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同性婚の次はトランスジェンダーのカミングアウトで大騒ぎ

On: ヒトコの小径

同性婚のニュースが冷めやらぬ時に、ブルース・ジェナーが、いきなりカミングアウトした。

日本でもニュースになっていたようなので、知っている人も多いと思うが、ブルース・ジェナーとは、モントリオールオリンピックの陸上競技で圧倒的な力を見せつけ金メダルを獲得した元アスリートのことで、その彼が、男性から女性へ変貌を遂げたトランスジェンダーとして、これから堂々と生きると宣言したことにより、この夏は全米でもゲイだのトランスジェンダーなどのニュースがメディアを騒がせていた。

いきなりと思ったのは、きっと私が彼のことをあまり詳しく知らなかったからだ。

実際に彼がカミングアウトをしたのは、この春だったらしい(ちょうど同時期に24年連れ添った妻とは、離婚している)。

グーグると、いろいろ出てくる。
アスリートとして引退した後は、スポーツ解説者や俳優などとしても活躍していたのだそうだ。

そして、何と言っても3度目の結婚で家族となった「カダーシアン家」の一員として、リアリティー番組に出ていたというのだから、驚くばかり。

カダーシアンと言えば、俳優でもない、シンガーでもない、自由奔放に生きる娘たちが有名だが、元々はというと、その父親であるロバートが、O. J. シンプソンの弁護士団の一人だったことでメディアに注目されるようになった。

いくらお金持ちでも、一見何でもない、ただのお嬢様たちが、どうしてホットなセレブとしてあそこまで注目されるようになったのかは、父親の名声によるものだけではなく、母でプロデューサーとしても腕利きのクリスの力が大きいと言われているのだそうだ。

Keeping Up with the Kardashiansで自分の娘たちをデビューさせ、アメリカの知名度No. 1セレブとして、現在の地位を確立させることに成功したのだから、大したものだと思う。

ブルース・ジェナーは、そのクリスの2番目の再婚相手であったわけで、今年の春先に離婚しているもの、ずっと「カダーシアン家」の脇役的存在として、リアリティー番組にも味を添えていた(らしい)。

しかし、長年の苦悩や葛藤を克服し悩みぬいた末に、彼はとうとうまばゆいばかりのスポットライトがあたる場所へと自分を移行させることにしたわけだ。

というか、本当の自分の居場所を求めて、自分がもっとも居心地よいと感じる場所を選んだわけで、それにより、全世界からの脚光を浴びることになった、というのが正解だろう。

リアリティー番組では、今まで数回、今回のカミングアウトのことをほのめかすエピソードがあったらしいが、「ケイトリン」という女性として生まれ変わり、マリリン・モンローばりにセクシーな白い衣装で身をまとい、6月1日に発売された「ヴァニティーフェア」7月号表紙に衝撃的に登場してきた際には、全米がショックに陥った。

「カダーシアン家」の一員としても、こう来るか?という完璧なシナリオだ。

これは全部が最初から仕組まれているショーだったのか?と思うほど。

新しく開設した彼(彼女)のツイッターのアカウントが、4時間でフォロワー100万人を突破し、オバマ大統領の記録を1時間上回り最速記録を更新した云々、その後も様々なニュースで話題をさらっている様子。

お騒がせな人はどこまでお騒がせなんだろうと感心する。
というか、話題を振りまく人は、いつまでも話題を振りまく人であり、そして、またそういう人が回りに集まるんだな。

そして、オリンピックで、金メダルを取る人は、「65歳になっても世界記録が出せる」わけで、こうなると、あっぱれとしか思えない。

カダーシアン一家は、元妻からステップの子ども含めて全員が、「ケイトリン」の決断をサポートし、これからも家族として支持していくと言っているらしい。

なかなかそう簡単には言えない立派な発言だ。
お騒がせなわりには、かなり人間が出来ているようにも思える。

しかし、そんな元妻含む家族からの応援や全世界からの多くのフォロア-を得た彼女も、これからの女性としての道のりは決してたやすいものではないと思う。

女性である方が自然だと感じたわけで、女性にはなりたくて(なるべくして)なったのだけれど、女性であるということがアメリカ社会の中でどういう意味なのか「ヴァニティーフェア」のカヴァーが発表された数日後には、コメディアンで司会者のジョン・スチュワートが、いつもの辛口のコメントで指摘していた。

「ブルースが男性だった頃は、我々はスポーツ業界での彼の実績をたたえ、ビジネス含め様々な社会貢献について語っていた….女性になってしまったら、人々の関心は、彼女のルックスだけになってしまった。女性になったがために、人々は、もうこれからセックスシンボルとしてしか彼女を見なくなったのだ。なんとも残念なこと!」

なるほど。
それが、女性軽視というものなのか?

真理のほどはわからないが、少なくともジョン・スチュワートは、そういうアメリカ社会が作り出した女性の価値感を批判した。

これからケイトリンがどのような偉業を成し遂げ、社会貢献をするかはそれほど重要ではなく、女性は美しくいることがもっとも大切である、というアメリカ社会を卑下する彼のコメントは、もっともなように思える。

しかし、私が思うに、アメリカ社会における女性の最大の敵は、全ての女性が男性社会の下で抑圧されている、という事実であり、才能があっても女性であるという事実だけで社会的に出世ができないことがある、という歴史なのではないかと思う。

男性社会に生きていると、女性が美しいことは、むしろ女性にとっては、唯一の武器になるわけで、つまり、それは女性の特権だ。

この女性の特権の部分を男性であるジョン・スチュワートは見落としていると思う(実際にその特権を楽しんでいるのは女性なのだから)。

もし、ケイトリンの女性としての試練が始まるとしたら、今までアメリカでもっとも権力のある「白人男性」として長年何不自由なく生活してきた彼が、女性ということで「差別」され「除外」されていると感じることではないかな(勿論これは、私の想像でしかすぎないが)。

どちらかというと私は個人的に、彼女がどのように女性としての自分の気持ちの変化に気付き対応できるかというところに興味がある。

女性にはいろいろと複雑な女心というものがあるわけで。

例えば、

ブラジャーしたくないなと思っても、つけないといけない時の面倒くさい気持ち。
生理痛だとはわかっていながらいろいろと体の心配しなければいけない不安な気持ち。
爪が突然折れてしまった時の悲しい気持ち。
そしてそれをなかなか修正できない時のイライラ。
今日はメイクののりがいいなと思っただけで嬉しくなる気持ち。

恋愛編で言うと

脇のお手入れを怠った日に突然、恋人から「会いたい」と言われた時の戸惑い。
好きな人から「きれいだよ」と言われた時の天にも昇るような気持ち。
壁ドンや頭ぽんぽんされた時の胸きゅんな想い。

などなど。

男性だった頃は、測り得なかった「乙女心」がどこまで芽生えるのか、そして、それをどのように受け取るのか。

私たち女性は、いくつになっても少女のような心を引っさげて、この泥臭い男性社会でどう生き抜いていくのか、いつも戦っているのだから。

7月15日、ケイトリン・ジェナーは、米スポーツ界の功労者を表彰するESPY賞の授賞式で、今回の一連の勇気を讃えられ、アーサーアッシュ賞を受賞した。

授賞式では、ベルサーチの白いドレスで登場したが、用意が整うまで、ドレスや靴選びからヘアーのセット、ネイル、メイクなどで

「もうくたくたよ。女性ってほんと大変なのね。わかったわよ。で、この後、ファッション批判でしょ?お手やわらかにね。私、こういうの慣れてないんだから」

とスピーチの最初の部分でもジョークを飛ばしていた。

しかし、受賞スピーチそのものは、とても感動的だと感じた。

全ての人間にとって、一番大切であり必要なことは、ありのままの自分自身を認めてもらうことなのだ。

ただ、この賞については、様々な批判も飛び交った。

「他にもっとふさわしい人がいる」
「スポーツ選手としてはもう過去の人」
「ただの話題集め」
「カミングアウトの勇気は讃えるが、スポーツとは関係ない」
「下品で下世話で賞が汚れる」

そこから始まって、FBでも「gender」と「sex」は違うなどなどの議論がヒートアップしていた(数日後には、そのスレッドはESPYのページから削除されていた)。

つまるところ、

man(男性) = male sex(身体的雄の構造)+ masculine social role(男性らしい社会的役割)
woman(女性)= female sex(身体的雌の構造) + feminine social role(女性らしい社会的役割)

という公式に当てはまらないのが、トランスジェンダーであり、そのような人はケイトリン以外にも世の中にはたくさん存在するということ。

彼女は、そのような人たちを今後サポートし、ロールモデルとなり彼らが住みやすい社会になるように一生懸命自分にできることをする、と述べた。

「gender」と「sex」が違うという話については、ジェナーの場合、性的指向はずっと異性(女性)にあったのだそうだ(彼の実子は6人)。つまり、彼はトランスジェンダーであってもゲイではないと言っている。

先月末から始まった新しいリアリティー番組「I am Cait」の中でも、彼女は、豊胸手術はしたもの、下半身はまだ男性のままであると言っていたそうだ。

ということは、上の公式でいうと、

ケイトリン(女性)=male sex(身体的雄の構造) + feminine social role(女性らしい社会的役割)

と言うことになる。

「もし、これから男性とデートしたいと思うのであれば、やっぱり全部手術して身体的にも100%の女性になったほうがいいと思うわ。でも今のところ、まだそういう気持ちにはなってないの。 男が好きか、女が好きかなんて、今の私にはわからない」

ということらしい。

他人が聞いてもややこしいと思うのだから、肉体と精神のバランスを保つことなど、本人にしてみたら、さぞかし大変なのだろう、と思う。

ファッションではユニセックスが流行り、家庭内では、主夫が増えている。

スポーツにしても男女混合試合が設けられ、賞金額や試合時間などについても男女の差が「平等」という名の元でなくなってきている。

サッカーやバスケットなどのリトルリーグでは、地元に女子チームが存在しないからと女子が男子に交じってリーグに参加しているケースもあるそうだ(ローカルレベルでは、オッケイでも、ナショナルレベルになると男子チームの女子はクオリファイされないと、先日もヴァージニア州のケースがニュースで報道され、「男女差別だ」と憤慨している人も多かった)。

世の中は確実に変わってきている

しかし、男女の差がなくなってきているように一見思われる世の中でも、やはりケイトリンはじめ、多くのトランスジェンダーたちの戦いは、始まったばかりだと言えるだろう。

上山仁子のHP:http://www.hitoko.com/
上山仁子のブログ:http://ameblo.jp/nymommy/
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