなかなかセクシーで、とっても素敵だったんだなと改めて思う。

特に、ボウイと女性が見つめ合うシーンは熱い。
あんな風に見つめられたら誰でもイチコロだね(w)。

噂通り、本当に恋愛感情があったかどうかは知らないが、後に妻となったイマンが「チャイナガールは嫌い」と言っていたことや、彼自身も近年はあまりこの歌を積極的に歌おうとしなかったことから判断すると(インタビューの中で「もうあれは昔の話だしね」と言っていた)、噂は本当だったのかなと思う。

そういうことを考えると、ボウイも普通の男性(人間)で、その時々で、たくさんの女性(や男性)を愛し、ただひたすらに自分の人生をまっすぐに生きていたのかな、と思ったりする。

恋する男女が東西別れるベルリンの壁を隔てて密会するという内容のこの曲。

その話を私が知ったのは、当時恋愛中で最初の夫となったボーイフレンドからだった。
実際にドイツで育った(私の)彼の話はとても説得力がありロマンチックだった。

その後、ベルリンの壁が崩壊されることにもなり、もしかしたらボウイの曲が、社会を変えるために一役買っていたのかも、とさえ思った。

(ちなみに、壁崩壊時には、元夫はこの歴史的瞬間を逃すわけには行かないとベルリンまで飛んで行き、崩壊直前の壁の上でこの曲を歌ったらしい。お土産で、壁の片割れをたくさん持って帰ってきてくれた。離婚時に全部どこかへ行ってしまったけれど、最近になって、あの破片には大量のアスベストが含まれていたとニュースで知ったのは、なんとも皮肉なこと。私の中で、ロマンティックな思い出が、思いっきりの現実となった瞬間だったけど。)

この曲が含まれるアルバムジャケットは日本を代表するカメラマンの鋤田正義さんが撮ったという事実には、日本人としてとても誇り高いと思う。

鋤田さんは、私がアシスタントをしていたアートディレクターがよく仕事をしていたこともあり、デイヴィッド・ボウイの撮影秘話など、ちらっとだけれども身近に聞くことができた。

ボウイファンとしては、なんとも輝かしい特権で、とてもラッキーだった。

86年に公開された50年代のロンドンを舞台にした青春ミュージカル映画。

私の中では、イギリスの洋楽にどっぷりはまっていた時期だったが、ボウイの曲風も、ソウルミュージックとジャズっぽさがミックスされて、大人っぽい雰囲気になったと感じた(シャーデーも出ていたし)。

そんな中で主演新人女優パッツィー・ケンジットがなんとも魅力的で可愛いかったこと。

絶対的「クィーン」ファンとしては嬉しいコラボ。

名曲であるのは明らかだが、この頃は既に「クィーン」もボウイも私の中では、すっかり下降線をたどっていたわけで、やや冷ややかな態度で聴いていた曲だった。

冷ややかながらにも、私の人生で圧倒的位置を占めていたダンスシーンにおいてはやはり忘れられない曲。

後になってから、ボウイはミック・ジャガーとも関係を持ったことがある、という噂を聞いたが、まだまだ若かった私はやはりショックを受けた。今は、もう、そんなことどうでもいいんだけど(ボウイはスリーサムにはまっていた時期があるということについても理解できるようになったし、笑)。

ボウイは、偉大なミュージシャンだったには違いないが、それ以上に音楽を超えたところでの「ファッション」であり「アート」だったと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、ここからは、すべてが私の想像の世界であり、勝手に思い込んでいることなのだけれど、やっぱりコメントせずにはいられないので、書いておく。

表舞台から遠ざかったと思われた90年代以降のボウイは、引退したとも思われていたが「Ziggy Stardust」や「The Thin White Duke」など今まで彼自身によって作り出され演出されてきたキャラクターからどんどん普通の人間へと戻っていったのではないか、ということ。

スーパーモデルのイマンと結婚した時には、再度、世間を騒がせることになった彼に「またか!」と思ったが、今まで散々いろいろなことに挑戦しながらもがき続け自分の本当の居場所を探し続けてきたボウイに「あなたは、David Jones(ボウイの本名)でいいのよ」と彼女は優しく手を差し伸べてくれたのではないかなと思う。

私の人生において、多感な思春期から大人へと成長する過程において、ボウイは遠いところから、いい意味でも悪い意味でもいろいろな刺激を与えてくれたことは間違いない。

それが、ニューヨークという場所に生活を移し、私も子どもを育てる親となった時に、いきなりその遠い存在だったボウイが私の足元に現れた時があった。

それは、直接私には関係はないのだけれど、当時NY在住だった仲良しママ友Kさんが、彼とイマンの愛娘のバースデイパーティーに招待されたという話を聞いた時。ニューヨークではよく聞く話だが、有名人の子どもと学校が同じだということ。Kさんは、結局2回ボウイの娘のバースデイパーティーに参加したことがあるそうだが、とにかく、普通の親であり夫であったという証言に、ある種の衝撃が走ったのを覚えている。

ミーハーだったからじゃない(w)。

あ、でも頭のどこかで「ということは、彼も私の「パパ友」になる可能性だってあるんだ」と思った時には興奮した(それって、やっぱりミーハーじゃん、w)。

本当に「あの」ボウイが一生懸命に子育てをする一人の父親であったということを肌で感じ、神話が崩れ堕ちたことはある意味間違いないが、それでもなんだかとても嬉しくて、温かい気持ちになったのだ。

Kさんから聞いた話や見せてもらったスナップ写真は、本当にほのぼのしており、ロックスターとスーパーモデルの生活です、という背景は全く感じられなかった(勿論、ニューヨークの彼らの自宅は、一般家庭にはあり得ないとてつもなく大きいペインティングが壁にかかっていたとか、リヴィングルームからトイレまでの距離がやたらと長かったなど、そういう話は事実としてあったけれども)。

それまで宇宙人的存在だったボウイが正に「地球に落ちて」来て、あの映画とは裏腹に、意外にも地球の居心地がよく、愛する人をも見つけ幸せに暮らしました(Happy Ever After)、というまるでおとぎ話のような筋書きだったように思えた。

なんというか、彼は人生を全うしたんだな。

今回発表された彼のアルバムのプロデューサーが

「彼の死は生き様同様、アートだった」

と言ったらしいが、私はむしろ、彼の死を通して彼は「血の通った人間だったんだ」というメッセージを残してくれたのではないかと思う。

私たち人間には、必ず最期が訪れる。

「愛する家族に囲まれ平安に逝った」という記事を読んで、幸せな死に方をしたな、と思った。

2002年頃、心臓疾患にも患ったようで、それ以来は「体調不良」と戦いながらの生活だったのだそうだ。

そのあたりのことは、 あまり大きくはメディアでは扱われていないようだが、それでもライブ活動を続け、2013年には見事なカムバックを果たしている。

ベルリン時代を超えた後の第一弾で、1980年にリリース、イギリスで1位になった。

新しいものを生み出そうとする中で、いろいろな意味でも初期の曲に出てくる「Major Tom」にボウイ自身を重ね、過去を燃やしてしまいたいと思う複雑な思いが反映されている曲だと思った。

明と暗がごちゃ混ぜになったような曲。
それでも、ボウイらしいとっても幻想的な曲で、私が一番好きな曲の一つでもある。

無神論者として知られていた時期もあるボウイだけれども、華やかな成功と名声の裏側で、生き延びるためにいろいろな宗教にもしがみついた、と言っている。

「Ashes to Ashes」とは、キリスト教聖書の中にある言葉で、「人間は灰から生まれ死ぬ時も灰に帰る」という意味のもの。

当時は全く気がつかなかったけれど、やはり彼は昔から悩める人間だったんだ。
そして、それが実は、彼の最大の魅力だったのかもしれない。

RIP David Bowie

ボウイの死去が確認された後にインスタグラムにて投稿されたイマンの言葉は、

The straggle is real, but so is God.

だったそうだ。

最初の出だしで、先週は家庭内でちょっとしたごたごたがあったと書いたけれど、全然大したことではない。

だって私たちは、健康でまだ生きているのだから、なんとかなるに決まっている。

私の人生の一幕に流れ始めたデイヴィッド・ボウイの新譜は、かなり悲しく響いている。
それが勇気の音色だったことに気がつくのは、もう少し時間がかかるのだろう。

彼の音楽は永遠だ。

Thank you for all the memories, David Bowie!

ご冥福をお祈りします。

上山仁子その他のサイト・HP子育てブログノースカロライナ&その近郊情報集
Advertisements

0 comments on “デイヴィッド・ボウイ追悼:青春の思い出がどーっと溢れ出て泣ける時

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

%d bloggers like this: