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No.7 NYの最新デザイナーたちを日本に紹介してきた雅子カウフマンさん

On: 本気で働くNY 好きな仕事でGO-GETTER!

シンシア・ローリーからトム・ブラウンまで、多くのNYデザイナーたちを日本に紹介してきた雅子カウフマンさん。
NYのファッションを最前線で20年にわたって見つめ続けてきた雅子さんに、ファッションのプロフェッショナルになる道を伺ってみた。

片手間で始めたバイヤーの仕事が大きな規模に

新しいデザイナーを発見して、日本の市場に紹介する。自分がいいと感じる服を買いつける。
カリスマ・バイヤーたちと一緒に働く。

ファッション好きな若者にとって憧れともいえる仕事に就いているのが、NY在住の雅子カウフマンさんだ。

23年に渡ってバイヤーの仕事をこなし、現在はユナイテッドアローズのNY駐在という肩書きを持つ。

多くのNYデザイナーたちとプライベートでも親しく、GQ誌の編集者とも親しく、さらにNYのショールームでは「マサコ」といったら知らない人間がいないほど有名だ。

そんな雅子さんが日本からニューヨークに移住したのは、1989年のこと。
意外なことに日本では服飾業界ではなくて、薬剤師をしていたという。

「NYに友達がいて遊びに行ったらカルチャーショックを受けたんですね。自分が観ていないものがたくさんあるんじゃないかって。それでNYに留学することに決めたんです。
英語留学をして半年くらいで戻るつもりだったんですけどね(笑)」

そして夏休みにアルバイトでもしようと、アメリカ人医師のもとでアルバイトを始めところ、そこでワーキングビザを出してもらい、私生活では現在の旦那さまであるカウフマン氏と知りあって結婚、そして出産。生活の基盤がNYとなった。

ファッションに係わったきっかけは、友人が原宿でショップを経営していて、買い付けを頼まれたからだった。

「はじめは子育ての片手間にできる程度のことをやっていたんですが、片手間でやるわりにはすることが大きくなっていって」

当時はジル・スチュアート(Jill Stuart)がまだバッグをヘンリ・ベンデルで売っていた時代で、日本向けに特注のバッグを何百個もジル・スチュアートにオーダーしたという。

シンシア・ローリー(Cynthia Rowley)をいち早く日本に紹介したのも雅子さんだ。

グンゼ産業に引き合わせて、1995年には銀座にショップをオープンした。
シンシアとは親しくなって彼女の結婚式にも出席した間柄だ。


1995 年シンシア・ローリーの銀座店オープニングにて。
左端が雅子さん、右端がシンシア・ローリー。

「代々木体育館の地下でランウェイを打ったりして、話題性はありましたね。それでファッション界に人間関係も広がっていって」

テューラ(Tuleh)やミゲル・アドローバー(Miguel Adrover)といったNYデザイナーたちと知り合い、さらにシンシア・ローリーのアシスタントをしていたレベッカ・タイラー(Rebecca Taylor)にも交遊を深めて日本市場に対するアドバイスをするようになっていく。

「テューラにしても、お金とかではなくて、本当にそのブランドが好きだったから力になるといったような気持ちだったんですね」

そして丸紅のセレクトショップの立ち上げを手伝うことになる。
当時セレクトショップのビジネスはまったく知らなかった雅子さんだが、自宅ベースで引き受けることになった。


店舗とデザイナーをつなぐのはお見合いの仲人のような仕事

それから十年に渡ってバイヤーと、デザイナーやショールームをつなぐ仕事に係わり、どっぷりとブランドの世界に浸かることになった。

買いつけのために日本からNYにやってくる30人以上のバイヤーに、それぞれに合ったブランドの紹介からアポ入れまで一週間のスケジュール組みを担当したという。

「それはもう忙しくて、たいへんでした。
デザイナーと、それを扱う店舗というのは、まさに結婚みたいなものだと思います。相性もあるし、釣り合いもある。
私の仕事はちょうどお見合いの仲人のようなものですね。
この店舗には、このデザイナーが合うんじゃないかっていう相性は非常に大事にしています。
それは店舗とデザイナーの両方にリスペクトがないと成りたたないし、お金よりも相性を重んじていますね」

ユナイテッドアローズと関わりを持ったのは13年前から。
カリスマ・バイヤーとして名高い小野瀬慶子氏から「ぜひともテューラを観たい」というリクエストをもらい、紹介したところから始まる。

そしてデザイナーのテス・ギバーソン(Tess Giberson)と友人になってから、テスのプレスを担当していたミキ・ヒガサさんから紹介されたのがトム・ブラウン(Thom Browne)だった。

ミートパッキングにあるトムのスタジオ兼ショップに行って、彼の世界に非常に感銘を受けたという。
そしてユナイテッドアローズに紹介。

「ヨーロッパブランドならともかく当時アメリカのメンズで50~60万円もするスーツを売るような新進デザイナーはいなかったから、冒険だったと思います。

当時の日本の店舗でトム・ブラウンの服を売ることができるのはUA(ユナイテッドアローズ)だけだと思いましたね。
バイヤーさんが部長と相談しながら買い付けを決心してくれました」

ユナイテッドアローズは、少数ながらもトム・ブラウンの世界観がわかるだけの服を仕入れ、2006年日本にトム・ブラウンを招いて大々的なプレス・パーティを打った。


2006年ユナイテッドアローズでトム・ブラウンが来日した時の写真。
なんとトムが着物を着ているというめずらしいショット

「でも日本では最初はあまり売れなかったんですよ。欧米での熱狂的な取りあげられ方とは違って、温度差があって。
でも必ず彼はブレイクするから、お願いですから、あきらめないで下さいって説得したんです」

その後2007年にトム・ブラウンはブルックス・ブラザースとパートナーシップを組んで新ライン「ブラックフリース」のデザイナーに就任。

2008年にはモンクレールのメンズのラインである「ガム・ブルー」のデザイナーに就任して09年にコレクションを発表。

ミッシェル・オバマ夫人が二回目の大統領就任式で選んだコートも、トム・ブラウンが手がけたものとして話題を集めた。

雅子さんがいち早く日本に紹介したトムは今や世界中で熱い視線を注がれるデザイナーになっている。


目利きになるには、一流のものに触れること

雅子さんは交友関係が広いのも有名だが、今や大人気のオープニングセレモニーのウンベルト・リオンや写真家のトット・セルビーらも昔よくクラブで遊んでいた友達だという。

「おもしろかったですよね。エレクトロクラッシュが台頭していた時期に、毎週遊んだり、一緒にブルックリンのクラブに行って遊んでいたりしたような仲間が今や業界で重鎮の人たちになっているんですから」

この新人デザイナーは伸びそうだ、売れそうだというのは、やはり初期の段階からわかるものなのだろうか。

「売れる、売れないは、ファッションショーに行けばすぐにわかります。
誰がそれを着るのか、私だったら着たいのかという観点は重要ですね。

それは美味しいものをなぜ美味しいと感じるのと同じで、言葉では表しにくいんですが。
いいものをいいと思う感覚は、絵を見ていても同じだと思うんですよね。

若手のデザイナーはどうしてもぶれやすいのですが、その人がどこで働いてきたか、なにを作ってきたのかのヒストリーを辿れば、だいたい理解できますね」

今をときめくプラバル・グルン(Prabal Gurung)もシンシア・ローリーのアシスタントをしていた頃から実力を知っていたし、プロエンザ・スクーラー(Proenza Schouler)も最初に見た時から才能を感じ、サンプルを待たずしてバイヤーに仕入れてもらったという。

メンズデザイナーのマイケル・バスティアン(Michael Bastian)も雅子さんが才能に惚れこんだデザイナーであり、公私ともに親しい。

ガント バイ マイケル・バスティアン(Gant by Michael Bastian)のプロモーションでは一緒に日本に同行した。
このブランドはガント・ラガー(Gant Rugger)と共に、雅子さんがユナイテッドアローズでデビューさせて、日本に紹介している。


マイケル・バスティアン氏と日本で。左端が雅子さん、右端がマイケルさん


2010年マイケル・バスティアン氏と。
左から二番目が雅子さん、三番目がマイケルさん。公私ともに親しい友達だ

「自分で見て、こんなものはと思った服は、紹介しません。
どんなにPRに騒がれるブランドでも、自分でいいと思わなかったらアポイントは入れませんね。

バイヤーさんもブレがなくて、良い物を選ぶひとがいるところは、店舗も伸びていっていますよね。
バイヤーさんを見ていると、店舗の売上げが予想つくんですよ」

雅子さんの話を聞いていると「目利き」という言葉が浮かんでくる。
日本では茶人のような「目利き」文化が昔から存在していて、多くの日本人の精神風土には、目利きに対する尊敬があるのではないか。

まさに雅子さんはファッションについての目利きだが、では彼女のような目利きになるには、なにが大切なのだろう。

「良い物を見ること、良い物に接してみることだと思います。
わたしの世代の日本人は、母親から質のよい物を着せてもらっていたと思うんですね。
贅沢ではなくても、質の良いものに接する機会があった。
うちの母も着物を見る目があった人で、その影響も受けていると思います」

ことにファッション業界をめざす若者には、買えなくてもいいから、一流の物に触れる機会を持って欲しいとアドバイスする。

「ファーストファッションもいいけれど、それだけで満足していたら上のレベルを経験できない。
贅沢を知らないと、ファッションは難しいですよね。

贅沢な服は買わなくてもいいから、試着してみることはできるはず。
いいホテルに泊まることができなくても、ホテルのバーに行ってインテリアを観ることはできますよね。

美術館に行って芸術に触れることや、美しい建築を見ることも感性を磨きます。

ラグジュアリーに届かなくてもいいから、上のレベルのことを経験してみることが若い時期には大事だと思います」

そう語る雅子さん自身、服を買うのが大好きだという。

「いい服を見ると、買わずにいられないんですよ。義理とかじゃなくて、もう買わずにいられない。
これはもう病気ですね(笑)服を買うために働いているようなものです」

何千ドルもするトム・フォードから、ザラやH&Mのようなファーストファッションまで、高いものから安いものまでチョイスは幅広い。

「ファーストファッションでもセンスが良い物が残ると思うんですよ。
私はよく田舎者をバカにしちゃいけないというんだけれど、田舎の人をバカにしてセンスのよくないものを売りつけていたら、結局その店舗は残らない。
地方でもセンスのいいものを提案する店舗が伸びるんです」

それだけ服を買うとなると、家のなかが服で溢れそうなものだが、驚いたことに雅子さんはほとんど捨てないという。

「選ぶ服にはストーリーがあって気にいったものばかりだから、絶対に飽きないんです。
それだけ物にこだわりがあるんです。
捨てたり手放したりする服は二割くらいで、後は全部取ってありますよ。

ウォーキングクローゼットは4段ポールを渡すようにしていますし、ストレージ(倉庫)を借りているんです。
春と秋の衣替えで、倉庫の服を入れ替えますが、それでも夫や息子のクローゼットも奪っていますね(笑)

10年前のものでも今ちょうど使えるアイテムがあったりするので、愛着のあるものは捨てられませんね」

近年の流行語である「断捨離」とは真逆のライフスタイルを貫く雅子さん。目利きの道とは、まさしく服道楽から始まるのだ。


自分の好きなものを正直に好きだといえて来られたのは幸せ

いつ会ってもスタイリッシュで、アリュアー(雰囲気)がある雅子さんに、この冬なにが欲しいか尋ねてみた。

「パンタロンが欲しいですね。
ディオールのビンテージのブラウスを手に入れたんですが、それにパンタロンを合わせて着こなしたいです。

昨年は肩パッドがかっちり入ったメンズライクのコートを着ていたんですけれど、今年はそういう着こなしが増えてしまったから、むしろフェミニンなパンタロンを着たい気分ですね。
白のパンタロンとかいいですね。冬のオールホワイトって好きなんですよ」


自分の選ぶアイテムにはストーリーがあるという雅子さん、ファッションに対する愛を感じる

私自身も雅子さんに仕事でお世話になったことがあるのだが、その時に感じたのが、このひとは本当にファッションが好きなのだな、ということだ。

雅子さんがその才能に惚れこんだデザイナーの話をする時には、そこには強い愛があるのだ。

その確かな審美眼、ブレない感性、そしてビジネスを抜きにしても力になってくれる姿勢が、多くのデザイナーや店舗の信頼を得たのではないかと思える。

「私はリテイル(販売)の人間ではないので、売れなくちゃいけないというプレッシャーもないし、自分の好きなものは好きだといえる自由があったんだと思います。

好きなことをやっていて、正直に思ったこともいえて、ここまでやってこられたというのが、とても幸運だったと思います」

雅子さんのファッション道を見ていると、「好きこそ物の上手なれ」ということわざが浮かんでくる。
本気で好きなことがあって夢を叶えたい人たちは、それを頭に叩きこんでおいて損はない。

どんなことでも仕事にするのは甘くない。
それでも、それをとことん好きであることこそ、じつは上手になる唯一の王道なのではなかろうか。

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