ヒトコの小径

「挫折」と「踊らにゃ損、損」との関係:私の場合

「踊らにゃ損、損」っていう言葉があるけれど、私は何を隠そう、踊るのが好きだ。

東京にいた時は、私も若かったし「ディスコ」ブームだったりしたので(その頃は、まだ「クラブ」と呼ぶ人はいなかった)、そういう場所によく行ったものだ。懐かしいな。

新宿「椿ハウス」や六本木スクエアビルの「玉椿」、来日ミュージシャンが必ず行ったという六本木「レキシントンクィーン」、米軍基地の人たちで盛り上がっていた赤坂「ビブロス」、そしてお洒落な外国人モデルの溜まり場だった青山の「Tokio」 などなど、母親とよく行ったものだ。

なんてったって、うちの場合、真面目な高校生だった娘を、母親が「勉強ばかりしていては駄目よ」と言っていきなり夜の街へと連れ出したのだから、みんなに驚かれる。(「椿ハウス」はママと行くとタダになる曜日とかがあったんだよねぇ。冗談で、パパも一緒に行こうよと誘っていたらしいが、それは勿論実現しなかったなあ)

その後もずっと、私の「ディスコ」通いは続き、海外旅行へ行った先でも、そこが香港だろうがハワイだろうが所構わず、ダンシン、ダンシン、していた。

東京では、ディスコの店員や常連たちとも友達だったから(これポイント)、仕事帰りに一人でふらっと踊りに出かけたりもするようになった。がしかし、マイ「ディスコ」ブームも、90年代に突入しピークを過ぎてしまった。

当時、「お立ち台」で有名になった「ジュリアナ東京」と並んで東京湾沿いで盛り上がっていた「Gold」で、華やかにその幕を閉じることになる。ああ、思い出しても楽しかったなあ、あの頃は。

イエ~ィ!(ちょっと個人的こだわりから言っておきますが、「ジュリアナ東京」には行ったことがありません)

先日、友人が都内の有名私立小学校に通う自分の子供のことで

「大学までは一応、もう心配することないわけなんだけど、それでいいのかなって、思う時もあるのよね。男の子だからさあ、ある程度、挫折のある人生じゃないと、逆に駄目なんじゃないかなってね」

と言っていた。

私は反射的に「人生、受験で失敗することだけが挫折じゃないから大丈夫だよ」と笑いながら言ったが、目指す高校/大学受験でことごとく失敗してしまった自らの過去を思い出したのだった。私の人生ってやっぱり挫折だらけだったのかあ。

勉強が嫌いでどうしようもなかったというのなら、話もわかりやすいのだが、私は小学生の時は学級委員にいつも選ばれていたし、中学を卒業するまで自慢じゃないけどほとんど「オール5」だった。(ここはさらっと、聞き流してください)

それが、この高校にしか行きたくないと自ら一校に限定してしまったために、その高校受験で失敗し、あわや中学浪人しそうになった。なんとか第二募集の試験で合格した高校に入学したのだが、そこが第一志望ではなかったという理由で、まわりのみんなにもかなり斜に構えて反抗的になった。明るい優等生から、卑屈な「授業はサボって出ないけど、テストの点だけは常にクラスのトップ」といったとても感じの悪い生徒になってしまった。

みんなはそういう経緯など全然知らなかったと思うし、私は単純に学校では「周囲にあまり馴染めない大人しい人」というレッテルを貼られたのだ。

更に高校受験の時と同じ理由で大学受験も失敗した。 行きたかった大学も諦めなければならないことになり「仁子は、踏まれても踏まれても起き上がる麦のような人」と書かれた手紙を母から受け取った時には、私はなんて可哀相な子なのだろう、と惨めになった。

女の子だからと適当に妥協して進学したものの、「受験に失敗した」というコンプレックスは現在でも私の心の傷としてしっかり残っている。

「有名一流大学へクラスのみんなと一緒に進む」コースから見事に外れてしまった私の人生は、その瞬間からずっと屈辱的なものになったのである。非常に高い目標を持って着実にそれに向かって励むタイプの少女だったのに、肝心なところで失敗してしまったために、私の人生は歯車が狂ってしまったのだった。どんくさいというか、運が悪いというか。どうして? って感じで悔しさのあまりシクシク一人で泣いたこともあった。

高校生の娘をディスコへ連れて行っていたという件は、どう考えてもそういう私の母親は、やっぱりちょっと行き過ぎていて、後で聞いた話だが、当時は父や兄からも随分ひんしゅくを買っていたらしい。

しかし、こうだと決めたら脇目もふらず猪突猛進型である私に、もっと柔軟性を持って人生を楽しむことの大切さを教えてくれたのだから、母親にはやっぱり感謝すべきである。自分が親となった現在では、母のあっと驚く子育てのアイデアは、私も見習いたいと思っている。

ニューヨークでは、行きたいと思っていた大学を卒業した。そして、踊りに行くということもあまりしなくなった。もちろんこれは、「年」だからである。しかしここでは、わざわざクラブなどへ踊りに行く必要がない。日々の生活のなかで、踊りたければいつでも踊っていいからだ。

ここにいると、生活はきつくても、なんだか私の心は癒される。当然、「挫折」なんていう言葉だってニューヨークの私の生活には、存在しない。ここでは私は「敗者復活戦」で一生懸命勝ち進んでいるような気分にだってなれるのだから。それが、もしかしたら私が今までずっとニューヨークを離れなかった理由であるのかもしれない。

果たして人間は、人生において「挫折」を経験するべきなのか否か、これは私にもわからない。でも同じ人生を歩むのなら、どんなことでも楽しまなくちゃ、意味がない。だから私は「踊らにゃ損、損」と思うのだ。

「ディスコへ行ったら、フロアーに出て人目を気にせず思いっきり踊りなさい」

と母が言っていたことが、これほど意味の深いものだったとは、高校生だった当時の私は気がつかなかった。

今までは、無我夢中でずっと一人で踊っていたが、これからは、もう少し大人っぽくしっとりと、夫と一緒に踊りたい。義理の母が勧めるように、二人で社交ダンスでも始めましょうか。

─ Shall we dance?

上山仁子その他のサイト・HP子育てブログ
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