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私を変えた5人の男:第三回 危険な先入観〜ゲイとへテロと男と女

On: 特出しコラム とびこみくん

10年ちょっと前にアメリカへ移住した頃、私はまだ十代だった。

やがて大学に通い、ヨーロッパ留学を経て、フィラデルフィアやロス、ワシントンD.C.にニューヨークと言った様々な大都市で生活をして来た。

今では一通りの経験をして来たと自負している。

それでも、今もなお私を惑わせるものが、ゲイのサブカルチャーである。

出だしにいきなりこんな発言では、いまどき社会的問題にもなりかねないのはわかっている。

なんと言ってもアメリカはとてもダイヴァース(多様)な国。

厳密に言えば、ゲイそのもののサブカルチャーではなく、ゲイとはこうであるという先入観(stereotype) が私の生活にもたらす影響に戸惑う、とでも言うべきだろうか。

というのも、東京に住んでいた頃は、差別意識というものを持ったことは無いにしろ、むろん人種や文化、価値観の多様性にさらされることも無かった。

ゲイであることに問題意識も感じないが、ゲイであるという人に会うこともその時点ではほとんど無かったわけだ。

だからだろうか。大学生活が始まったとたん、ゲイであることを自分のアイデンティティーとしてフルにアピールする人達がいることにすごく感激した。

こと、リベラルアーツカレッジに関しては、ゲイであるということが、個人の魅力を倍増させるという不思議な特権のようなものだった。

その魅力にあやかろうとゲイの男性にたかるヘテロの女の子達はファグ・ハグ(fag hag)などと呼ばれ、更なるサブカルチャーを作り出していた。

そんな私も、成りたがりファグ・ハグ(fag hag wannabe)とでも言うのだろうか。私も彼らの魅力にあやかりたいと思いながら、なぜか彼らに敬遠されていた節がある。

おもむろにゲイに好かれないわたしは、実はゲイにしか察知できない悪の根源なのではないかと思ったこともあった。

もともと、ゲイとの対人経験にうとい私は、ゲイをゲイと察知するスキル(こちらでは、この内なるゲイ探知をgaydarという)にも欠けていた。

なんでも、ゲイの男性には、あの人はゲイだと思わせるクゥオリティーというのがいくつかあるらしい。

  • 身なりもきちんとしていてハンサム
  • スポーツにはうといが体はしっかり鍛えている
  • アート関係に詳しい
  • 知的で自らの阻害経験をもとに社会意識をしっかり持っている
  • とても繊細

こんな素晴らしい特質を持った人々と、誰が友達になりたくないだろうか。

しかし、gaydarが発達していないこの私に、思いがけない形でゲイは襲って来た。それは隠れゲイである。

この隠れゲイというのはかなりのくせ者で、本人自身のセクシュアル・アイデンティティーがはっきりしないうえ、その格好、行動にも微妙にゲイらしさをちらつかせる。

しかも、この微妙な隠れゲイという存在は、私がこれまで住んで来た大都会というやつに多いらしい。どうやら、都会のへトロ男性も、ゲイへの何らかの憧れを持っているのか。

それでもこのgaydarに長けている人間は、実はゲイである彼ら自身が気づかないうちから、そのポテンシャルを察知することができるらしいからすごい。

のんきな私は、使えないgaydarおかげで、これまでに目をつけて来た男性が実はゲイであるということも多々あった。

けれど近頃、どうやら私のgaydarの問題のみではすまされない、たちの悪いタイプが出て来ている。

6年ほど前だったか、私がニューヨークに越して来て間もなくの頃、女友達に誘われて行ったパーティーでのこと。

ある気さくな男性が積極的に話しかけて来た。相手は私好みのダークヘアーで長身。ウィークデーの仕事帰りだったこともあって、いかにも高そうで趣味のいいスーツをまとっていた。

話し始めると意外に知的で(アメリカでは、ゲイ男性はハンサムという先入観に加え、イケメンは馬鹿というのもある)ユーモアのセンスも抜群。でも、口調はもろにオネエ言葉。

これはいくら何でもgaydarが故障した私にもそれだとわかった。

その晩、楽しい会話を満喫した後、別れ際に携帯の番号を聞かれたので、もちろん何の下心も感じないまま快く渡して別れた。

その数日後、彼から電話があり週末に美術館巡りでもしないかと誘われる。

私にもついに大学時代より待ちわびた、素敵なゲイ男性のお友達からのおしゃれなお誘いが来たのだと自分の中のfag hagが心を躍らせた。

そして美術館巡りの当日。

いくつもある館内の小部屋を回りながら話は弾み、この後どこぞでお茶でもしようかと、他愛のない会話を進めていると、あるビデオ・インストレーションの暗い部屋にたどりついた。

その部屋に二人きりだったことも会って、本来ならへトロの男性とのデートでもあれば、ここら辺でキスの一つでもしてくれてもいい感じのところだ。
そう思った矢先、そのゲイの彼がまさに突然そうして来たのである。

「いったい私はどうすればいいのだろう」

密かに眉をひそめ、頭の中にたくさんのクウェスチョン・マークを募らせたまま、黙って美術館を出て近くの喫茶店へ向かった。

度胸の無い私は、そのままさも何事も無かったかのように会話を続けていると、そこで彼が突然思いがけないことを言う。

私たちが初めて会ったパーティーで彼は、私を誘ってくれた女友達と私がカップルで、私はゲイ(つまりレズビアン)なのではないかと初め思ったと言うのだ。

レズビアンに文句は無いが、自分がそうでないのに勝手に間違ってレッテルを貼られるのはいい気がしない。

そもそもそれはこっちの台詞だと思いながら、すかさず私も「実はこっちも、最初はあなたがゲイだと思ったわ」と正直に言うと、向こうはあっけらかんと「あ〜ら、よく言われるのよ」とやはりオネエ調に手で小さくおいでおいでのジェスチャーをしてみせた。

こんな複雑な思いは二度とごめんだ。以来、その彼からかかってくる電話に出ることは無かった。

素直にゲイと分るおしゃれなゲイの男友達には恵まれず、ゲイだか分らない男に惹かれて困惑し、ゲイだと確信した男に振り回される。

果たして、大人として東京に住んでいたならば、こんな悩みを抱えたりしただろうか。

それとも、盛んなゲイ・カルチャーをアメリカ特有の産物だと決めつけるのは、更なる危険な先入観なのか。

数ヶ月前、ビジネススクールに進学した女友達と、私の大学の男の先輩が、現在同じビジネススクールのクラスメイトだということが発覚した。

もう何年も会っていないその男性は一時期恋人としてつきあっていた人だった。

そのことを黙ったまま友人の話を聞いていると、彼女は続けて「そうそう、その彼のボーイフレンドと私、すごく仲がいいのよ」と言う。

いや、その昔、彼は確かにへトロだった。ゲイかもしれないと疑った覚えも無い。

神様、どうかこの哀れな私にまともなgaydar を。