ニューヨークからプロライター達がお送りする、「ここだけ」のおもしろ情報。

静寂の美と恐怖 “Gravity”

On: 夜の試写室
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ぶっ飛ばされる。

もちろん、映画に登場する宇宙飛行士達もしょっぱなからぶっ飛ばされるのだが、なによりも映画館に座ってスクリーンを見ているわたしが映画に圧倒されてぶっ飛ばされる

スクリーンの闇の中に青く美しく輝く地球が見える。

静寂の中でカメラが地球にじわじわと近づくと、右目が闇の中に浮かぶ塵のようなものに気付く。

カントリーミュージックがかすかに聞こえ、スムースな動きのカメラがどんどん大きくなっていく塵をとらえる。

それとシンクロして音楽も大きくなる。

と、その塵が実は地球を覗き込む巨大な望遠鏡で、その周りで3人の宇宙飛行士が船外作業しているのがわかる。

しかも上下が逆さまだ。

だが、重力の無い宇宙で上下にはさほど意味が無い。

そうではないか?

と言わんばかりに自在に動くカメラが、これが宇宙での初任務となる医療技師ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)と、これが最後の任務となるベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)、そしてこれが何度目の任務になるのか不明のシャリフを映しだす。

ライアンは消化中の食べ物を胃の中におさめておくのに苦労しつつ淡々と作業を進め、コワルスキーとシャリフはライアンの作業を待ちながら何とも楽しげに宇宙遊泳中だ。

そこにヒューストンから連絡が入る。

声を担当しているのはエド・ハリス。

『ライトスタッフ』でアメリカ初の地球周回軌道飛行に成功したジョン・グレンを演じ、『アポロ13』でトム・ハンクスやケヴィン・ベーコン、ビル・パクストン達を無事に生還させた主任管制官ジーン・クランツを演じたのだから、ヒューストンの声として耳にするのにこれ以上安心感を伴う声もない。

その声が、機能しなくなった人工衛星をロシアのミサイルが破壊し、飛び散った破片が破壊のチェーンリアクションを起こしていると言い、船外作業を即刻中止してスペースシャトルに戻るよう告げる。

が、時既に遅し。

高速で近づく宇宙ゴミが次々と3人を襲い、巨大望遠鏡を襲い、シャトルを襲う。

ライアンは闇の中に放り出されてしまう。

「重力の無いところでは、止まっているものは止まったままですが、動いているものはずっと同じ速度で動き続けます。」

確かそんなことを物理の教師が授業で話していなかったか?

つまりライアンは、このままの状態ならば、同じ勢いでぐるぐる回りながら何も無い宇宙の闇のさらに奥深くへ飲み込まれていくということだ。

ヒューストンとの連絡は切れる。

宇宙の中での孤立が意味するのはもちろん死しかない。

ライアンの酸素タンクの中身はどんどん減っていき、見ているこちらの呼吸も苦しくなる。

10月4日に公開された”Gravity” (邦題『ゼロ・グラビティ』)は、”Children of Men” (邦題『トゥモロー・ワールド』)のアルフォンソ・キュアロンが、実に7年ぶりに発表した長編映画だ。

おそらく、来年のアカデミー賞には多くの部門とともに監督賞と作品賞にノミネートされる映画となるだろう

キュアロンが息子のホナスと共に書いた物語は実にシンプルで、あまりにもシンプルすぎるせいで物語と呼ぶのも躊躇するほど。

宇宙で孤立したライアンは、果たして助かるのか?

たったそれだけなのだ。

しかし、たったそれだけの話が映像と台詞以外の音(あるいは無音)で描かれると、見ているこちらは全神経をスクリーン上に集中させることになり、映像と音の虜になってしまう。

それに拍車をかけるのが3-Dだ。

『アバター』の興行的大成功以降、映画館には「何はともあれ3-D」な映画が増え、猫も杓子も余分な数ドルを稼ごうとしているように見えたもんだが、”Gravity”の3-Dはそれらとは一線を画す

しかも、ぶっとい一線だ。

素晴らしいと絶賛された『アバター』の3-Dとも一線を画すほどの太さである。

『アバター』を3-Dで観た時は、映画を観ているという感覚よりも先に、技術の進歩の素晴らしさを観ている気になったもんだ。

だが“Gravity”を3-Dで観ていると、映像の素晴らしさに感嘆するよりも先に、まずライアンが体験している孤独と恐怖に飲まれてしまう。

映画が描きだす世界とそれを描くための技術が不可分なくぴったりと合っているせいで、テクノロジーの進歩に気を取られる暇もない間にキャラクターの感情にすっと入り込んでしまうのだ。

3−D映画を見ていると、スクリーンからこちら側に向かってブツが飛び出して来る際の「ぐにゅん」としたゆがみを感じることがないか?

バズ・ラーマンの『華麗なるギャツビー』を3-Dで観た時は、黄色い車が「ぐにゅんぐにゅん」とぶっ飛ばしているように感じたし、カーテンがふわりと風に持ち上げられたときには、デイジーの屋敷と映画館の自分の席との間に薄い水の壁があるような気がした。

そのおなじみの「ぐにゅん」がこの映画には無い。

そのせいか、数十年の運動不足が積もりに積もったわたしの怠惰な身体でさえ、向こうから宇宙ゴミが高速で飛んでくるのを見たとたん、それを避けようとさっと反射的に動く。

目の前の障害物の向こう側を見ようと首が勝手に反応し、見えるはずがない向こう側をのぞき込んでしまう。

スクリーンの向こう側から自分の座席のはるか後ろまで全てが1つの世界で、自分がその世界に包まれているような感覚になってしまう。

もし後ろを振り返ったら、果てしなく銀河が広がっているような、たった今横を通り過ぎて行った宇宙のゴミがぐんぐん遠ざかって行くのが見えるような気になる。

それはIMAXシアターのせいかもしれないが、エマニュエル・ルベツキのカメラが優雅な幽霊のように動いて、ありとあらゆるものを難なく通過し、全てをシームレスに観客に見せるせいかもしれない。

そのカメラは、表情筋のわずかな動きと息づかいだけでライアンの孤独と恐怖、希望と絶望を表現するサンドラ・ブロックを見事にとらえる。

ライアンが無重力のポッドの中で脱皮するように宇宙服を脱ぐと、カメラは彼女の鍛えられた美しい身体から性的なにおいを一切排除してそれをとらえる。

そこでふと、『エイリアン』でリプリーが良く似たタンクトップ姿になるシーンを思い出す。

ライアンはリプリーと同じような姿で同じように生き残りを試みるが、リプリーが見せたような生存にかけた本能的な執着を見せない。

しかし、子宮の中の胎児のようにポッドの中でぐるりと回転するライアンは、まるで『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドだ。

その姿は全てを超越したかのようでもあり、誕生の瞬間を待っているようでもあり、映画のその後を暗示する。

ジョージ・クルーニーもまた素晴らしい。

ハリウッド広しと言えども、おそらくジョージ・クルーニーとロバート・ダウニー・Jr.にしか出せないと思われる、ユーモアとアイロニー、高潔さと哀愁、そして男前の化合物をヘルメットの向こうから醸し出して良い味を出している。

キュアロンは限られた台詞と俳優の表情、映像だけでキャラクターを描き、キャラクターを描くことによってそこに寓話的な物語を生み出した。

生み出された物語の中、敢えて言えばライアンの過去にまつわる話は少々感傷的で陳腐な気もするが、その話があるからこそ、この映画がより寓話的になっているのかもしれない。

もしも1年に1本しか劇場で映画を観ないとすれば、今年の1本はこれに決まりだ。

できるだけ大きいスクリーンで、できるだけ美しい映像を提供する劇場で、できるだけ良いサウンドシステムで、必ず3-Dで見ていただきたい映画である。

くれぐれも、息をするのをお忘れなく。


All photos © Warner Bros.

“Gravity” (邦題『ゼロ・グラビティ』)
MPAA Rating:PG-13
上映時間:90分
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン、ホナス・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー

2013年10月4日全米公開
オフィシャルウェブサイト http://gravitymovie.warnerbros.com/

2013年12月13日日本公開予定
日本版オフィシャルウェブサイト http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/