ニューヨークからプロライター達がお送りする、「ここだけ」のおもしろ情報。

ざけんじゃねー!トランスジェンダーとバスルーム事情とアメリカの今後の行方

On: ヒトコの小径

昨年は、アメリカ合衆国の連邦最高裁判所が同性婚を認めたことにより、ゲイピープルの圧倒的勝利となった。

今まで結婚したいのに法的にできなかったゲイの人たちに、やっと人間としての平等な権利が与えられたのだ。

それまでは、異なる州法がそれぞれ定められている各州によって、できるできない、と、この同性婚問題は、長年の間、論争し続けていた。

ノースカロライナ州は、2012年の春にアメンドメント1が可決され、残念ながら同性婚が認められない、と決定された。

これから長丁場になるだろうな、と想定していたが、2015年の夏に連邦最高裁が、同性婚を認めたことにより、州法が覆されたのだ。

「United States of America」
という国は、その名のごとく、「アメリカ(大陸)の統合された様々な州」ということであり、多くの州から成り立つ「連邦制国家」だったんだと言うことが、最近になってようやく理解できるようになってきた。

合衆国の連邦最高裁判所で可決されたことは、大統領の意見よりも大切で、アメリカでは絶対的なものとなり、その下で州をまとめている各法律も上書きするのだ。

マイノリティー含め、全ての人間の平等を信じている私にとっても、昨年の最高裁の決断は、とても感動的なものだった。

しかし、喜んでいたのは束の間だ。

その直後には、結婚証明証を発行する側の責任者が、宗教的理由などで同性婚を「拒む権利」が与えられるという保守派に率いられる抜け道のような「州法」が、ノースカロライナ州では可決された。

そして、今年の3月には、ノースカロライナのシャーロット市が、トランスジェンダーの人々が自分たちの性別認識と一致する公衆トイレを使う権利を保護しようとする独自の条例を通過させたことにより、ノースカロライナ州議会が即座に反応し、HB2(the House Bill 2 or the barhroom bill)の項目により、トランスジェンダーの公衆トイレ使用時には「出生証明証に記載された性別に応じてトイレを使うよう義務付ける」という法案を上院下院ともに通過させた。

反対派がいたのにも関わらず、3月23日の夜、ノースカロライナの州知事パット・マックロリーは、あっさりこれにサインをした。

この法律により、性同一障害で性転換をした人たちや、手術をしていなくともトランスジェンダーとして、出生時とは違う性の人間として生活をしている人たちは、どういうことであっても、「出生証明証に記載された」性別で、トイレを選ばなくてはいけない、ということになった。

また、それに従わず違法が発覚した場合は、州法により罰せられる、ということだ(ただ、実際に公衆トイレで警官がトランスジェンダーらしい人に「出生証明証」の提出をリクエストできるのかどうか?ということになると、「プライヴァシーの侵害」による個人の権利との折り合いなどについては、どうなるかはグレーエリアであるらしい。しかも「出生証明証」を持ってない外国人はどうなるの?ということにもなる。焦って慌てて決めてしまった法律だけに、今後の課題は大きいようだ)。

このニュースを聞いた時には、

「そんなもん、よけいなお世話だ!」

と、ぶち切れそうになった。

マジで?

これが、私たちが今住んでいる州の実態なのかと思うと、かなりやばい。

そのように思ったのは、私だけではなかったようで、

「NCは、時代に相反する方向へ行っている(今まで社会を進化させてきた様々な努力が水の泡!)」

「トランスジェンダーが今までどれだけ悩み苦しんできているのか、マイノリティーに関する配慮が全くない(それで自殺する若者も増えているというのに!)」

「合衆国憲法であるのタイトルIXへの違反行為だ(学校では、子どもたちにどう説明したらいいのだ?)」

などなど、「ニューヨークタイムス」はじめ、ローカル&ナショナル、様々なメジャー新聞やニュース番組で取り扱われ、いきなり全米の注目を浴び、非難と批判の嵐がノースカロライナに突撃した(と同時に、マサチューセッツ含む9つの州が、NCと同じ方向で州法を定めることを検討していることも判明)。

「タイトルIX」とは、アメリカ合衆国憲法で守られている「マイノリティーに対する全ての教育プログラム上での平等」のこと。パブリックスクールなどで、トランスジェンダーを差別する法律を実行することは、この「タイトルIX」の内容に相反する、ということらしい。

そして、連邦法に違反しているとなると、国から出ているパブリックスクールや州立大学など各教育機関への多額な助成金も受けられない、ということになるわけだ。

その助成金の額は、軽く見積もっても何億ドルというレベルだと思うので、そうなると、ただでもノースカロライナは教師の給料や学校の予算が足りないと問題視されているだけに、更に大変なことになる。

地元が誇る州立大学のUNCの学長も、この法律にどのように対応していいのか、躊躇しているようだ(現在、キャンパス内の至るところにレインボーカラーのフラッグが掲示されている)。

ビジネスの世界では既に反応も早く、ついこの間までは、事業拡大計画の一環として、シャーロット市に「国際業務センター」を設け、ITなどの技術職雇用をノースカロライナにも拡大させると言っていた「ペイパル」社は、そのビリオンダラー事業拡大計画は中止する、と発表した。

他州に本社のある製薬会社は、NCの支社を撤回し、ライオンズゲートという映画制作会社は、NCでは今後、一切映画撮影は行わない、と表明した。

先月はジョージア州でも似たようなトランスジェンダーを差別する州法が可決されそうになり、ハリウッド映画業界では、ディズニーマーベルをはじめ、ライオンズゲート20世紀フォックスタイムワーナーCBSソニーネットフリックス、などなど、大手の映画製作会社が一丸となって、ネイサン・ディール州知事に法案不採用を訴えていた。

ジョージア州は、特にノースカロライナの映画業界の撮影インセンティヴが州知事(パット・マックロリー)によって廃止されることになって以来、どんどんアトランタなどへ映画ビジネスが流れていき、かなりの経済効果を得ていると言われている。

ここ数年では、毎年250近くもの映画やテレビ番組の撮影がジョージア州では行われるようになっている。

結局、ジョージア州知事は、ハリウッド大手企業からのボイコットを宣言されて、この法案は、可決しない方向を取ったようだ。(ハリウッドの著名人たちも自分たちのツイッターやFBなどで「Victory in Georgia!」などとツイートが広がっていた。)

しかし、ノースカロライナ州では、4月に入った現在も引き続きボイコットは続いている。

4月9日にグリーンズボロでコンサートが予定されていたブルース・スプリングスティーン

「ロックコンサートよりも大切なものがある。それをみんなに伝える手段として、私にできることは、自分のコンサートを中止することだ」

と言い、ノースカロライナでのコンサートを急遽中止した。

トニー賞受賞のブロードウェイミュージカルの音楽家Stephen Schwartzも、

「この法律がある限り、私の作品は、NCで演奏されることはないだろう」

と、同じく遺憾を示したわけだ。

彼の作品は、「Wicked」なども含まれるわけで、これからもうこのようなブロードウェイ作品がDPACで公演されることがなくなるのかと思うと、かなり悲しい。

アップルフェイスブック、そしてツイッターなど約100社にも上る各界企業の著名CEOたちも、そろって、この「くだらない」法律を撤回するように、声明を公表した。

ここ近年では、トライアングルに存在するエリアを筆頭に、ノースカロライナの各地方都市は小さいながらも、「全米でもっとも住みたいスモールタウン」とか「起業するのにもっとも適している場所」、更には「子育てするのにもっとも理想的な所」という項目で、常にランキングのトップに入っていた。

それが、この「公衆トイレ」の法律によって、がーんと、その地位が見事に崩れ落ちてしまったわけだ。

いや、この際、そんなランキングなんて、どうでもいい。

実際に、私の周りには、子どもたちの友達で、ゲイやらトランスジェンダー(かも?)とカミングアウトするケースやその手前まで来ている若者がいるのを知っている。

私たちは、そういう彼らを見守りながら一緒に日々の生活を送っているのだ。

11歳の長女は、

「マミー、誰にも言わないでね」

という前置きで、レズビアンのお友達のことを話してくれるケースだってあるわけで、そういう子どもたちの話を聞いていると、それはそれは本人的にも大変で、小さい心で人一倍悩んでいるかと思うと、人事ではない、と思えてくる。

幼い頃は、

「ジャスティン・ビーバーは、ゲイ!」

などと、ニタニタ笑いながら言っていた長男も、すっかりと成長し、今では、

「○○(仲のいい友達)のお兄さんがゲイのカミングアウトしたんだよ。
彼、すっごいいい人。
だから、僕もゲイに対する考え方、改めたよ!
マミー、ゲイでもいいんでしょう?」

などと、私にも言ってくるようになった。

次男には、小学校1年生ぐらいの時に「僕には、2人のママがいる」と自己紹介からそのように自分の家族構成をきちんと説明してくれたお友達がいた。

つまり、両親とは、レズビアンのカップルで、母親二人ということで、子ども3人を養子縁組して育てているケースだった。

そのお友達とは、数年間、仲がよかったのだが、今、振り返って見ると、次男は、小さい頃から「ジャスティン・ビーバーは、ゲイ!」だとか、そういう冗談も一切言わなかったように思う。

アメリカの子どもたちは、現実に毎日の生活に関わる問題や困難に真っ向から立ち向かい、私たち大人以上に、よりよい社会を作るために戦っているのかもしれないと思う。

それなのに…

私たちが住んでいる、前市長がゲイであることを公表していたチャペルヒル市では、このHB2を受けて、

「全ての人々にとって住みやすい街づくりができるように、今まで通り、私たちは全力を尽くします」

と現市長であるPam Hemmingerは、言っている。

そして、その新案として、同市では、「性別にとらわれない」バスルームを設置することも検討しているようだ。

これは、トランスジェンダーだけでなく「幼児」「障がい者・介護者」をトイレに連れて行ったことがある人にとっては、ありがたいものかもしれない。

「Family Bathroom」
というものは、すでに公共で目にすることも多くなっているが、それに似た形で、もっと幅を広げた「ジェンダーフリー」のバスルームの設置、ということになる。

ファミリーのみならず、引率者と違う性別の人をトイレに連れて行く時に、どちらに入るか?という問題の解決法になると思う。

そもそも、この公衆トイレの法律でもめている問題としては、レイプや痴漢などから身を守る安全の確保が第一に挙げられるわけで、「女性の権利」と言われてしまうと、フェミニストの端くれである私としても、反論ができなくなる。

ただ、これは、過去の統計から、それが理由で、犯罪になったケースは多くないと立証されているわけで、しかも女性が「プライヴァシー」を心配しているのであれば、まずは、隙間だらけで、確かに人に見られる心配が常にあるアメリカのいい加減な(=開放的)トイレのブースの作り方を大幅に改善することで、ある程度は問題を防ぐことは可能ではないか、と思う。

なんだかんだ、いちゃもん付けて、結局は、トランスジェンダーをいじめているとしか思えない

ちなみに、私の子どもたちが小さかった頃、女子トイレは常に列が長く、待ちきれないボーイズを連れて私はよく「男性用」トイレに入ったものだ。

勿論、たとえ人がいても、子ども(男子)がトイレに行きたいわけで、私は男性トイレの中でも堂々としていたし、誰からも何も文句は言われなかった(レイプもされなかった、ということは、ラッキーなのかもしれないが)。

場所がニューヨークだったことに関係しているかどうかはわからないが、にっこりと微笑んでくれる男性さえいたし、「あなたたちが終わるまで、外で待ってます」と言って待っていてくれる人がいたのも思い出した。

元夫の場合で言うと、女子トイレの方が「清潔」だからという理由で、子どもには常に女子トイレを使ってもらいたい、という希望があったと思う。

つまり、私たちには「選ぶ権利」があり、当然、当時はそんなことを疑問に感じる暇も(余裕も)なく、注意されたら、逆切れするぐらいの勢いで、実行していたのだ。

それが、ノースカロライナ州では、どちらのトイレを使用するかは法律で定められてしまったわけで、私たちにとっても、選ぶ権利が奪われた、と言うことになる。

よく考えると、アメリカという国は、住み易い国のようで何かと怖い国でもあるわけだ。

2012年にNCで可決されたアメンドメント1を調べる上でわかった事実だが、例えば、アメリカでは「異人種間による結婚」は、1967年まで、なんと法的で認められていなかった、ということ。

それまでは「Anti-miscegenation laws」という連邦法で、人種が違う人同士の「雑種婚」は、法律で禁止されていたどころか、「姦淫」という重罪に問われたらしい。

日本でも「国際結婚」などに対する差別はあったはずだが、さすがに法律で禁じられているという事実は過去においてもなかったのではないかと思う。

つまり、アメリカとは、日本以上に保守的で、人々を抑圧している社会だったのだ。

アメリカの歴史において、特に1960年代以降、黒人解放運動やらフェミニズム、さらには、性の解放運動などが、激しく全米各地で起こるようになったのも、アメリカが進んでいる国であるからではなく、実はそれまでが「法律」によって、マイノリティーである弱者たちが社会で虐げられていたからなのだ、という恐ろしい事実に気が付く。

「性の解放運動」については日本では、なぜかこれを意味する「フリーセックス」と言う和製英語が定着し、意味を履き違えている人が多いような気もするが、この時期のアメリカでフラワーチルドレンを代表とするヒッピーたちによる「無差別セックス」が流行ったわけではない。

「フリーセックス」というと「乱交」とイメージしてしまうかもしれないが、アメリカの60年代に始まったこの運動は、英語で言うと「gender-equality」に対するものであり、まさに、今、トランスジェンダーの問題の延長上にある課題として、社会でも論争されることも多い「ジェンダーロール」からの解放のことだ。

ヨーコとジョンが「愛と平和のために」どんぐりを埋めたり「ベッドイン」をしたりしたのも、ベトナム戦争などの暴力的社会背景があったのは確かであるが、アメリカ人でない、しかもアジア人と白人のいわゆる「雑種婚」をしていたカップルである二人にとって、アメリカという国は、法的にも堅苦しく住みにくい国であったに違いなく、そのように身をもって感じた自分たちの実生活の不便さから出てきた「愛と平和運動」であったのではないか、と思う。

その辺が、同じロックスターの慈善事業活動でも、ボノのそれとは、葛藤レベルが全然違うような気がする。

さて、ノースカロライナ州内での騒ぎから、ふと全米に目を向けると、そこでは、とんでもない大統領選が繰り広げられている。

ああ… アメリカは、大丈夫なのだろうか?

なんとも、雲行きがあやしい今後のアメリカだ。

冗談のような大統領選がヒートアップする中、 冗談のような州法がアメリカには以前からあった、というこの記事を見つけた。

「みんなが知らないぶっ飛びすぎなアメリカの州法」

(上の州法以外にも、アーカンソー州では、街中でいちゃついたり5分以上キスしたりしても重罪だ、ということが他のサイトにも載っていた)。

日本の国会で論争されるネタもくだらないことが多い(らしい)が、これを見る限りでは、アメリカの州議会も、かなりくだらないことを話し合っているようだ。

ノースカロライナでは、このHB2に抵抗するために、これからわざと自分の性とは反対のトイレを利用する、と言っている人が続々と名乗りを上げているらしい。

ツイッターなどのソーシャルネットワークでは「#WeAreNotThis」という反対派を意味するハッシュタグで、人々に訴えている記事や投稿が続いている。

このようなノースカロライナの状態をひっくり返すことができるのは、11月の選挙にかかっている、と言われている。

だからこそ、選挙権のある人たちは「vote in(選挙に参加)」し、「vote them out(アホな政治家を落選させる)」ことが大切だと、人々は呼びかけている。

上山仁子のHP:http://www.hitoko.com/
上山仁子のブログ:http://ameblo.jp/nymommy/
アメリカノースカロライナと近郊在住日本人による生活娯楽情報発信サイト : http://ノースカロライナ.com/

Featured Photo Credit: rainbow flag waving : castro, san francisco (2015) via photopin (license)