ヒトコの小径

この日も「just another day」だったのか?

8月14日、午後4時10分。電気が突然消えた。といっても、私は全然気が付かなかった。

私は、その日、自宅で子どもたちの世話をしていた。いつものように、次男が2時過ぎにお昼寝から起きてきたので、急いで食事をさせ、公園に出かけた。外に出ると消防車が2台、私たちのコンプレックス内に止まっていた。

「あれ?どうしたのかな?」と思ったが、そのまま通りすぎた。実は、数日前にうちのビルディング内で飛び降り自殺があったので、私は連鎖反応でまた誰かが飛び降りたのかな、と思ったのだ(自殺を図ったのは、一人暮しの高齢の女性。6階の自宅のバルコニーから飛び降りたらしいけど、幸か不幸か、助かったらしい。その時もはしご車が2台来ていました)。

停電に気が付いたのは6時過ぎ、ビルディングに戻ってきてからだった。消防車がまだ止まっており、人だかりがしていた。近所のビルディングのバルコニーにも人がたくさん出ており、外の様子を伺っているようだった。「何だ?何だ?この騒ぎは?」
ロビーに入ると、電気がついておらず真っ暗だった。ドアマンがフラッシュライトを持って、慌ただしくしていた。「どうしたの?何が起こったの?」と聞くと「これは、神の仕業だね。カナダからオハイオ、ミシガンなんかまで全地域で、大停電になっちゃったんだよ」と言っている。私は即座に「テロだ!」とマジで思った。

エレベーターも止まっているので、非常階段を昇りたくない人は、ロビーで待機していた。非常階段も真っ暗で、こんな暗闇の中、次男を抱えて怖がりの長男を大人しく11階まで連れて行くことはできないなあ、と判断した。どうしたものか、としばらくみんなと一緒になって情報収集しながらロビーで待っていたが、ドアマンが 「非常階段で上に行きたい人は、僕について来て」と大きいフラッシュライトを持って来たので、覚悟を決めて階段を昇ることにした。グループの中には、杖を持った高齢者もいたので、ゆっくり行けるかな、と思ったのだ。

「私たちも行きます」と言ったら、横から「ストローラーは、僕が持ってあげますよ」と言ってくれる若者がいたので助かった。

片手で次男をだっこし、もう片方の手でしっかりと長男の手を引き、いざ出動。うわぁ。本当に真っ暗だ。ドアマンが「僕が下から照らすから、みんなは先に行ってね!足元に気をつけて、ゆっくりと!」と誘導してくれた。

長男は私の期待を裏切り、何だか喜んでいる。「ジャッティン、後でワニのフラッシュライト使う!」とグランマから貰った玩具のライトのことを思い出しているらしかった。よかった。子どもが泣き叫んで愚図りだしたらきっと辛かっただろうけど、幸い、15キロ近くある次男を抱えていた左腕が痺れただけで済んだ。こういう辛さは我慢できる。

途中で「どうして電気が消えちゃったの?」と繰り返す長男の質問には、息切れも手伝って何と答えていいのかわからなかった。「あのねぇ、ジャスティン。マミーもよくわからないから、あとでダディに聞こうね」と適当にごまかした。

アパートメントに入ると、コンピューターのパワーステイションからピーッピーッと音がしていたが、外からの自然光で部屋も明るく、一見、何も変わらなかった。一日中、エアコンを入れていたので冷気も多少残っている。「子どもが寝てしまえば、何とかなりそうだ。でも、夕飯、どうしよう?」

タイマーで準備していたライスは炊けていないし、ガスも使えないようになっていた。勿論、マイクロウェーヴも使えない。「困ったなあ。冷凍で作り置きはしていても、非常食の準備はしていなかった」と反省している場合ではない。その日に限って冷凍していないパンがあってよかった。今日はそれだけで済ませよう。

そんな感じで適当に子どもたちに食物を与えていた頃、ブザーが鳴った。こんな時に誰だろう?「どなたですか?」と聞くと「近くに住む者です」と外国語アクセントのある英語で答えている。「ご用件は何ですか?」と私が言うと「ドアを開けてください」とだけ言ってくる。

夫もいないし、警戒心の強い私は「今、たてこんでいるので開けられません」とだけ言った。一言二言、何か意味不明のことを言っていたが「じゃあ、隣に聞いてみます」と去って行ったようだ。私は、停電騒ぎにつけ込んだ強盗か、人さらいか、テロ組織の一身か何かだと思い込んだ。

子どもたちが寝る準備を始めた頃、水が出なくなりかけていた。慌てて2、3個のポットに水を汲み、その水で顔や歯を磨かせた。やっばいなあ。私の不安が募って来ると「夫は、今頃、どうしているのかなあ?サブウェイに閉じ込められていなければいいのだけれど」と心配になってきた。夫の帰りが待ち遠しい。2年前の9/11の時は、母やベイビーシッターが一緒にいてくれたのでそうでもなかったが、この日は、夫のいない「心細さ」を確認した。

子どもたちがいつも通り8時半に寝てくれた。それからだんだん暗くなっていく部屋の中で、キャンドルをつける為のマッチがないことに気が付いた。もしかして、さっきの人もマッチが欲しかったのかもしれない、と私はちょっと反省した。「What goes around, comes around.(人にしたことは、自分にも降りかかってくる。だから、されたくないことは人にもしない方がいい)」という格言が頭をよぎる。「ああ。きっと誰もマッチなんてくれないに違いない」と思いつつ、また階段でドアマンの所まで行く根性もなかったので、隣近所のドアをノックすることにした。

思ったよりも人々は親切だ。普段は顔も見たこともない隣の住人にマッチをもらい「また困ったことがあったら、いつでも来てね」と言われた。

自分のアパートメントに戻ると、キーをかけて出なかったことに気が付き、子どもたちが寝ているというのに、ちょっと焦った。冷静に振る舞っているようでも、やっぱり心が乱れている証拠だ。落ち着かなくては。

9時になっても夫は戻ってこない。キャンドルの灯りでずっと一人で外を眺めていた。

私たちのアパートメントは11階の角部屋で、クィーンズとブロンクスを結ぶ2つの橋をはじめ、普段は窓の外できらきらと光る灯りが、パノラマで遠くの方まで見渡せる。でも、この日は真っ暗。病院だと思われる建物と車が通っている所だけに明りが見え、まるでバットマンに出てくるゴッサムシティのように不気味だと思った。

外の暗闇の中で、意外とニューヨーカーにも喫煙者が多いことがわかる。バルコニーや窓越しでたばこを吸っている人の姿が見えた。蛍の光りの様に所々で光っていた。

すぐ下を走るクィーンズブルヴァードでは、たまに通るバスは満員状態。ストリートは、やけに人が多いなあと思ったら、みんなサブウェイに乗れない為にどうやら歩いて帰宅している人たちらしかった。さっき公園でラケットボールをしていた中学生たちが「信号も消えているんだよ~!」と興奮して仲間と話しをしていた意味が今になってわかった。

前日に食物の買い出しに行って来たばかりだったので、冷蔵庫に詰めてあるものが腐らなければいいのだけれど。明日もこの状態が続くとしたら、大変なことになってしまうなあ。どうしよう?

10時近くになり、やっと夫が帰って来た。笑いながら部屋の中に入って来た夫を見て安心した。「全く、5時間かかったよ。信じられないよ。ずっと歩いて帰って来たんだ。テロの時より大変だったね。途中で、座り込んでしまう妊婦がいたりして、可哀相だったよ。今からでも僕たちの車を出して、カーサーヴィスでもしようかなあ。まだまだたくさん、歩いている人はいるんだから」と夫が言った。こういう時、夫はヒューマニタリアンに変貌するのだ。そこが自分のことしか考えない私との大きな違いでもある。

それにしても5時間も歩いたとは、可哀相だと思う前に、呆れてしまった(次の日のニュースで、夫のように歩いて帰宅せざるを得ない人たちの映像を見ました。私もそういう状況だったら、きっと歩いたでしょう。みなさん、ご苦労様でした)。

夫が持っていたラジオを二人で聞いて、いろいろと事情を把握した。テロではないらしい。最近のイラク戦争やテロ一連のアメリカ政府サイドの報道に不信を抱いている夫は「仮にテロだったとしても、それがどうしたっていうわけ。そんな報道に惑わされてはいけないんだ」と強気でいた。

夫は、暗闇の中で星がとってもきれいに見えたと言っていたので、二人で空を見たら、月が異様に大きく真っ赤だった。「うわぁ。すごいねえ」

ラジオでヒラリー・クリントンが、一時間後にはクィーンズ地区は完全回復するだろう、と言っていたが、11時を過ぎてもまだ状態は変わらなかった。しょうがない。こういう時は、待ってないで寝るに限る。普段の睡眠不足を取り戻そう、と私はあきらめて11時半に床に就いた。

電気が回復したのは、次の日の朝9時だった。夫が食料品を買いに近所に出かけている間だった。いきなりぱっと明りが付いたらしいが、別の部屋にいた私は気が付かず、走りよって来た長男が教えてくれた。「マミー!ついたよ!電気が直ったよ!」思わず私は、長男と抱き合って喜んだ。

何故、停電が起こったのか、いろいろと現在でも原因追及の為、調査されているらしい。カナダとアメリカサイドで責任のなすり付け合いがあったそうだし、ナイアガラ付近で落雷があった、と報道されたかと思えば、別のニュースでは、アメリカ国内のある原子力発電所(nuclear power plant)で火災が起きたとも噂が流れた。原因はどうであれ、電力設備投資の遅れが問題であるとも言われ、電力自由化のあり方をめぐる論争にも火がついている。

一体、ことの真相はどうであるのか、私にはわからないが、どうも奥が深いように思える。「nuclear power plant」自体に問題があったとは、その後、一切聞かないが、発電所閉鎖運動が盛んな時期に、アメリカ政府も報道の仕方に注意を払っているのかもしれない。イラク戦争時にいろいろとメディアを操ろうとした過去があるだけに、政府が、また何か繕っているのではないか、とも思えてくる。テロに関連はないとしても、これはただの「大停電」ではないのかもしれない。アメリカ国内の政治がかなり絡んでいるな、と思えてならない。

「大停電」といえども、一日ぐらいのものであれば、実は大したことではないのだ。個人的には、子どもたちのことを考えて最悪な事態を想像し、いろいろ心配してしまったが、9/11を経験した後ではニューヨークにいる人々は本当に強くなったと思う。

しかし、今まで当り前だと思っていたことがこんなにもありがたいものだったなんて、価値観が変わってきそうだ。非常事態に備えていろいろと食料品や「グッズ」を用意しておくことも大切だが、その前にこういう時でもそれ程困らない普段の生活の在り方を、もう少し見直した方がいいなあと思った次第である。

上山仁子その他のサイト・HP子育てブログ
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ニューヨーク在住15年を経て2007年12月よりノースカロライナ州へ生活の拠点を移したグラフィックデザイナー兼ライター。英語学習・ティーン向け・女性のためのコーチングも行っている。

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