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No.1 NYからモードなブランドを発信する e.y.wada 和田修治さん(デザイナー)

On: 本気で働くNY 好きな仕事でGO-GETTER!

「準備が整うのを待っては始まらない。
やろうと思った時こそ、準備ができた時」

岐阜からいきなりNYに留学を

「とにかくNYに憧れていたんです。
NYで自分のブランドを立ちあげたかった」

そう語るのは、e.y.wada のデザイナーである和田修治さん。

e.y.wadaはNYを拠点にする日本人の和田修治さんと韓国人のウニョン・ソンさんによるモード系ブランドで、06年にローンチ。

NYファッションウィークでのランウェイデビューもはたしている新鋭のブランドだ。


デザイナーの和田修治さんとウニョン・ソンさん

今の時代コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトなど、日本発のブランドが海外で人気を博すことはめずらしくない。

けれどもNYを拠点に、日本人がブランドを立ちあげて、ランウェイデビューをしているケースはまだほとんどないのだ。

それをみごとにやってのけた和田さん。
だが、その素顔は少しも気負ったところのない、ナチュラルな雰囲気をまとう青年だ。

和田さんは岐阜出身。
繊維産業の盛んな岐阜で、実家が縫製工場を営んでいたことから、早くからファッションに目覚めたという。

名古屋モード学園を卒業したあとは4年間岐阜でパタンナーとして働き、そして渡米。


生地サンプルが所狭しとピン留めされたアトリエ

それにしても岐阜からいきなりNYとは、ずいぶんまた大胆な。

「ふつうなら東京に出ますよね(笑)
でもぼくはNYに憧れていたんです。
当時はNYファッションがメディアでもてはやされていた頃で、とにかく憧れて行ってみたかった」

渡米は2001年9月2日。
なんとその直後に9.11の同時多発テロが起きたというタイミングだった。

「あと少し来るのが遅れていたら、留学すらできなかったかもしれない。
今にして思えば、911前に渡米できてよかったです」

マーク・ジェイコブスの姿勢に学ぶ

語学学校はインターンシップのあるところを、あらかじめ日本で選んできて入学した。
そして学校に通いながら、ジル・スチュワートでパタンナーとしてのインターンを開始。

その腕を見込まれて、小さなアパレル会社でパタンナーとして雇われることになり、2年後にH-1(就労)ビザをゲット。

ここで注釈をつけくわえると、NYで就労ビザを手に入れるのはそれほど簡単なことではない。
ことに語学学校の学生ビザから就労ビザに切り替えられることは少ないので、ラッキーなケースといえる。

「日本で経験を四年間しっかり積んでいたのが役にたちました。
日本でのパタンナーのスキルは非常に高いんだと、アメリカに来て初めてわかりましたね。
日本人のパタンナーはアメリカではとても重宝がられるんですよ」

実際にNYではパタンナーとして働いている日本人はかなり存在する。ことばの壁がある海外で、手に技術があることは大きな強みだ。


2010春夏コレクション ビスチェとボウモチーフのパンツ

そしてビザを取得してから、フリーランスのパタンナーとして独立。

「自分でブランドを立ちあげるのが夢でした。
とにかくなんとしても立ちあげたかった。
そのためにもブランドを立ちあげる前に、いろんなデザイナーの元で働いてみたいと思ったんです」

約3年間、マーク・ジェイコブス、ザック・ポーセン、リチャード・チャイといった有名デザイナーの元でパタンナーとして勤務した。

さてそんな和田さんの見た、有名デザイナーの素顔はどうだっただろう。

「マーク・ジェイコブスはカッコいいですねえ。
あんなに偉くなったら、自分でデザインしないんじゃないかと思うじゃないですか。
でも彼はスティッチの針目ひとつまで見るんですよ。
ひとり残って灯りの落ちたアトリエで、えんえんと考えこんでいたりする。
その姿勢に非常に学ぶところがありましたね」

いいデザイナーは縫製に対する知識も豊富だという。

「マーク・ジェイコブスは非常によくわかっていましたね。
パタンナーチームが悩んでいる時でも、こうすればいいんじゃないかと解決案を出してくる。
やはりいいデザイナーには、パターンメイキングや縫製の知識が不可欠です」

その期間に、デザイナーからの視点というのを学べたのがもっとも勉強になったという。

「デザイナーの意向をくむパタンナーという仕事は、控えめな日本人にむいていると思うんです。

でもデザイナーというのは、自分の世界をもって自己主張をしなくてはならない。
まず自分がなくちゃいけないんです。

NYのデザイナーたちはその自分の出し方がすごいんですよ。

デザイン画をデッサンして、実際に服に仕立てる時には、当然ながらできることとできないことがある。

その時にデザイナーとして、なには妥協できて、なには譲れないか。
デザイナーたちが頑として譲らないポイントを見て、勉強になりました。

第一線のデザイナーたちの仕事を目の当たりにして、デザイナーのあり方を学べたのが財産です」

最初の難関はショールームめぐり

和田さんとパートナーであるウニョンさんとは語学学校で知りあった。

ウニョンさんはDKNYでデザイナーとして働き、同じ夢を抱いていたことからパートナーシップを結成、デュオのデザイナーとして発足した。

男女のデュオというのは、NYのファッション業界でもめずらしいパターンだ。

「ぼくとウニョンとはお互いに足りないところを補足しあえる関係。

ウニョンがデザイナーとしてのセンスを持っていて、ぼくがパタンナーで型紙を作れることで、うまく歯車がまわっていると思います。

そして男女のペアということで、男視線と女視線からデザインを考えられるというのが、ぼくらの利点ですね」


ワンショルダーのワンピース

なにがなんでも自分のブランドを立ちあげるのが夢だった、という和田さん。
そのがむしゃらな思いで、自己資金を貯めてブランドをローンチするところまで漕ぎつけた。

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