ヒトコの小径

クリスマスに思うこと

Merry Christmas!

相変わらず寒い日が続く。今年のロッカフェラーのツリーはまた一段と美しい。点灯式のすぐ後に、家族であのツリーを見に行ったのだが、先日、仕事のミーティングがロッカフェラープラザの中であったので、ミーティングの前にまた一人で眺めることができた。ちょっと得をした気分になった。もの凄い人だかりだったが、何度見ても感動する。

冒頭で「Merry Christmas」と思わず書いてしまったが、この言葉、クリスチャンの家族や親しい友人の間では使うけど、ニューヨークでは、やたらめったら言わない方がいい。

ビジネスやご近所同士での会話は、大体が「Happy Holidays」。クリスマスって、日本では、恋人同士のお祭り騒ぎって感じだけれどアメリカでは、立派な宗教上のお祝いごとなのである。

私のボスもそうだけれど、ジューイッシュはクリスマスなんて祝わない。だから、家にもクリスマスデコレーションだってない。郊外に行くと、ジューイッシュの人たちが沢山住んでいるエリアは、この時期でもクリスマスライトが全然ないから真っ暗で面白くないのだ。

ボスが言うには、子供がひがむと困るので最近はハナカにもギフト交換をするジューイッシュの家族が増えているらしい。

私の家は、カトリックで育った夫の影響で、やっぱり家には大きいクリスマスツリーを飾っている。チャーチへ行ったりなどという宗教的なことは一切しないが、 夫はサンタクロースのマジックを子供にも教え込もうとやたらと目を輝かせていた(彼は11歳になるまでサンタクロースの存在を信じていたそうだ。

ある日、父親から実はサンタクロースはいないんだよ、って言われた時は、あまりの悲しさで、泣きたくなった、と言っていました。夫には悪いが、来月で4歳になる長男は「サンタクロースはダディなんだよ。TVでやってたもん」とこっそりグランマに言っていたらしい。

それを夫に伝えたら、そんなことを放送するTV番組に対して、やたらと憤慨していました。それにしても、最近の子供は結構冷めているのかも)。

12月にもなると、あちらこちらでサンタクロースの格好をした人たちが登場するようになるが、ニューヨーク辺りでは、マンハッタンの「メイシーズ・サンタランド」にいるサンタクロースが本物のサンタだと信じられているらしい。いづれは子供を連れて行きたいと思うのだが、実現するのはまだ先になりそうだ。

イヴの晩、寝る前に、遥か北極圏からやって来るというサンタさんと赤鼻のルドルフの為に、リヴィングルームにクッキーと人参を用意して置いておくといった小細工にも、夫は張り切っていた(クリスマスの日は子供よりも少し早く起き、サンタクロースとルドルフがしっかり食べた形跡を残すため、クッキーや人参を各々一口かじっておくのです。去年は「あのクッキー、ダディが食べてた」とバレバレだったけど、今年は大丈夫でした)。

ツリーの下に山積みになっているプレゼントを見ながらきらきら輝やく子供の目を見ていると、クリスマスは本当にみんなに最高の夢を与えてくれるのだなあ、と幸せな気分にならないではいられない。

しかし、キャンディずくめのハロウィーンといい、両手に持つことのできないくらいのプレゼントを貰うクリスマスといい、アメリカの習慣というものは、行き過ぎだと思うことが多く、私は戸惑ってしまう。クリスマスにパーティプーパーになりたくはないけれど、子供へのプレゼントの与え方などを見ていると、ものの価値感を下げる「浪費」であるのではないか、とやや物言いつけたくなってしまう。

街のデパートメントは夜中まで営業時間を延長しているし、人々はクリスマスショッピングのために会社を抜けてストリートを走り回る。この消費は、アメリカ経済のことを考えると必要なものなのだろうが、楽しいはずの買い物も、家族や親戚が多い人たちにとっては、かなりなストレスとなるわけだ。

そして、そこまでして買ったのにもかかわらず、次の日には店のカスタマーサーヴィスコーナーで、返品交換の行列が出来てしまうのだから悲しいものがある。この光景は全くおかしなものだと思う。

街はクリスマスライトで輝いている。アメリカはやはり「豊かな国」なのであるということなのだろう。しかし、こういう「浪費」をしているからこそ、アメリカはテロリストたちから狙われるのではないか、とふと思った。

テロリズムは、もの凄く複雑な宗教的、歴史的理由があるから起こることなのだろうけど、実はもしかしたら、こういう「浪費」を私たち一人一人が避けることでアメリカの在り方を変えることができるのであれば、テロだって少しは防げてしまうのかもしれないとも思った。

東京の兄から、私たちにもクリスマスプレゼントが届いた。家族おそろいのラルフ・ローレンの赤いシャツだ。星が13個だけのアメリカ初代国旗が背中に付いている。

テロ以降、星条旗も今までとは違う意味が込められてしまうようになり、戦争反対を唱える夫は、今、星条旗付きのこのシャツを着ると誤解を招く恐れがあるので、着るのには少し抵抗があると言った。

クリスマスにはそういう難しいことは忘れて、普通のイケイケアメリカ人に戻っていたかと思っていたが、そうではなかったのか。さすが 「今はブッシュ大統領よりもフセインの方が好きだ」なんて恐ろしい過激発言をして私を身震いさせた彼だけあって、簡単には譲らない。

それにしてもどうしてアメリカでテロが起こり、またテロがなくならないのか、アメリカにいる人たちがもっと考える必要があるのではないか、とクリスマスの日に改めて思ってしまうとは、幸せなことを単純に幸せだと思うことが許されない世の中になってしまったのだろうか?

ボブ・ゲルドフ率いるバンドエイドの80年代ヒット曲、「Do they know it’s Christmas?」の中で歌っているように、「僕たちが、(救いを必要とする)彼らじゃなくてよかった」なんて感謝しているだけでは済まされない世界情勢になってきているという意識をもっと持つべきである、と思った。

上山仁子その他のサイト・HP子育てブログ
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