セレブの小部屋

スーザン・ボイルに続け!TV『アメリカズ・ゴット・タレント』で会場を湧かせた日本人ミュージシャン、アーサー・ナカネ

24年前、ロスアンジェルスのスタジオで日本語の吹き替えナレーションの仕事をしたときに私の監督になったのが、アーサー・ナカネさんだった。

彼からもらった名刺には、複数の楽器を演奏する男性の漫画イラストが入っていて「ワン・マン・バンド」と書かれていた。
通訳や翻訳の仕事もこなすが、じつはアーサーさんは彼一人で結成するバンド“ワン・マン・バンド”のミュージシャンだった。

サンタモニカ・ビーチで演奏するアーサー・ナカネ氏 PHOTO : Mawele Shamaila

時折、ロスアンジェルスの路上で演奏する彼の姿を見た。

立ち止まって彼の演奏に聞き入る人たちは、みんな微笑みを浮かべていた。中にはお腹を抱えて爆笑する若者もいた。
一人でいくつもの楽器をこなす日本人。みんなが感服したが、音楽だけではなく彼の喋りも楽しかった。

「なぜ、色の違う靴下を履いているの?」と、傍聴者に聞かれて
「穴が開いてない靴下を選んだら違うペアになったんだ」と答えた彼に、私も大笑いしたものだ。

LAのリトル東京でストリートパフォーマンス中 PHOTO : Julie Wolfson/ LAist

私はニューヨークへ引っ越し、アーサーさんを目にすることはなくなったが、私たちはよく電話で話すようになった。

ビートルズのファンである彼が、ポール・マッカートニーの娘ステラ・マッカートニーの催しで演奏することになった話を聞いたときには一緒に喜んだ。

そして、2008年12月、彼が愛情こめて手作りしてきたワン・マン・バンドのギアがすべて盗まれたという悲報を聞いたときには心を痛めた。

装置が壊れては直しを繰り返して、長い「ワン・マン・バンド」歴を積んできた彼である。
1970年にドラム・マシーンを購入してバックグランドに使用し始めたときに「ワン・マン・バンド」と呼ばれるようになったのが始まりだった。

彼は2つか3つの楽器を同時に演奏する方法を探求し始め、1972年にシンセサイザーを購入して足で弾けるキーボードへとカスタムメイドした。それにハーモニカを追加してからは「ワン・マン・バンド」と名乗るようになり、1975年にいまのスタイルが確立されたという。

そのギアが目の前から消え失せても、彼は諦めなかった。彼はまた少しずつ楽器を集め、世界に1つしかないアーサー・ナカネのワン・マン・バンド・ギアを再生したのだ。

「僕がストリートで演奏するのは若いカップルに何かを与えるため。
人生で思い出を作っている最中の若い人たちにアドバイスを与えたいんだ。
その二人がそこにいるだけで、それが僕のベストステージになる」

そんなことを語るアーサーさんだ。

演奏の合間に、人生へのアドバイスをも語るアーサーさんに感動する人は多い。ただの通り行く人であった傍聴者から「貴重なアドバイスをくれた。考え方を変えてくれた」とメールをもらうこともある。

「ただ、お金の面では辛い」と、語るアーサーさん。

ワン・マン・バンドのセットアップ、そして片付けにも3時間近くかかる長時間労働の上、バッテリー代や駐車代などの経費。道行く人からのチップだけでは赤字にもなりかねない。

それでも、アーサーさんは毎週末、多くのギアを車に積み込んでサンタモニカやリトル東京へと出かけては、道行く人に彼の哲学や希望や楽しいときを与えているのだ。

私はいつもそんな友人の献身さに心を打たれる。

LAの桜祭りで路上でパフォーマンスするアーサー
PHOTO : Dustin Huang

そして、今年6月30日。アーサーさんは全米の脚光を浴びた。
全米ネットワークの人気番組「アメリカズ・ゴット・タレント」の出場者として、ミュージシャン歴47年の日本人男性アーサー・ナカネがテレビ出演を果たしたのだ!

彼は以前も「ジミー・キンメル・ライヴ!」などのテレビ番組に出演している。
でも、今回は世界が注目する公開オーデション番組である。

イギリスの「ブリテンズ・ゴット・タレント」が生んだスター、スーザン・ボイルに続くスターは誰か? そのアメリカ版であるタレント番組だ。

賞金百万ドル、そして何よりも注目を浴びる機会を求めて、全米から気が遠くなる数の出場希望者が集まり、その中から選び抜かれた人たちがテレビ出演を果たしたのだ。

彼らは俳優兼ラッパーのニック・キャノン(マライア・キャリーの夫)の司会のもと、3人の審査員ピアズ・モーガン、シャロン・オズボーン、ハウイ・マンデルと観客の前で芸を披露し、2次オーデション開催地ラスベガスへと進出する機会を狙ったのだ。

人気テレビ番組「アメリカズ・ゴット・タレント」の審査員たち (左より)ピアズ・モーガン、シャロン・オズボーン、ハウイ・マンデルも アーサーのショーを楽しんだ PHOTO : 2010 NBC Universal Inc.

73歳の日本人アーサー・ナカネは、この舞台で観客から大喝采を受けた。

「僕がやっていることは誰でもできる。これは、あなたでもできることだ。
僕に才能があるからやっていると思われるのは嫌だ。才能なんて誰でも持ち備えているものなのだ。
これはあなたができることなのだと伝えたい」

と、アーサーさんは観客に訴えたのだ。

観客はまるでオバマ大統領を応援するかのように「イエス、ウィ・キャン!(私たちはできる!)」と総立ちになって合唱し出した。
じつは、観客は彼が演奏を始める前からアーサーさんに魅了されてしまったのだ。

通常の出場者は30秒から1分程度のインタビューをされるのだが、アーサーさんだけは審査員たちが彼に興味を示して長く続いた。

テレビではその全てが映されていないが、彼は日本から渡米し、6人の子供を育てながら夜にはナイトクラブで演奏をして10年かけて大学を卒業し、努力でここまできた人生ストーリーを舞台で語ったのだ。

音楽の才能があるからやってきたわけではない。サバイバルのためにやってきたのだ。
「多分、できるんじゃないかな」では、ダメだ。「多分」では子供6人は育てられない。

オプションではなく「イエス、できるのだ」と言い聞かせなければ、ここまでやってこれなかった。彼はそう語ったのだ。

彼は観客の前で、3つのDの単語“Direction(目標)”“Determination(決意)”“Dedication(献身)”が、最も大切だと説いた。

つまり、「なにかになりたい」「なってみせる」「なるまで頑張る」という3本柱があれば、なんでも可能である、ということだ。

観客は彼の教えに総立ちで拍手喝采し、「イエス・ウィ・キャン!(ええ、私たちはなれる!)」と、叫び続けたのだった。
審査員のハウイは「セミナーのようになってきたな」とジョークを飛ばしたという。

彼がいよいよワン・マン・バンドを披露したときには、審査員たちや観客が目を輝かせていたのも無理はない。

そしてハウイが彼の芸に「ノー」と評したときには、観客からブーイングが起きたのも頷ける。

そのあとシャロンが感動した様子で「あなたとラスベガスで一緒に過ごしたいの。だから、イエス」と判決したときには、観客は大喜びで、またもや「イエス・ウィ・キャン」が絶唱されたのだ。

そして、キツイ判決を出しがちなピアズからは「あなたの献身さと勤勉さを称えてラスベガスに送ろう」と判決がでた。
アーサーさんが説く“3つのD”があれば何でも可能であることが証明された瞬間だった。

会場は大いに湧いた。
そして、アーサーさんはラスベガスへと旅立った。

Copyright: 2010 Yuka Azuma/あずまゆか

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渡米は1982年。ロサンゼルスに13年在住後、ニューヨークへ。84年より映画記事を中心に雑誌等に寄稿。ハリウッド映画スターへのインタビュー歴は30年以上。訳書にマーク・デヴィッドジアク『刑事コロンボ』(角川書店)、同『刑事コロンボの秘密』(風雅書房)、フランク・サネロ『ジュリア・ロバーツ 恋する女神』(講談社)『ヴィダル・サスーン自伝』(髪書房)がある。

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