ニューヨークからプロライター達がお送りする、「ここだけ」のおもしろ情報。

子ども食堂のボランティアを通して感じたこと

On: ヒトコの小径

今年の夏休みは、子どもたちと東京の実家で過ごしている。

子どもたちと一緒の帰国はなんと7年ぶり。

私がNCで新しい仕事を始めたことや、元夫との別居生活が始まったこと、日本で震災が起こったことなど、いろいろな事情が重なって、日本がすっかり遠のいていた。

子どものパスポートの更新は、離婚の条件だったが、震災後は放射能の影響などを懸念して、当分子どもを日本へ連れて行かないで欲しい、とも元夫から言われていたりして。

が、ようやくそのようなことがクリアになり、そろそろ大學受験を控える長男との旅行もそんなにできなくなるだろうな、ということで、今年の夏休みは家族で行く日本旅行を計画したわけだ。

梅雨入りしたはずの東京でも、ずっとお天気に恵まれ、富士山ふもとへの旅行では富士山がくっきりはっきりと見え、歩きなれない子どもたちもわいわいがやがや、グランマも一緒にショッピングバッグ抱えて楽しく東京という大都会を闊歩している。

アンクルツヨシには、今までずっと欲しいものリストにあったが決して手に入れることができなかった洋服やカメラなどをしっかりと買ってもらい、日ごろの欲求不満も解消しているようだ(w)。

本当にこんな日が来るなんて、とっても幸せ。
ありがたいこと。感謝感激。神様、ありがとう!

と毎日、父の位牌に手を合わせつつ、私たち家族全員の健康と幸せを願っている。

そんな楽しい夢のような夏休みを満喫しているわけだが、高い航空賃を払って来たのだから(子どもたちは気がついたら大人料金となっていたし)、それなりの仕事はしてもらう、というのが私との約束だった。

家族で旅行ができるなんて、もう最後かな?と思ったのも事実だったが、実際は、長男はカレッジツアーや受験の準備などもしないといけないはずの大切な高校3年生の夏休みだったわけで、のんきに日本に行って大丈夫なのかな?

という思いもあり、私が提案したことは「日本でできるだけのボランティアをしてサービスアワーを稼ぐ」ということ。

自分たちに何ができるか各自で考えたアイデアに基づき、地元のノンプロフィット団体数社へ連絡しある程度のことは事前に打ち合わせして計画していたが、実際にお手伝いができることになったのは、

1)地元中学校での英語クラスアシスト
2)近所のシニアセンターでの高齢者との触れ合い
3)児童館での幼児対象英語クラス

だった。

シニアセンターでのボランティアは、以前母の病気(癌)の治療後のリハビリをしてもらっていた場所だったので、個人的にも恩返しができるようで、とっても嬉しかったし、そのシニアセンターでは、6月から「子ども食堂」というものを始めたということ。

子どもたちが、地元中学校で英語のクラスでアシスタント的なボランティアをすることになっています、と伝えると

「そういうことであれば、次回のこども食堂でも子どもたちに英語を教えてもらえませんか?」

という話になった。

「子ども食堂」というのは、初めて聞く言葉だった。

とても面白いコンセプトだと思ったが、全国でも急激に増えているコミュニティーサービスのひとつであるらしい。

共働きの親やひとり親のご家庭で、夕飯時にも親が留守で「ひとり」で食事をしなければいけない子どもを呼び集め孤食化を防ぐとともに、みんなと一緒にわいわいがやがや食卓を囲んで楽しい食事を体験してもらう、というコンセプトの元で、低価格の費用で参加できるサービスなのだそうだ。


地元のシニアセンター「清風園」の子ども食堂は「にこにこ清風食堂」という名前で
これからコミュニティーに親しんでもらえればいいな、という担当職員の方のお話だった。

シニアセンターが実施する「子ども食堂」となると、子どもと高齢者との触れ合いの場が生まれるわけで、高齢者は若い人たちから刺激をもらえるし、子どもたちは普段接することのない世代の人たちと接する場が設けられる。

職員の話によると、ここでのサービスは、孤食だけが原因でなく、他の理由で寂しい思いをしている子どもや、核家族で育ち、他の大人との触れ合いがあまりない子どもたちへのサービスであり、または、たまには夕飯を作らず楽をしたいな、と思う親御さんへのサービスでもあるらしい。

昔は当たり前のようにご近所に存在していた「地域全体で子どもたちを守り育てる」というような体制を作っていきたい、ということだ。

とってもすばらしいサービスだな、と個人的には感動し、そのような子育てサポートプログラムにボランティアとして参加できるなんてとても嬉しいことだと興味もそそられた。


にこにこ清風食堂の食費は、100円。この郵便ポストに入れてもらう。
食事だけでなく、おやつもたっぷり用意されている。


ちなみにこちらが次回のちらし。メニューは、「豚しょうが焼き」だそうです。美味しそう!

数日後、朝日新聞にタイミングよくこの「子ども食堂」の記事が載っていた。

朝日新聞「子ども食堂」記事まとめ

しかし、これらの記事は、ネガティブ要因が多く、ちっとも参加したいと思えない内容だったのがとても残念に思った。
「孤食」=貧困な家庭で育つかわいそうな子どもと断定されているところも酷いなと思った。

本当にそうなのか?

大体、メディアは、ひとり親とかシングルマザーとかの話題になると「貧困」とか「最貧困」、「貧困のどん底」、更には「不幸のどん底」とか、言いすぎる。

そりゃあ、多分、経済的には決して楽ではないけれど、だからと言って私たちシングルマザーのみんながみんな貧困であるか?と聞かれたら、そうではない。

私がシングルマザーになった直後は、それはそれは不安で想像を絶する大変さを経験したが、それはむしろ精神面の問題だった。
そんな中、私の周りではむしろ、キャリアばりばりで楽しく優雅に生活しているシングルマザーが多く、早くそんな風になれたらいいな、と思ったものだ。

ひとりになって初めてそれまでいかに夫(男性)に頼っていたことが多かったことなどを実感し、フェミニストであることを撤回した(w)。

私の場合は、この経験により自分の心の弱さに気づいたわけで、回りの友人たち、職場の仲間やボスの支えがなかったら、あの辛い時期は決して乗り越えられなかったと思う。

シングルマザーに第一に必要なサポートは、心のケアであり、強くなれるようにサポートしてくれる社会の体制である。

そのような社会のサポートがないなかで、シングルマザーというだけで、日本のメディアから「貧困層」とひとくくりに言われることにはかなり抵抗があるし、迷惑な話だ。

つまり「黒人=犯罪者」という色眼鏡で見てしまう人種差別があるのと同様、ひとつのカテゴリーを出してきてそれでレッテルを貼ろうとする偏見そのものだ。

統計的に経済的に苦しんでいるシングルマザーの方が圧倒的に多いとしても、「貧困」であると決め付けられるとそのカテゴリーからいつまで経っても抜けられないと思うし、「貧困」でないといけないんだ、とむしろ自己暗示にかけられてしまうような気がする。

貧困状態から抜け出したいと頑張っている人がいたとしても、「あなたはどうやっても貧困なのよ」と言われているようで、頑張る力を奪われてしまいそうだ。

本当にサポートしたいと社会が頑張ってくれるのであれば、「貧困である」と言うレッテルを、まず外して欲しい。

そして、子どもの能力を褒めて伸ばすように(頭の悪い子どもに「お前は馬鹿だ!」と言っても何も始まらないのと同じで)、貧しさと戦っているシングルマザーがいたら「あなたは本当に貧困ね」と今の状況を悲観する言葉だけでなく、むしろ「あなたは、絶対に恵まれている!頑張れば絶対に豊かになれる」という励ましの言葉と同時に社会は、シングルマザーたちにももっと条件のよい就職口などチャンスが得られるようなスキル養成プログラムなどを実施して欲しいと思う。

貧しいシングルマザーにスポットを当てて同情を得るのではなく、もっとメディアは、前向きに頑張っているロールモデルのような存在を作り上げて欲しい。

シングルマザーが大変だということは事実であるが、既婚者でも大変な人はたくさんいると思う。

離婚したくても経済的にできないという女性もいるし、人生の大変さは、どういう人でもどのような状態でもその人それぞれだと思うし、多分同じぐらいに大変だと思う。

しかし、シングルマザーと言っただけで、特殊のイメージを持たれてしまうそのような社会の差別がある限り、私たちは変わらないと思うし変わるチャンスを奪われているように感じる。

それと同様に、孤食や子ども食堂についてのメディアの捕らえ方があまりにも暗いイメージなので、その辺は、これからどんどんと改善していかないとこのようなサービスは繁栄しないと思った次第だ。

私が、今後、残りの人生において魂をこめて取り組みたいことは、そのような部分だったので、私の中でも自分が真剣に改善したいと思う今後の課題となっている社会問題の現場に今回、触れることができ、子どものボランティアを超えたところで、とってもいい経験をさせてもらったと思う。


にこにこ清風食堂は5時からオープン。食事の前に、スナックを食べ、みんなでゲームをした。
英語のゲームを教えてあげたり、その後は「すごろく」で盛り上がった。
このすごろくは、ここの職員のオリジナルゲーム。とっても楽しかった。


東京からはじめて沖縄まで行く、というもの。
子どもたちには、日本の地理と各地の名物を勉強することになって、それもよかったね。


ルールはしっかりと理解できたんだけど、うちの子どもたちは、書いてある文字が読めなかった、汗。


グランマ、秋田県で「なまはげ」になる!それがとっても板についており、横にいた長男は大喜び。


私はやはりボランティアで来ていた玉川大学教育学部の学生と一緒に北海道で寒さに凍える羽目に。
この学生たちは、将来は学校の先生になりたいそうだ。とっても爽やかな青年たちだった!

実際にこのようなサービスに参加させてもらって感じたことは、やはり、若い世代が加わるとシニアセンターにも活気が溢れて、高齢者の方々が大変喜ぶということ。

どのように感じていたのかは本人たちには聞けなかったが、子どもたちがいつものようにマイペースで食事をして、みんなとも仲良く会話に参加し、大人とも普通に接している姿を見ると、やはり安心した。

迎えに来ていた親御さんたちも、立派な方のように見えたし、貧困層であるとは決して思えない。その点は、私の中でも正直ホッとした部分だと思う。


シニアセンターの宿泊サービスの人たちと一緒に夕飯の「中華丼」を食べる子どもたち。
他にもジャガイモやお味噌汁などもあって、とっても美味しそうだった。

食事について私の考えをあえて言わせてもらえば、できれば家族で仲良く一緒にというのが一番いいに決まっている。

しかし、家族の生活スタイルやルールはそのご家庭でそれぞれなので、他の部分でがっつりとフォローがされているのなら「孤食」そのものはそれはそれで悪いものだとは思わない。
どうしても家族の事情でそうならざるを得ない場合などは、それでオッケイと言ってあげないとむしろ子どもが不幸せになってしまうと思うから。

親が「ごめんね」と言って罪の意識を子どもに向けると、逆にその子はかわいそうな子になってしまう。

アメリカでも、ディナーは家族一緒にクオリティータイムを過ごしましょう、と促す風潮は勿論あるが、こうでなければいけない、という固苦しい社会はそれほど感じない。

大体アメリカ人の妻(母親)は料理をしない人が多いし、アメリカでは、ひとり親に限らず、夕食を家族でしないというご家庭は増えていると思う。

家庭環境がしっかりとしているご家庭でも親の仕事の都合などで家族がそろって食事ができないケースも多い。

子どものお稽古事優先で、スケジュールが家族の食事の時間と合わず、兄弟などがいると特に夕食は各自で食べる、という場合もごくあたり前だ。

子どもが小さい頃、ママ友の中には、上の子どもの習い事に合わせて、下の子どもの夕飯はクラスが終わるのを待っている車の中で済ませる、という人もいた。

勿論アメリカにはアメリカなりの食生活にまつわる問題はたくさんあるが、その家族はそのような生活スタイルで数年過ごしていたが、批判する人もいなかったし、当人たちにとっても全然問題はなかったと思う。

日本では、そのような社会の受け入れ態勢が狭いだけに、幸せのあり方も狭まれているわけで、それが多くの人たちが日本社会を窮屈に感じる要因なのではないか。

この子ども食堂はまだ始まったばかりということもあり、思ったよりも小規模だったが、今後もこのような子育て支援のサービスが社会にどんどん浸透していくことはいいことだと思う。

そして、幸せの形は、決してひとつではない、ということも、日本の社会にももっと広がったらいいなと思う。

社会や他人が判断する幸せではなく、個人が自由に自分で感じることができる幸福観が増えたらいい。

そのためには、社会が

You are okay.

と言ってくれることは、とても大切だと思う。

私たち家族の合言葉ともなっている言葉だ。

上山仁子のHP:http://www.hitoko.com/

上山仁子のブログ:http://ameblo.jp/nymommy/

アメリカノースカロライナと近郊在住日本人による生活娯楽情報発信サイト : http://ノースカロライナ.com/

 
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