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長男の大学受験:やっぱりアメリカは凄いなと思っても日本の大学を選んだ理由

On: ヒトコの小径

長男の日本の大学進学に伴い、7月から8月にかけて彼の引越しを手伝うという名目で、今年も家族で日本での夏休みを過ごしていた。
私にとっては家族で過ごせる最後の夏休み。

多分、これからは家族旅行も今までとは形が変わってくるのかなと思う。
そういう意味でも大切にしたいと思っていた夏休みだった。 

日本に帰国後まずしたことは、長男の大学へ訪れること。
学部長との面談も事前にアポを取り、キャンパスツアーにも参加した。

日本の教育制度に当てはまるかな?
日本の大学生に混ざってうまくやっていけるかな?

などなど、基本的な部分でいろいろ心配はあったのだけれど、そんなことはまるで問題ではないと言い切ってくれる、とても大らかな感じの学部長だったのでほっとした。

さすがその辺は「スーパーグローバル大学」に選出されているだけあるなと、思う。むしろ、アメリカの教育制度で学んだことを大いに生かして、日本の大学生活を「楽しんでほしい」という姿勢がとても嬉しかった。

スーパーグローバル大学とは、文部省が認定した世界の大学ランキングで100位を目指せる日本のトップ13校の大学のことで、世界レベルで認められる大学を作り日本のグローバル化を計る、というもの。

残念ながら、日本の大学は、まだ認知度も実績度も世界のレベルには追いついていない(ついこの間も「Time Higher Education」というところから世界の大学ランキングが発表されていたが、日本の大学では、東京大学(46位)京都大学(74)以外は、200位にも入っていなかった。ランクが全てではないけれど、やはりがっくりくることは確かだ)。

The Times Higher Education World University Rankings 2018

(ちなみに今、私が大学院のクラスを取っている地元州立大学のUNC Chapel Hill は56位だった。東大とそんな変わらないじゃん〜!?思いっきり子どもに自慢している!)

アメリカの高等教育レベルは本当に高いのだなと、アメリカと日本両方の大学を受験してみて感じたのだが、質の高い教育を受けている海外在住者や帰国子女が、日本の大学に受験すると受験内容が比較的簡単で楽だと感じるのは、当然だなと思った(決して留学生枠が優遇されている、とか、英語が喋れれば誰でも入れる、ということではないと思う)。

子どもにより良い教育を与えるためにアメリカではまず、親がより優れた学校地区を求めて引っ越しするケースも少なくないし、平均レベル以上の教育が受けられる環境に身を置くことはとても重要となっている。その結果、子どもの進路や将来が大きく影響されるのだから、親は一生懸命になるわけだ。

勿論それができるのは、中流クラス以上であり、ここから格差社会が生まれるのだけれど。

かなり前に社会的に注目された

「If you think education is expensive, try ignorance.」

というスローガンは、親となった現在は痛いほど身にしみるが、無知(教養のなさ)が貧困を生むのである。

そうなると、バカ高い学費も投資だと思って支払ってしまうし、それができなければ、レバレッジ効果を信じて「学生ローン」を組むことになる。

アメリカの親は大学受験や学費の支払いなどには全く関与しない、と多くの日本人が思っているようだが、それは間違っていると思う。
なぜならば、私たちの周りでは、大学受験にはめちゃくちゃ関わり(それでこの1年はストレスフルだったと言う親御さんも多い)、学費はヒーヒー言いながらも支払っている親が多いのだから(お金があるところでは、例えば、知り合いのご家庭で「奨学金」を自分の子に出しているところがあった。企業が従業員やその家族に出す奨学金もあるのだから、そういうものもありかなとは思うけれど、ノンプロフィット団体を立ち上げ(または持っている団体から)奨学金を我が子にあげるとは、やはりびっくりした。それでしっかりと「表彰」されていたし)。

あーぁ、アメリカの親ってかなーり偉いなー(w)。

どこかの国にいるモンスターペアレントとは違う。
子どもの教育は、全てが親の責任だってこと、アメリカにいる親は充分承知している。

これは学校からもしっかりと教育されているのだと思う。

思い起こせば、昔昔。
子どもが幼稚園に通い始めた頃、

「あなたのお子さんは、今日宿題を忘れました。親御さんがしっかりと見てあげてください」

と学校から手紙が来た時のことは忘れはしない。

宿題忘れたぐらいで、親にこんな手紙が来るなんて、アメリカってヘン!

と思ったのを覚えている。

そして子どもの宿題は

「全て親の責任です。学校のことや勉強のことにもっと親が関わってあげてください」

と書いてあるその手紙に対して

「承諾しました」

と、しっかりとサインをさせられるのだ(← 一体、何回サインをしたことか…)

このような手紙ははっきり言って子どもが高校を卒業するまで続く。

高校になるとさすがにこういうものは、学校が始まる前にクラスの説明が書かれたシラバスのようなものと一緒に渡されて、宿題その他含めて「理解しました」と一回サインするだけになるのだけれど。

この秋からアメリカの大学に進学した子どものママの話しでは、大学生になってからも、この親に対する「責任」は続くのだそうだ。重要な日時や忘れてはいけないことは、親にもしっかりと大学からリマインダーが来るらしい。

やっと子育てから解放される時が来た、と思った彼女は、

「ちょっとがっかりしたわ」

と言っていたが、かなり嬉しそうな感じもした(w)。

親の関与については、学校のPTAやボランティア活動にも反映されていると思う。
日本ではなるべくこういうものは避けたいと思う親がほとんどだと思う。

しかし、アメリカでは、全ては立候補で速やかに決まるし(知らない間に決まっていることも)、やれる人が名乗りを挙げてどんどんやってくれるところがありがたい(私も子どもが小さい頃はできるだけ学校の行事には参加しボランティアもしたものだ)。

親が学校にちょくちょく顔を出している生徒の方が成績がいいという統計が出ている、と言われたら、親は一生懸命ボランティアだってするようになるし、他の行事にも参加する。

で、そういうことをしていたら、ママ友パパ友などの友達も増えるし先生方ともお近づきになれる。やっているうちにどんどん楽しくなって来て、やってよかったな、という結果が得られる。

これは、なんでもやった人だけが得ることができるご褒美だと思っている。

先生との懇談会は、両親揃って受けるのが一般的だ(離婚家庭でもそうであり、再婚相手がいる場合は、親が二人だけでなく、3人4人となることもある)。

アメリカ人にとっては、教育が全て

上に挙げたスローガンもそうだが、近年で言うとオバマ元大統領

「教育は成功への必須条件だ」

とスピーチでも述べているし、ちょっと前の時代になるとマルコムX

「教育は未来へのパスポートのようなもの」

と言っていたらしい。

アメリカ人は移民の国で、自由を求めて骨の髄まで働く人たちが多いことは知っていたが、同時にとってもよく勉強する民族でもあると思う。

アメリカでは大学は決してゴールではなく、スタート地点となるわけで、いい大学に入学するということは人生というレースのポールポジションをゲットしたのに等しいと思う(← すっごい学歴重視っぽい。でもアメリカはそういう社会)。

そして子どもたも、最近こそは、ギャップイヤーと呼ばれる「休学」制度を利用して忙しい大学生活を迎える前に一休みする場合も増えているが、基本的には大学へ入ってからも引き続き必死で勉強する(← だって勉強しないと卒業できないのがアメリカの大学だし。かなり厳しい世界)。

その努力たるものは、凄いものがあり、しかも努力している様は惜しみなく人にも隠さず見せつける
それでみんなで励まし合い刺激し合うのだ。

本当にあっぱれな人たちだ。

毎日、(時には遠い)塾に通い、何時間も机に向かって勉強し競争の激しい受験戦争に打ち勝ってきた日本の高校生が、大学生になってから勉強しなくなってしまうケースが多いというのは、どう考えても納得がいかないし、もったいないと思う。

長い人生であるはずなのに、18歳になったと思ったら学びの人生から一歩足を引くというのは、日本の大学生活は、その4年後に直面する過酷な社会に入るまでの「ギャップイヤー」になってしまっているのか。

学部や大学(そしてもちろん個人)によってもずいぶんと違うのだろうけれど、日本の教育システムやその後の社会の仕組みはどう考えてもおかしいぞ、と思わざるを得ないところが、自分の生まれ育った国ながらとても残念なことである。

その辺がやはり日本の大学が世界規模で見た時のランクがかなり落ちてしまう原因にあるのではないかと思う。

ここまで書くと、それなのにどうして、アメリカで伸び伸びとしかし質の高い教育を受けた自分の子どもをよりによって日本へ送ることにしたのか?という素朴な疑問を持つ読者もいるかと思う。

結論から言うと答えはとってもシンプルだ。

それが長男の希望だったから。
長男は、日本でやりたいことがあるらしい。

えっ?
そんなもん?

はい、そうなんですねー、結局は(w)。
というか、それって、とっても重要なことだと思う。

東京に住みたい、という長男の希望は、東京出身である私にとっては、嬉しいものだったが、アメリカ人の彼の父親にしてみたら、遠く遥か海を超えたところへ行ってしまうことは、なかなか受け入れられないものだと思う。

それで、北朝鮮のミサイル問題や地震などの天災のことを持ち出していろいろと反対してきたのだろう。

親って切ない。

親が子どものために思い描いていたものがあったとしても、それが本人の意思に反するものであるならば、意味がないのだから。

そんな時、大好きな叔母さん(父親の妹)は、アメリカの博士号(PhD)所持でニューヨークの私立大学の名誉教授をしているので、いろいろ事情にも詳しく、ビジネスを学ぶ場合は、その大学の学位が「AACSB」でしっかりと認められているかどうかが大切だと教えてくれた。

つまりその部分が就職や大学院への進学時にも大きく関わってくることであり、日本の大学はその辺があまり好ましくないのではないか?ということだった。現に、長男が通う慶應大学でも、修士コースはこの「AACSB」と言うものに認められていないようだ。

となると、長男が4年後、大学を卒業した時にアメリカの企業に就職を希望する場合は、かなり不利、ということになる。

父親から意味なく反対されるだけでなく、このような教育内容を具体的に指摘されると、何も言えなくなってくるが、再度、長男と一緒に、それでも日本の大学へ行きたい理由は何か?考えた。

多くの友人たちが、大学への進学を決め、祝福ムードが盛り上がっていた時でも、長男が試される期間が続いていた。

元夫の言い分もわからないわけではなかったので、入学に関するたくさんの面倒くさい書類処理をしていた時に(二重国籍者はほんとうに何をするのにも面倒なのです!)、ややこしいことが起こる度に、本当にこの選択肢でよかったのか?と、ふと懐疑的にもなった。

学術的で理にかなっており、常にフェアな態度で私たちに様々な助言をしてくれるが、時にはそれゆえ「タフ」だと思われるアントジャッキーは、長男が

「僕は半分日本人だし、今までずっとアメリカで生きてきたのだから、これからのしばらくは日本の大学で勉強して日本のことをもっと学びたい!」

と言ったら、意外にもそれだけで軽く納得してくれた。

「本人がそう言っているのなら、それに勝る理由なんてないわ。
I am very happy for him! And I am very proud that he is going to Japan!
私たちの小っちゃかったかわいいボーイは、勇敢な青年になったのね!」

とニッコリ。

アメリカでは、何をするのも

「It is up to YOU.」

であり、家族のサポートは大切で、親の関与度も大きいが、それでも本人の意思がもっとも大切とされるわけで、どういう進路を選ぶかどうかなどの大切な人生の別れ目においては、人がとやかく言うことではない、というのが一般的社会(常識のある人たち)のコンセンサスだと思う。

ああ、よかったね。

子育てとは決して思い通りにはいかない、ということが、受験時だけでなく、私がこの約18年の間に子どもを通して学んだ一番大きなことだった。

そして、それはそれでいいのである、ということにも最近気がついた次第だ。

日本の大学の合格がわかった時は、アメリカの第一志望の大学はまだウェイティングリストに入れられたままだったのだが、長男の中では、すでに心は決まっていた。

長男の気持ちがはっきりとしたら、今まで暗闇の中で行き詰っていた彼の人生が、そこからどんどん前向きに進みだしたと感じられたのだから、本当に不思議としか言いようがない。

アメリカの大学の方がいいに決まっている、と思っていた私の中でも彼の意思を尊重してサポートしようと腹を決めたのも、そういう流れが手にとって感じることができたからだった。

今までの高校生活でもいろいろなことがあり、辛いことも乗り越えてきたので、卒業間近になってこのように親子二人で明るい光が差し込めてきたのを感じたことは、とっても嬉しかったし、ラッキーだったと思う。

生きていると悲しいことも辛いことも多いのだから、せめてこういう人生の門出ぐらいは、父親含め、家族みんなで祝福してあげられたらよかったのにな、と思う。

しかし前向きに考えると、長男の高校生活において山あり谷ありの4年間であったが、逆に反対がいろいろなところであったからこそ、私たち親子はより話し合い、自分たちの気持ちを確認し合うことができたのだと思う。

特に、高校生活の最後の半年は、長男の人生の中でももっとも充実した時期となったのではないかと思うし、私と彼の関係もより親密になった。

弟や妹も心配してくれたし、私たちと一緒に真剣に考えてくれた。

結果的にこのような時期が家族で過ごせたことは、とても幸せで最高の収穫だったと思っている。

長男の大学から届くメールマガジンやユーチューブの動画を見ていても、海外で教育を受けた生徒は、グローバル化を目指す日本の学生たちにもいい刺激にもなるだろうし、良きロールモデルになってもらいたい、というようなことも言われており、その辺は、もしかしたら、海外で教育を受けた長男のような若者が日本を引っ張って行くべき立ち位置にいるのかもしれないと思った。

そしてそのようなミッションを背負った長男は、モチベイションも高まり、目も輝いてますます生き生きしている。
これから始まる大学生活に、長男は大きな大志を抱いていたのだ。
具体的なことはまだ未定でも、これは親にとってはまぎれもない安心材料となった。

今まで、従来の勉強も相当頑張って来たのだから、これからはやり方を日本流に(?)少し変えて、自分がこの社会で本当に何ができるか、ということを中心に机上での勉強から少し離れてもいいのかもしれない、とも思った。

それと同時に、勿論、異なった文化や生活習慣、そして言語を探求する為にわざわざ日本に来ただから、その点は思いっきり学べばいい。

日本の、時には窮屈そうに見える社会の形式に入らなくとも、あるがままの自分の姿で無理なく生活することができるのは幸せなこと。

決められた枠にはまるのが苦手なアメリカ育ちの長男にとっても、メインの生活の場となる大学の教授から「自分らしく自由にいろいろとチャレンジしてほしい」と言われたことは、長男にとっても救いとなったに違いない。

「枠」と言えば、アメリカから日本の大学を受験すると「どの枠」で受けたのか(留学生なのか、帰国子女なのか、特別なプログラムがあるのか、または普通の日本人同様の枠なのか、などなど)、多くの日本人からまず聞かれたが、日本にもそういう「枠組み意識」が存在することが非常に興味深かった。

差別のないはずのアメリカでは、実はこの「枠」が多く社会に存在し、受験時にも自分が属する人種から始まり、家族の経済状態やら学歴やら、様々なことから入学が考慮されるのだ。

これは、法的にも「アファーマティブアクション」と合法化されている。
このアメリカならではの差別ならぬ区別化が、日本の社会にも存在していたんだ、というショックにも似た衝撃があった。

どういう枠で受けようと合格したのだからもう関係ないのだけれど、これからこの「枠」組について大変なことになると予想されるのは、奨学金の申し込みかな(w)。
長男は二重国籍なのだけれど、留学生ではなく日本人として受験したので。

つまり、奨学金を申し込む場合も「留学生対象」枠ではなくて、従来の日本人枠になってしまう。日本のネイティブに混ざって、どこまで長男が日本語オンリーで挑戦できるか(← マジで?)、彼の頑張りどころかと思う。

複雑な思いで見守った長男の進路決定だったが、ポジティブにとらえてくれる人はたくさんいたし、アドミションオフィスのスタッフの方によるキャンパスツアーもとても丁寧で、家族全員で(私は勿論が、長女やグランマまで一緒にお伺いしたのだけれど、笑)、改めてこの大学を選んでよかったね、と確信することができた。

百聞は一見にしかず。
とりあえずは、日本到着そうそうに、キャンパスツアーをして気持ちがぐっと明るくなった。

長男は、アメリカ流に、今後のことはすぐに具体的に決めなくとも、入学してからどんな感じか様子を見る、という程度だったが、それがいきなり

「僕はやっぱりこの大学を卒業する」

と言い始め、さらには長男が行く学部では、修士と学士が同じ学費で同じ4年間で習得可能だということもわかり、

「だったら、バチェラーとマスターの両方を同時に取る!」

という方向にもなってきた。

そして、またしばらくしたら、

「僕は卒業した後も、日本に住みたい」

となり、住居はもう既に「横浜の港みらい」だと決めているようだ(w)。

おぉ、いいね。
その前向きな態度は。

何度も言うようだが、失敗を決して恐れず、当分は日本で頑張ればいいと思う。

ここまで来たら後は、長男次第。

今回の大学ツアーや面談に関して、大学生のお子さんを持つ日本の友人には

「え?親も一緒に行くの?」

とびっくりされたのだけれど(w)、これでやっと私のお役目は終了だ。

でも、多分もう大丈夫。
日本の電車にも一人で乗れるようにもなったし、目的地にもたどり着けるようになった。

今後は一人でなんとかしてね!

長男は、ネットワーク作りにも精を出しているし、初めて訪れたキャンパスでも

「友達と待ち合わせしているから、ちょっと会ってくる」

と指定の場所でいきなり大勢の学生たちと初顔合わせをしていた。

私の頃は、その大学のカフェテリアなどの掲示板を頼りにルームメイトや友達などを探していたが、時代は変わったのだな、とつくづく感じた次第だ。
ネットで既に交流をしているので、まるで長年の友達のようにみんなと馴染んで話も盛り上がる。

最近の若者はやはりスゴイな、そういう所が。

いいねー。
なんだか青春って感じ?
そばにいるだけで、元気が出てきて、本当にありがたい。

もうすぐ自分のところから巣立っていく長男のことが心配でしょうがなかったが、会う人会う人たちからもポジティブなことを言われ、これはもう黙って見守るしかない、と思った。

不安になるのは、私が親としての器がまだまだ小さくて、長男のこれからの成長を信じきる力が足りないだけなのではないか、という結論に達した。

今回、日本滞在中、私たち親子を励ましてくれた学生時代の旧友をはじめ、長年お世話になっている方々、家族ぐるみでお付き合いのある人たち。最近FBで知り合ったどこか同志のような人たち(中にはお祝いの言葉を直接伝えたいと電話をFB経由でわざわざかけてきてくれたフレンドもいた!)、そして仕事関係の恩師たちには、本当に言葉では言い表すことができないほどの感謝の気持ちで一杯だ。

多くの人たちから守られているね。
このご恩は、一生をかけても返さないといけないよ、と長男にも言聞かせるとともに、私も自分の中で繰り返し確認している。

私が下の子たちを連れて帰国したのは、8月15日。

それからは、英語の家庭教師/メール通訳、レストランでのバイト、さらには昨年からコンタクトを取っていたモデルエージェントとの契約も決まり、モデル業などを開始しているようだ。

「今日は、遅くまで働いて、みんなから敬語とかもしっかり教えてもらった。楽しかったよ!」

慣れない接客業やオーディションなどをこなし、異国の地で頑張っていると思うと本当によくやっているなと誇らしくなる(←涙)。

大学の入学式は、9月15日なのだそうだ。
参加できずとても残念だけれど、私は私でアメリカでやらなければならないことがある。
それぞれが頑張れることをしっかりやらないとね。

今度長男に会う時にはどんなにか成長しているのだろう、と思うと今から楽しみだ。

Good luck, Justin. ❤️

大切なメールには「重要」と書いて送るから必ず読んでね、と言っているが、結局送るメールには全て「重要」と書きたくなる(w)。

本当に私が伝えたいことは、結局はこの一言なんだけどね。

元気で幸せにね!

親として、子どもと一緒にいろいろなことに悩み、受験についてはかなり真剣に取り組んで来たが、終わってみると、今まで気にしてきた細かいことは、本来はどうでもいいことだったのかも、とさえ思える。

就職のことにしても、早いスピードでいろいろなことが変化している時代だ。
長男が大学を卒業するであろう4年後がどのようになっているのか検討もつかないし、そんなことを今から想像して生活することだって、なんだかバカげているとも思えてきた。

そう思えるのも全て、この結果に満足しているからなのだと思う。

さて、長かった夏休みも終わりに近づいてきた(いやあ、ほんと長かったねぇ。進路が決定してから6ヶ月も経っているのだから!)。

いい加減、早く始まってほしいな、と首を長くして待っているが、入学式はいよいよ9月15日に行われる。

どこにどのように行ったらよいのかなどと、テキストがいきなり来ることも多く、今のところまだまだ24時間体制のカスタマーサービスのように構えているが、そのうちに、もう連絡などもしてこなくなるのかな。

長男がどのような人生を歩んでいくのか、これからは少し離れたところから見守ろうと思う。

上山仁子のHP:http://www.hitoko.com/

上山仁子のブログ:http://ameblo.jp/nymommy/

アメリカノースカロライナと近郊在住日本人による生活娯楽情報発信サイト : http://ノースカロライナ.com/

 
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