ヒトコの小径

アニー・リーボヴィッツと「the New Yorker」

最近日本でも公開になったというアニー・リーボヴィッツの映画のことを知って、久しぶりに「the New Yorker」でインターンをしていた頃のことを思い出した。
当時、私とアニーは、ファーストネームで呼び合う仲だったんだから(笑)。 創刊70周年を記念する特集では、その年に判決が出るということでいろいろと話題になっていたO.J. シンプソンの記事を組むと決まっていた。
90年代半ばのNYでは、O.J. シンプソンのことは単なる殺人事件の枠を超えて、人種問題に発展していた時。

しかし当時タブロイド誌を賑わしていたシンプソンネタを敢えて取り扱うのは、ゴシップ記事は一切載せないという「the New Yorker」としては初めての試みで、スタッフ一同が細心の注意を払っていた。
外部から業界の巨匠たちがオフィスにもぞくぞく現れた。
写真、記事、レイアウト全て含めて世の中に発表する前に、先生方のオッケイを取るためだ。
こればっかりは、ティナ・ブラウンだけの力ではダメらしい。

歴史も古く評価の高い「the New Yorker」ともなると、失敗は許されない。
根回し?
と思いつつも、毎日現れる「オオモノ」を私は楽しみにしていた。

アニーも、私たちのオフィスにしょっちゅう顔を出していた。
今は引っ越しをして移ったようだが、その時はブライアントパークの真向かいに面するビルディングにオフィスがあり、ニューヨーカー気分で、ブライアントパークのベンチに腰掛けランチを食べていたりすると、一人、公園内を横切って歩いて来るアニーを見かけたこともあった。

アニーはいつも、アメリカでは「NHK」みたいな存在の「チャネル13」の薄汚いトートバッグを下げていた。
意外にもちょっと大柄な感じの女性だ。

撮影中は、かなり難しい人らしいが、私たちのオフィスでは、極めて気さくでとても感じのいい、普通のおばさんだった。
日本の広告業界にいた私は、以前からアニーの写真は目にしており、写真家としての彼女のことも崇拝していた。
自分の中でアーティストとしてイメージが出来上がっていたので、あまりにも普通すぎる本人に初めて会った時は、かなりショックだった。

アートディレクターにかかって来た電話を取るのは私の役目で、そこでミーティングをしていた時にはアニーにもかなりたくさんの電話がかかって来たのを覚えている。
ニューヨーカーらしく、彼女はかなり早口だ。
緊張しつつも「Annie, it’s for you.」と受話器を渡していたが、その時にも優しくウィンクをして「ありがとう」と彼女は言ってくれていた。

今回、映画のHPを読んで初めて知ったが、彼女はレズビアンで、パートナーは、小説/評論家としても有名な故スーザン・ソンタグだったのだそうだ。
ちょっとびっくりした。
携帯がまだ普及していないその時代。
もしかしたら、スーザン・ソンタグからの電話も私は取ったことがあったのかもしれないなあ、と思ったりした。
そうだとしたらスゴい。

ミーティング中に、日本では考えられないが、インターンだった私に「あなたはどう思う?」とマジメに意見を聞いて来てくれたことも、とても印象的だった。
私は、NYに来て比較的直ぐにそこでの「デザインインターン」のポジションを手に入れた。
その時は同じ「コンデネスト」系だったら「Vanity Fair」の方がいいなあ、とか、できれば「Rollingstone Magazine」の方がいいなあ、なんて思っていた。
カティングエッジを狙うヴィジュアル系デザイナ-にとっては、読み物中心で面白みのない「the New Yorker」でのインターンは、それほど私にとっては大きいことではなかったのだ。

しかし、実際に中に入ってみると、たまげることが多かったなあ。
アニーのような有名人は来るは、リチャード・アヴェドンのオフィスとも連絡を取らされるは、編集長は今でいう「セレブ」だ。
彼女(ティナ・ブラウン)の部屋の斜め前のブースでいつも作業をしていたが、毎朝、送られて来る花束のスゴさにいつも驚かされていた。

アヴェドンは、あらゆる媒体において自分の写真や記事がでる場合、写真のトリミングは勿論外部者がすることは許されないが、記事全体の版下まで全てアシスタントが作るという徹底振りだった。
そのようなプロフェッショナリズムも改めてそこで学んだ。

「the New Yorker」とは、ニューヨークに住む人だったら絶対に知っている雑誌の一つ。
ニューヨークの文化は勿論、批判、社会/政治問題などをウィットを利かせて文章に綴る優れたライター陣をコントリビューターに控えた、かなーり読み応えのある雑誌だ。
サブウェイの中で、「the New Yorker」をさり気なく読むことができたら、アナタも今日からニューヨーカーの仲間入り、ということになる。

出かける時にバッグの中に入れたいのは「US Today」じゃなくて「NY Times」や「Wall Street Journal」だろうし、「People Magazine」の代わりに「the New Yorker」を手に持っていると、ちょっとインテリっぽく思われる。
(似たような名前で「New York Magazine」というのもあるが、これはもう少しゴシップネタも含まれていて、ガイドブック的要素も高いモノ)

現在はどうだか知らないが「the New Yorker」は、雑誌では珍しく編集サイドのクレジットは入れないという方針があった。
私がついていたアートディレクターは、カナダ人の女性だった。
他にデザイナ-は、当時ホットなデザインファームだった「ペンタグラム」を経て来たという若い女性が一人いた。

レイアウトは全て私たちがピンセットを持って手で作り、出来上がったらコンピュータ-のオペレイターに指示を出す、という段取りだった。
ソフトは東海岸では珍しく「ページメーカ-」を使用していた。
一緒に仕事をしていた人たちはもういないだろうなあ。
学生時代の懐かしい思い出。

アニーは、ソンタグの死後、子どもをもうけている。
51歳で母となったアニーだ。
2番目の双子の子どもたちは代理母に生んでもらったらしい。
日本だったら、どちらともいろいろ騒がれたことだろう。
アニーだから、というのもあるが、NYでは、そういうこともさり気なく出来てしまうのだ。

その後、ケン・ワタナベが出ていたアメックスのCMで、スティール撮りはアニーにお願いした、とスタッフの一人だった友人から報告を受けた。
あまりの頑固さで、ケン・ワタナベと喧嘩になったのだそうだ。
ピリピリとした中で撮影は行われたが、出来上がった作品は、アニーらしく素晴らしいものだった、と友人も納得していた。

アーティストとしていつまでも妥協をしない態度でいられることはスゴいこと。
現在の私とアニーの共通点は、同じぐらいの年齢の子どもの親同士であるということ。
もし今度会うことができたら、子育ての話しでもしたいなあ(笑)。
きっとそういう時には、「写真家アニー・リーボヴィッツ」ではなくて、
どこにでもいる母親の顔になるのだろう。

上山仁子その他のサイト・HP子育てブログ
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